「伊予の国」 霊場参り



「一本松隧道」を抜け「愛媛県」に入る

吉村建設さん 「空海号」パンク修理でお世話に成る 40番観自在寺「十二支守り本尊」
宿毛湾の真珠養殖イカダ 嵐坂の歩行者専用トンネル
 26日目 5月10日(日) (ビジネスホテル・セレクトイン〜嵐坂ポケットパーク

ホテルの部屋に入れて居た「空海号」に荷物を乗せ部屋から出ようとすると左のタイヤが「パンク」 し空気が無い。パンク修理道具を持って来ていないので修理が出来ない。狭い部屋からようやくエレベーターに乗せ3階からホテルの玄関を出て歩道を押してみる。
少しは空気が残って居たので、沢山の荷物を積んで斜めに成るバギーを手で支えてかろうじて進む。汗だくに成りながら1km位押した先のコンビニに入りパンクの修理が出来る所が無いか店員さんに尋ねるが近くには無い様子だ。日曜日でもあり、車の通りも少ない、バギー遍路の必需品「修理道具」を持って来て居ない事を「トラブル」が起きて初めて痛烈に反省する。
空気が次第に少なく成る「空海号」のチューブ損傷を恐れ、少しだけ残って居た空気を完全に抜きチューブを取り外す。
空気の無いタイヤではバギーを押す事は無理だがベルトを肩に掛け、空海号を担ぎながら押して進む。大変な一日の始まりだ。しばらく進んだ所の「吉村建設」さんの前で仕事に出掛ける人達に声を掛けられ事情を話すと御荘町(旧城辺町)の「自転車屋さん」の電話番号を3軒調べてくれ、出張修理の交渉が3軒目で成立、15分位待って「出張修理」(1,500円)に来てくれた。ありがたいの一言!「吉村建設さん」に 感謝!感謝!急に展望が開け明るい気持ちに成る。40番「観自在寺」にお参りをし、左に広がる宿毛湾の「真珠養殖場」を眺めながら元気に成った「空海号」を押し、トンネルを抜けた「嵐坂ポケットパーク」の東屋にテントを張り、「多目的トイレ」で裸に成り、濡れタオルで汗と埃で汚れた全身を拭きさっぱりする。
しばらくすると、京都の青年お遍路さんK君が到着したので一緒に夕ご飯を戴き21時に床に就く。

 27日目 5月11日(月) (嵐坂ポケットパーク〜道の駅「みま」)

同宿のK君に遅れる事20分出発準備が整い歩きだす。国道56号の狭い歩道をひたすら押し、長い長い「松尾坂トンネル」でK君に追いつき追い抜く。宇和島市内に入り自転車屋さんを見つけ「空海号」の予備タイヤチューブを購入する。(特殊なサイズであるが中古品があった1,500円)
市内をうどん屋さんを探しながら歩くが中々見つからない。このままでは山道に入りお店が無く成る。北宇和島の41番「龍光寺」への分かれ道のコンビニで「弁当」「ひややっこ」を買い外のベンチに座りお昼ご飯にする。何時もながら、ご飯を食べて1時間位歩くと眠気が来る。バス停のイスにばらく座り「居眠り」しながら元気を取り戻し再び歩き始める。
しばらく歩き、今夜の寝床予定の道の駅「みま」にテント泊が出来るか様子を見に行き、充分可能である事を確かめ、41番「龍光寺」にお参りする。龍光寺で京都の青年遍路K君と一緒に成り、道の駅に戻り時間を潰していると、神戸のお遍路H君来る。この道の駅では、「浮浪者風」のお遍路さんが近づいて来て離れない。我々も十分汗臭いが傍に居られない無い悪臭だ。H君とK君との偶然の再会を喜び合い、お酒を飲みながら盛り上がり22時に床に就く。台風6号の影響で夜中風が強いが雨は降ってない。

 28日目 5月12日(水) (道の駅「みま」 停滞)

朝から大粒の雨が落ち出発するか否か迷う。昨夜、遅くまで話し込んでいた松山の初老の「キャンパー」Nさんに別れ際土地の有名なイチゴのパックを接待して頂く。お昼位から大雨に成りそうなので休養を兼ねて道の駅で「停滞」する事に決めた。K君・H君と雨を眺めながら時間の過ぎるのを待つて居ると突然、車から降りてきた若いご婦人が「テッシュペーパー」に包んだ500円玉を置いて何も言わず車で走り去るのでK君が後を追い「収め札」を渡す。
お昼になり道の駅のレストランで
「ランチバイキング」(900円)を思う存分戴き、夕食の食材を500m離れた「ローソン」に雨の中買い出しに行く。
「軽バン」のお遍路さん倉敷市児島のOさん(68才)がカセットコンロでお湯を沸かしてくれて「コーヒー」をご馳走になる。雨が降り寒いので道の駅の18時の閉店を待ちきれず、30分前にテントを広げていたら店長さんにルールを守る様注意され、我ままを反省しテントをたたむ。
Oさんとコンビニで買って来た
「焼酎」をお湯割りにして「遍路体験話」をしながら夜更けまで話し込む。
京都の青年遍路さん K君 道の駅「みま」で作戦を練る
42番「仏木寺」の道祖神 大洲 「十夜ヶ橋」 通夜堂
内子の旧街道 善根宿 「千人記念大師堂」
 29日目 5月13日(木) (道の駅「みま」〜十夜ヶ橋 通夜堂)

昨日は夕方には雨も止みお日様が出て夜には星が瞬いていた。雨の後の清々しい朝、田園風景の田舎道を42番「仏木寺」に一番納経受付でK君とお参りし、長い登り下りの「歯長峠」を超え、「肱川あらし」で有名な肱川を渡り、43番「明石寺」にお参りし「鳥坂峠」を空海号を押し「大洲」の町に下る。
お昼に「十夜ヶ橋」(弘法大師が野宿をしたと伝わる四国霊場唯一の野宿修行の場)の通夜堂を電話でお願いし頑張って歩く。17時20分通夜堂に着いたが納経所は締まっており、荷物を解きお風呂の支度をして近くの「オズの湯」に行くが生憎定休日で閉まっていた。隣の回転鮨に行き、美味しい海の幸を戴き、スーパーで食材を買い出し通夜堂に戻り、洗濯を済ませビールを飲みながら、かかとの擦り減った靴(トレッキングシューズ)の修理を済ませ寝床に入る。

 30日目 5月14日(金) (十夜ヶ橋〜善根宿「千人記念大師堂」)

夕べは、高速のICに入るトラックの音が大きく耳に響き眠れなかった。大師堂にお参りをし大洲を出発するが狭い傾いた歩道は空海号を押し辛い。と言って狭い車道は車の通りが多く気味が悪い。ようやく大洲の町を抜け楽に押す事が出来始めた。内子の町に入り、再び空海号が「パンク」をして空気が少なく成って居るのに気付きスーパー「マルナカ」のベンチでパンク修理をする。
スーパーの中の「職人の店」「目出し頭巾」を買い日焼け対策をし、善根宿「千人記念大師堂」に向かう。
着いた時は一人であったが、神奈川の女性遍路IさんとK君・H君が到着し、「お大師様」の祭壇の前に4人布団を並べで宿泊する。

 31日目 5月15日(土) (善根宿「千人記念大師堂」〜久万公園 東屋)

朝食を済ませ5時50分大師堂を出発し小田に向かうが、「ヒワタ峠」越えが近道で進めそうなので山道に入ると、途中から舗装が無く成り凸凹の悪路と成り空海号が砂利にはまり重くて進めない。長い砂利道の登りを「難行苦行」しながら進みながら道の選択を誤った事を猛烈に反省し午後2時過ぎに「久万高原」に到着する。ガソリンスタンドでうどん屋さんを教えて頂き遅い昼食を済ませ、44番「大宝寺」に向って歩いていると、神戸の遍路H君達と遭遇し「久万公園」に野宿出来る情報を貰い、町へ引き返してビールを購入し久万公園に行く。大きな屋根の下に公園で出会った青年遍路のI君(24歳)とテントを4張並べ、スーパーで購入した食材を調理指導で腕を上げたH君、K君の手料理を戴き夜半まで話していると、天気予報通りに雨が降り始める。
遍路仲間 H君 K君 Iさん の三人 最悪の選択「ヒワタ峠」越え道
久万公園で同宿のヤングお遍路さん I君 雨の中を「岩屋寺」に参る
観光客で賑わう「道後温泉本館」 浅海の善根宿「大師堂」
 32日目 5月16日(土) (久万公園〜32番八坂寺 通夜堂)

夜中から雨が激しく降りだし屋根から落ちる雨音がテントに響く。おむすび2個とインスタントみそ汁で朝食を済ませ、空海号の雨対策をしてカッパを着込み歩き始めるが、45番「岩屋寺」は同じ道を引き返して来るので、公園近くの民家の奥さんにお願いして庭先に「空海号」を置かせて頂き、身体一つで岩屋寺に向かう事にした。
岩屋寺までの道は大きなアップダウンが有り、身体一つの判断は正しかった。お寺の駐車場から本堂まで600mの登りは、急な坂道で年配の参拝者は苦しみながら登って居た。
お参りを済ませ、参道のお店でパンとアイスクリームを食べ帰り道を歩き始める。途中久万トンネル下の集落の集会所で餅やイチゴ、トマト、スタミナドリンク等の接待を受け元気を取り戻し久万公園の民家で空海号を回収し「三坂峠」を登り、標高708mから急坂を下り標高79mの46番「浄瑠璃寺」まで「標高差629m」を空海号に引き摺られながら下る。
浄瑠璃寺のお参りを済ませ、産直市で「そら豆」買い、47番「八坂寺」へ急ぐが17時の納経受付には間に合わなかった。通夜堂に宿泊をお願いしてみると、神奈川の女性遍路Iさんが先着していて同宿する事にした。しばらくして神戸のお遍路さんのH君が到着し「そら豆」を湯がし3人で戴く。隣の部屋には、台湾人のお遍路さん3人と単車のお遍路さんの4人が泊まっていた。今日は今までのお遍路の中で最長の45kmを歩き抜く。

 33日目 5月17日(日) (八坂寺〜道後温泉 ビジネスホテル「さくら」)

7時50分早朝の参拝を済ませ納経所が開くのを待って、通夜堂の鍵を返却し皆と少し遅れて八坂寺を出発する。48番「西林寺」49番「浄土寺」にお参りし50番「繁多寺」で神奈川の女性遍路Iさんに追いつき51番「石手寺」で神戸のお遍路さんH君に逢いH君と「道後温泉」周辺を散策し、和食の店で「天丼」を食べ、ビジネスホテル「さくら」(3900円)にチェックインして荷物を解きコインランドリーで洗濯を済ませ「道後温泉本館」に行き久し振りにお湯に浸かり体を癒す。
温泉を出た所で、京都の青年遍路のK君と偶然出会い、ホテル隣のスーパーでお酒と食糧を買いホテルに戻り夕食を戴き20時に床に着く。

 34日目 5月18日(月) (道後温泉〜浅海 大師堂)

ホテルを6時10分に出発し、早朝の人通りの無い松山市内を抜け、納経所から本堂まで250m離れた52番「太山寺」にお参りし、来た道を戻り3km先の53番「円明寺」にお参りする。海沿いを「堀江」から「柳原」まで歩きローソンでお昼の弁当を買い「文化の森」で食べようとするが国道から公園入口まで遠いので弁当を夕食に変更し、道沿いの「とん太郎」で餃子+チャーハンを食べ、以前交流の有ったお遍路仲間が住職をしていた「釜大師」を訪ね情報を入手する。お遍路仲間の住職は今は松山の「高縄寺」に居られるそうだ。
釜大師を出発すると本降りの雨が降り始め傘を広げながら空海号を押し峠を越え、宿泊予定の
「浅海」「大師堂」に到着する。大師堂は郵便局の裏手の小高い場所に有るが中々見つけ難かった。近くの酒屋さんでビールを買いお堂の下で大師堂を管理されて居る方が帰って来るのを待って居ると、直接鍵を持って来て早い時間では有るが「お堂」を開けて頂いた。
18時を過ぎても誰も来ないので、お堂の外で煮炊きをし夕食を戴き高縄寺の住職と久しぶりに電話で長話をして一人静かに床に就く
横峰寺登山口 善根宿「萩生庵」
萩生庵の内部 急坂を「三角寺」に登る
善根宿「平田」の屋根裏部屋 平田さんの「ゆき工房」
 35日目 5月19日(火) (浅海〜今治 友人宅)

昨夜はかなり雨が降って居た様だが朝には止んで空は薄曇りだ。今治の45年来の友人が今夜の宿に家に来る様に奨められて居たので連絡をして今夜の宿をお願いする。
浅海の大師堂から波の穏やかな、いかにも瀬戸内に入った事が感じられる国道196号を海沿いに歩いて居ると突然
「ベンツのスポーツカー」がUターンして横で停車した。びっくりして立ち止まって見ると、一週間前、道の駅「みま」で別れ際に「いちごの御接待」を頂いた初老のキャンパーが偶然通り掛かり「空海号」を見つけ引き返し激励してくれたのだ。偶然の出会いとは言い大変な驚きで有ったが之も「お大師様」の引き合わせかも知れない。
54番
「延命寺」から今治の市内に入り55番「南光坊」にお参りし56番「泰山寺」57番「栄福寺」標高255mの山の上58番「仙遊寺」に空海号を途中の東屋の裏手に置き登って居ると参道の階段を竹箒を持って神奈川の女性お遍路Iさんが掃除をしているのに出会う。今日は仙遊寺の通夜堂にお世話に成るので時間も早いので「作務」をしているとの事であった。
仙遊寺から山を下り歩いて居ると友人からどの辺りを歩いて居るのか確認の電話が入る。付近の様子を話、コンビニで奥さんに土産のケーキとお孫さんの誕生祝いを入れる熨斗袋を買い急いで友人宅を探しながら歩く。友人宅の前まで行くと随分前から車で後ろを付いて来ていたらしく友人が横に車を止め笑顔を見せてくれる。
家に案内してくれ、着ている物と汚れ物を洗濯機に入れシャワーを使わせて頂き、今治の土地の美味しい物が頂ける
「居酒屋さん」で十分ご馳走に成り、西条の温泉「武丈の湯」まで車で走り「温泉三昧」を楽しませてくれる。友人とは有り難い存在である。

 36日目
 5月20日(水) (友人宅〜横峰寺登山口 東屋)

5時30分に起き出発の準備をして居ると、奥さんが朝飯を作ったので食べて行くよう勧めて頂きご馳走に成り、7時前に友人宅を後にし家から見える所に在る59番「国分寺」にお参りに行く。
朝早い静けさの中を参拝し、「湯ノ浦温泉」を通過し「丹原」の市内を抜け国道11号を横切り「横峰寺」へ向け谷川の流れる山道を登って行く。15時「横峰寺登山口」に到着したが未だ納経受付終了まで2時間有るので登り1時間の横峰寺に参拝する事にして山を登る。
何時も山は登って居るので予定通りに登れるはずが一向に足が前に進まない。之までの疲れが一気に出た様で「ヨレヨレ」成りながら1時間30分掛かり60番「横峰寺」に辿り着く。お参りを済ませ山を下り、テントを広げ、谷川の湧水で冷やしたビールを飲みながら夕食を戴き、山の中の人気の無い東屋の中で一夜を明かす。

 37日目 5月21日(木) (横峰寺登山口〜善根宿「萩生庵」)

6時に東屋を出発し、急坂を空海号に引かれながら西条の町へ降りて行く途中、神奈川の女性遍路Iさんと逢う、之から横峰寺に登り山道を西条に降りるそうだ。
国道11号は歩道が無い所が多く大型のトラックがスピードを上げて擦り抜けて行くので危機感感じながら歩く。61番
「香園寺」から64番「前神寺」まではお寺の距離が短く忙しく参拝する。
前神寺を打った後、
「讃岐手打ちうどん」の店に入り昼食を食べるが看板に騙された。
一昨夜、友人が案内してくれた
「武丈の湯」の前を通過しスーパーで歯磨きチューブを買い(朝歯磨き中に溝にチューブを落とし回収不能に成った)大型ホームセンターで空海号に付ける「バックミラー」を買い取り付ける。(後方が確認出来るのは気分的に大変楽だ 早くから探していた
が漸く見つけた)
電話で連絡した
「新居浜」の善根宿「萩生庵」に16時過ぎに到着し、荷物を解きコンビニに行き夕食を仕入れ、誰も泊り客は来ないので一人静かに20時床に就く。

 38日目 5月22日(金) (善根宿「萩生庵」〜善根宿「平田」)

今日は愛媛県の最後日だ。萩生庵を出発し、国道11号と旧街道を入れ替わりに歩き、標高480mの
「三角寺」に向かう。。歩道の無い国道11号は昨日買ったバックミラーの効果が有り気分的に楽に歩く事が出来る。お昼近くに成り「讃岐うどん」の店を見つけて入るが、昨日のうどん屋とは格段に違う、本物の「讃岐うどん」460円を美味しく戴く。
「伊予三島」の町に入り、製紙工場の高い煙突を眺めながら65番「三角寺」へ空海号の前に引き綱を付け引っ張り上げる。お寺は何故山の上が多いのかこれまた難行苦行の連続だ。
お参りを済ませ、今日の宿泊予定の
善根宿「平田」さんに電話で宿泊お願いをする。
善根宿は、木工所
「ゆき工房」http://www.yukikoubou.jp/の2階で綺麗な布団に新しいシーツを準備して戴き、ご主人と「みかん」をむき「きそら豆」を茹で一緒に食べながら話をする。今日も泊り客は居ないので一人静かに床に就く。