H1−RW history

 

はじめに
 現在はコンサルタント業をしていますが、私が青年時代に没頭した(今は愛好)オートバイについて、昔の記憶を辿って書いてみますので、もしも、もっと詳しくご存知の方がおられましたら、どうかご教授願いたいと存じあげる次第です。
 また、タイトルをH1−RWとしましたが、いったいそんなオートバイがあったの?と疑問を持たれたり、あるいは興味も持たれることと思いますが、どうぞ最後まで一読され認識を新たにされることを期待します。
 そもそもオートバイという言葉は日本の造語で、米語のautobykeよりのなまり、英語ではmotor cycle といっていることはご承知の通りです。
 世界最初にオートバイを考案製作した人物は、ドイツ人ダイムラー(Gottlieb Daimler)で、ドイツ特許36423号が1885年8月29日、その年に実物が完成して翌1886年に初走行に成功と記録に記されています。
 ではH1−RWは、というと不肖私が命名しただけのことで、1972年に私が手塩にかけたロードレース用のオートバイのことです。
 カワサキH1(MACHV)をベースに開発した水冷マシーンで、悲しいかな日の目をみずに終わってしまいましたが、私にとっては、思いで深いなつかしいオートバイなのです。
 あのH1に水冷があったのか!と驚かれる貴公もおられると思いますが、立派に走行もしております。


オートバイとの出会い
 私が幼少の頃に思い出に残っているのが「メグロ号」です。
 それは我家の前に止めてあり、その側で父と見知らぬおじさんが話しをしているのです。
 それが恐竜の如くとても大きくて、それがお腹の中まで揺るがすような振動と、鈍い爆音を轟かせているのです。
 会話の中にメグロ・メグロと度々出るので、これはメグロなんだと覚え込んでしまったから、それからは家の前を通るオートバイは全てメグロと言っていたようです。
 初めてオートバイを運転したのは小学二年生の時でした。
 運転したと言うか、乗ったというか、強いて言えば跨ったという方が正しいと思います。
 叔父が持っていた「ベンリイ」で、ご存知の貴公には「CBナナニ」の方が分かりやすいと思います。
「乗っちゃあおえんで!」という叔父の忠告も上の空、メグロに乗る! メグロを制覇する! と言ったような気持ちが先にたち、兄と従弟と順番に乗りました。
 発車は後ろを持ってもらうので何とか発進するのですが、止まる時はさあ大変です。 
 どうやって止めたかは想像された通り、足が地につかないから乗ったまま転倒させたのです。 この後でこっぴどく叱られたことは言うまでもありません。
「なんでベンリイと言う名前か? そりゃあ便利じゃけえ、ベンリイじゃ!」と教えてもらった覚えがあります。
 今思えばこの時期から私のナナニライダーが芽生えたのかもしれません。


H1−RWの誕生まで
 1971年10月からオートバイのロードレースの世界に足を入れるようになりました。
 ご承知の通りカワサキH1は空冷2ストローク並列3気筒ピストンバルブ500ccエンジンで、CDIを採用した当時では最先端のオートバイでした。
 このH1をベースにしてレース用に開発したのが、H1−R、因みにH2をベースにしてレース用に開発したのが、H2−Rといいますが、後に昔の呼称であったKRが使われ、KR500並びにKR750 と呼ばれるようになりました。

 H2−Rの開発時代にはもっぱら鈴鹿や富士で走っていましたが、天気の良い日はとても爽快で「on any Sunday]そのもの、カウルから見る空は最高でした。・・・が!、
テストコースで自分自身とすれば気持ち良く走行中に、チーフメカニックに停止を命じられたり、富士の須走落しで転倒したり、バサーストの件等々、種々事故があり反省しております。
 そういった時にGP用にH1−Rを水冷にする話が持ち上がり、命を受けて製作させて頂くことになった次第です。
以前に飛行機のエンジン設計やミサイルの設計開発・発射実験をしていたので、設計については簡単に事は運んだのですが、チューニングについては時間がほとんど無く、2日徹夜して明方早朝に飛行機に乗ったことが今でも思い出されます。
特に設計段階で注意を払ったことは、車重とバネ下荷重を如何に軽減するか、スタビリティーとコントローラビリティーの向上、目標性能クリヤー等であったと思いますが、馬力が思ったより芳しくありませんでした。
 兎にも角にもH1−RWが1972年に外観だけは何とか出来上がったわけです。
 H1−RにWをつけたのは私が勝手に付けただけですから、正式な名称ではありませんので悪しからずご容赦願いとうございます。
 現在はマシーンは無く、存在していた証拠となるものは、私の保存しているこの写真が世界にただ1枚あるだけで、後は当時開発に携わっていた方の記憶の中にあるだけで、知る人ぞ知る幻のロードレース用オートバイになりました。
 このホームページを訪問された方は是非、「H1−RW」H1に水冷タイプがあったことを記憶にインプットして、後輩に語り継いで頂きたいと存じ上げる次第です。

やっぱりメグロ号かな!
 数十年前、我家の長屋にキャブトン350ccがありましたが、種々の事情によりどうしても口から言い出せませんでした。
 喉までは言葉が出ていたのですがネ。
 ご承知の通りキャブトンは愛知県の犬山に嘗て瑞穂製作所があり、この会社で製造されたオートバイで、発売元が大阪の中川幸四郎商店であったことから、[come and buy to Osaka Nakagawa]の頭文字を取ってキャブトンと命名したのが謂われです。
 他にも名前を聞いただけでも懐かしいものや、まだ一度も見たこともないオートバイもあります。
 くろがね号・リツリン号・陸王・SSD号・JAC号・あいこく号、それにアサヒ号もありましたが、やっぱり小生は幼少期の記憶に残っているメグロ号が一番なつかしいオートバイですネ。
 メグロ号の曾孫ぐらいにあたるのが、ストリートで時折見かける川崎のWシリーズですが、見つけるとメグロ号とダブらせて懐かしんでいます。