プロフィール
1959年 7月
1988年12月
1989年11月
1991年 3月
1991年 4月
1992年 3月
1995年 3月
1998年 5月

2001年 4月

2002年12月  
岡山県倉敷市に生を受ける
サラリーマン(衛生管理者)を辞め上京
生涯の師と出逢い瞑想法を学ぶ
長生学園 卒業 国家資格取得
故郷の倉敷で「エネルギー整体 気楽堂」を開業
「癒しとは何か?」を求めて海外へ。放浪癖がまた始まる。
結婚を境に放浪癖が一旦、止まってしまう
新しい医療スタイルを想い、医師との交流の大切さを知り、倉敷市西坂「さわやまクリニック」にて、毎週火曜日に施術をさせて頂くようになる。
”心地良さが起これば体は元に治っていく”をモットーに
    「リラクゼーション 気楽堂」と改名
医療マッサージ事業を加えて開始予定



 


*暇な人は・・・・読んでやってください。・・・・・・・私は今日まで生きてみました。

・・・・・・☆渡辺啓治という人間の半生・・・ここまでの生い立ち☆・・・・・・

1959年7月 
 岡山県倉敷市にて肉体を授かり、子供の頃より不思議な夢を度々体験し、無知ゆえに不安と恐怖に悩まされながらも、多くの人との縁に恵まれ成長する。
父の仕事が忙しくなかったせいか、日々の起こった出来事をよく聞いてくれたことで、色々な不安、恐怖が和らいでいたようだった。(今更ながら、愛情に恵まれていたことに気づく)今に至っても、照れ屋の臆病者です。
1986年10月
 バリ島へ旅に出る。そこでの現実の生活環境を観て、カルチャーショックを受ける。貧困生活ながらも目が生き生きとしている人々に不思議な感じがした。その夜、バリ舞踊を観てトランス状態に落ちる。(バリ島は―神々の棲む島と言われている)その頃のバリはあまり日本人観光客に侵されていなかった。(日本の昭和初期って感じ)
*すべてはこのバリ島の体験が癒しの世界へと引きずり込まれた始まりかも???。
1987年12月
 愛しき人の別れにより、自分自身を見つめ直すきっかけとなり、精神世界に興味を持ち始め、色々なその手の本を読み漁った。(その時はよく理解出来ず、その本は良き睡眠薬となった)
1989年4月
 父が奉仕で整体をやっていた影響もあり、夢の導きもあって会社を退社し(マンネリにウンザリしていたかも?)整体を学ぶため東京の長生学園に資格取得しに行く。
1989年9月
 父の原因不明の突然の死で大ショックを受ける。後に、気持ちを紛らわす為、さまざまな宗教を訪ね渡る。良い話を聞かされても自分の心のショックが癒されず、途方に暮れていたある日、書店で「気楽体」という奇妙な本を手にし、目から鱗が取れた。その中に著者が学んだ師匠の紹介が書かれてあった。その住所が偶然にも、私のアパートと目と鼻の先ほどのところだったので早速訪ねた。その時を期に師に学び、日々瞑想法の実践が始まった。
 心が癒されていくのを感じ始めた頃、神秘体験(体外離脱)が起こった。自分が肉体から離れた経験から、自分の肉体は仮初の姿だと解った。それから何度となく経験し、それが夢とか幻でないことを確認できた。
 瞑想法をしていくうちに、現在の悲しみ、過去のこだわりが、小さなことで、どうでも良いことに感じていけるようになった。師は生き方、考え方を教える方ではなく、正しい瞑想法を指導してくれる、普通のオッサンでした。「自分の答えは、自分の中にしかない・・・早く気付けるといいねぇ・・・あるがままに」そんな方だった。

   
「静けさを 求めるあなたに訪れる 静寂
            その静寂こそ 本当の あなた」 わが師より

1991年4月
 国家資格を取得し、サッサと故郷の倉敷へ帰り、「エネルギー整体 気楽堂」を開業する。帰ったものの東京が恋しく、師が恋しく、寂しさに暮れる日々が続く。(暇だったからかも?) 
1992年3月
 ニュージーランドへ旅に出る。「バンジージャンプ」と言う決死の体験をやり、「自分が何かに生かされてる」ことに何故か理屈なく感謝が沸き起こる。その夜、なんとなく母の声が聞きたくなり電話をする。(旅先で自宅に電話することは、今までなかった)「生んでくれて有難う」と思わず言ってしまった。電話を切ったあと、大変恥ずかしくなって、布団をかぶって寝た。
1993年3月
 バリ島へ旅に出る。時の流れの不思議。楽しい事をたくさんして遊んだのに、なかなか時間が経たない経験をした。バリの時間は、とてもゆっくりで日本の時間の生活からは感じたことはなかった。日常では、嫌なことは時間は長くて、楽しいことは時間が駆け足で過ぎて行く感覚だった。福岡空港で出発前は人々の歩く動作を何も感じなかったが、帰国後の福岡空港に旅出る人々の、何と!!慌てて歩いている人たちばっかりに見えてしまった。どちらの国民が時間麻痺症候群になっているのだろう???
1993年12月
 オーストラリアに旅に出る。日本人のある治療師を住所・勤務先が曖昧なまま訪ねに行くが、現地に着くと彼は行方不明だとわかった。断念して一人バスに乗って観光に行く。バスを降り間違えてしまった所が、たまたま、以前、彼が勤めていたところだった。(偶然とは恐ろしきかな・・・)そこを起点に調べ歩きやっと、たどり着いて彼とクリスマスイブ「クリスマス イン サマー」を迎えることが出来た。
オプショナルでカジノとスキューバダイビング体験と乗馬体験をした。カジノでは儲けようと欲が出ればほとんど感が外れ、残りのチップを始末して早く帰ろうと思った頃から4回連続の大当たり、結構、遊ぶ小遣いが出来た。しかし、夜もふけて最終のバスに乗り遅れ、ホテルまで歩いて帰る羽目に。スキューバでは最初、酸素を吸おう吸おうと体が動作し苦しくなった。しっかり酸素を入れるには、先ず、しっかり吐くことだと、改めて知らされた。乗馬は何とも気持ちが良いに尽きていた。帰国後、また馬に乗りたくなり乗馬クラブに、つい、入会してしまった。馬に乗せてもらってのらりくらり歩くのは、恍惚の時間!!!馬に上手に乗れるようになった頃、自分の臍下丹田の位置を感じ始めた。
1994年2月
 アラスカへオーロラを観に旅に出たった。
震え上がる外(マイナス35度)での観察は10分ぐらいがやっとで、すぐハウスに戻って、温まっては、またオーロラが出てくるのを待つ監視が続く。フェアバンクス滞在3日目、オーロラ出現!!オーロラに目を奪われ感動しているときは数十分が何ともなかった。外で1時間ほどは目の虜になってしまった。
1994年4月
インドへサイババに遭いに旅に出た。超能力的なことを暴こうという気持ちぐらいで行った。しかし、自分の内側に起こる不思議な感覚、神秘体験、周りに起こる不思議な事件・・・・とにかく言葉では説明しにくいので・・・・ごめんなさい。(逢って自分で体験するしかない)ただ、超能力なんかどうでもいいことに気づいた。
帰国後、サイババの心地よい余韻も消え間に、乗馬クラブに行った最初の日。馬に乗っていると操作より先に馬が思った方に動いてくれた。何度も操作せずに思うだけで誘導できた。これが人馬一体なのかな?次のクラブの練習では、つい傲慢になたのか、思っても、操作しても、なかなか誘導しにくかった。ああしろ、こうしろと操作する傲慢な心が問題のように思えた。
1994年5月
スウェットロッジを体験。気絶した!気がついたら皆から祝福された。その日は幸せに満ちていた・・・ていうか、幸せに満ちるってことがわかった。翌日、現実の「あまり好きくない自分」に戻っていた。それからの日々・・・ネイティブアメリカンの生き方に魅了されていってしまった。・・・自然体?気楽体?
1994年8月
遊牧民と馬との生活を共にしたくて、モンゴルに旅に出る。

                      つづく・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





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