| OPINION |
PMA
今のとこの僕の人生のテーマ。positive mental attitude の略語。
直訳は「肯定的精神姿勢」。僕が今人生に求めてるのは深い意味での楽しさ。
(深い意味でっていうのは単に楽しいだけっていうのじゃなくて、
苦しさを乗り越えての楽しさあり、発想の転換による楽しさありさまざま・・・。)
で、人生を楽しむためにはすべてに対して肯定的になるのが大切な事なんじゃないかなと・・・。
+思考、−思考の考え方があるけどあれはキライ。
物事すべてに対してどっちがいいとも言いきれず結局ケースバイケースではっきりしないから。
肯定的という言葉自体が好きです。
すべてを受け入れすべてを乗り越えれるような気がする。
ってなわけでこのサイトの名前にも決定!
「人は・・・。」
「人は何のために生きていくのか・・・」
誰もが一度は悩むであろう問題。
僕なりの答えは
「人は自分が何のために生きていくのか(生きてきたのか)を知るために生きている。」ってなかんじ。
こればっかりはいくら悩んでも泣きそうになるだけだった。
死ぬ間際とかに
「あ〜自分はこのために生きてきたのか〜」
って思えればそれはそれで一つの幸せの形なんじゃないかなと・・・。
逆に「おれはこのために生きてるんだ〜」とがんばって生きている人も世の中にはいるはず。うらやましい・・・。
でもだからといって今の自分が熱中できるものがないわけじゃーない。
日々、喜怒哀楽の中で懸命にがんばってる!(つもり・・・)
もしかしたら毎日の生活で喜怒哀楽を感じれるだけでも幸せな事なのかもしれない。
とりあえずPMAでがんばっていくつもり!
先入観
自分はけっこ−先入観にしばられがちだった。
先入観は考える幅を縮める。
世の中にはある角度から見ただけだと判断しきれないものがたくさんあるようだ。
日常が気付かせてくれた。
で、打開策のために分岐点に出くわした時、当たり前だとされるものが妨げになったとき、他人と意見が食い違った時、自分にない部分を持ったやつに出くわした時などにその事象に対して様々な角度から見ている多くの自分を作ってみることにした。
もともと何かについて深く考えてみるのはキライな方じゃないから、この方法によって様々な利点や欠点がたくさん出てくる。それでまた、目に見えない部分に気付けたら、それはそれでまたもうけもの。
でもそのうちにだんだんと自分はどっちを選ぶのか、本当の自分はどっちなのか、わからなくなってきた。
結局世の中には絶対こうでなくちゃ−いけないものなんてないような気もしてきた。
だから今は深い意味での楽しい方を選ぶようにしてみた。
その方が毎日が楽しい!
明日
もともとケチなやつかもしれない。
利点が見えてこないとやる気が出ない。
(嫌でもやらないといけない事は多いから、そこは発想の転換で何とか・・・。)
昨日より今日、今日より明日、ささいな事でもいーからなーんかUPしてないと生きてる意味がないような気がする。
せっかく暇な時間があっても何もしない状態なんてもっての他。
今の生活は時間が足りなさ過ぎる。やりたい事が山ほどある。
でもその中から好きなものを優先的に選んでるわけで、文句は口だけにしとくほうがいいみたいだ。
これからも明日につながる生き方をしたい・・・。
自殺
自殺できるやつはすげ−。
僕は自殺なんて怖くてできない。
ってのもあるし、これから自分がどんな風に成長していくのかが楽しみで死ぬのなんてまじアホらしい。
そんなの楽しくねーし。
自殺する勇気があるならそれ使って生きればいーのに・・・。
常識
常識は結局多数決。
常識って言葉自体キライ。
ユウズウのきかない古い人たちが新しい風をかき消すための道具に使っているような気がする。
時代が変わっていってんだから常識が変わっていくのは当然なのにそれに気付かない人たちもいるようだ。
ものさし
育ってきた環境や、出会ってきた人たちの関係なんかで気持ちのものさしがみんな違うようだ。
なかなか伝えたい事が100%伝わる時は少ない。
A君が言葉や行動100%をB君に伝えようとしても40%しか伝わらない時があるし、C君には120%も伝わる時もある。
だから僕は本当に大切なことを伝えたい時や誤解されたくない時は、自分の心の動きそのものを伝えるようにしてる。
そうする事でたいていの誤解は避けられるし、こっちの本心もわかってもらえる。
実際、世の中は誤解だらけのような気がする。
誤解によって損している人もたくさんいるはず。
僕は誤解っていうのがものすごくキライ。
わかってもらえないならどうやったら伝わるかを考えるようにしてる。
慣れ
慣れというのはすごい。すばらしい。
でもものすごく怖い・・・。
集団的要因や何度も何度も繰り返すことで自分がおかしくなっていく。
時にはおかしくなっている事に気付かない事さえある。
「慣れ」が持ってる二面性にはほんとに驚かされるばかりだ。
SIZE
一時期友達とランニングをしてる時期があった。
集合場所は近所の山の境内の丘の上。
町が見下ろせる。
その友達は時間にルーズだったから、よく一人で町を見下ろしていた。
その時見ていた景色はまだ太陽が昇ってなかったから薄暗く、すごく平面的に見えた。
ある朝友達が大遅刻。何か考え事もあって余計ブルーになった。
町を見下ろしてた僕は日の出のタイミングに遭遇。
日の出とともにあたりが急に明るくなり、建物に影が現れた。
平面的だった世界が立体的になり、なんか建物がニョキニョキ伸びてきたみたいだった。
あの瞬間は今でもはっきり思い出せれる。
「人間って小せえなぁ〜〜」
その景色を見たときに思った。
モヤモヤしてた気持ちが吹っ飛んだ。
いい経験をした。
存在意義
「お前の存在意義はなんだ?」
って聞かれてもすんなり答えれる奴はそうはいないはず。
僕もまだ見つけてない。
これなんかまさしく十人十色の千差万別。
なんでもいーんだと思う。
もともと言葉一つで片付けられるもんじゃなさそう・・・。
スポーツ
喜怒哀楽のない人生はもったいない。
スポーツはいい。人生と同じで喜怒哀楽がある。
スポーツから学んだ事で人生に活かせることが山ほどある。
逆に人生から学んだ事でスポーツに活かせることも多い。
スポーツをしてる時間は凝縮された人生を過ごしてるみたいで喜怒哀楽が多い。
スポーツ最高!
シンプル
物事の悩みはシンプルにつきとめて行くと結局は二者択一。
最終的にはどちらが自分にとって大切なのかを決めるだけ。
それだけでその周りの要因がかってに決まってくれる。
悩みがデカクなりすぎてる時なんかはシンプルに持っていくのがいいようだ!
墓参り
先日、ひさしぶりに自転車をこいで、一人で父方の先祖の墓参りに向かった。
天気がよくてポカポカしており、風に初春のニオイがまじっているいい日だった。
お墓の場所は山に面した我が母校(小学校)の隣りにあって、校舎と運動場が見わたせる。
墓にかける水は小学校でもらうのがいつものパターン。
平日のお昼だったため小学校はにぎやかだった。
ちょうど給食の時間だったらしくガキたちに出くわすことなく普通に水を汲んできた。
(いつも思う事だけど蛇口の位置がヒクイヒクイ。あの頃は普通だったのに・・・。)
線香と水やりをすませ、自転車にまたがって帰ろうとしていたところ何気に小学校を見ながらボーっとしてしまった。
ずいぶん昔の事のように思えても、六年間過ごした思い入れは相当深いようだ。
その時、昼休みを告げるチャイムが鳴り響いた。
それと同時にガキンチョ達がワーワーさけびながら教室から飛び出してきて運動場へ一直線。
そういえば自分が小学生の頃も昼休みが待ちきれず、チャイムと同時に友達と教室から駆け出してた事を思い出した。
今の子たちが自分たちとまだ同じような行動をしてるってことが、別に何の関係もないのに妙にテレくさく、妙にうれしかった。
運動場に飛び出してきたみんなは見てるこっちが誇らしくなるくらいすげ−元気だ。
最近のガキたちはテレビゲームやカードゲームばっかかと思ってたけど、まだまだ捨てたもんじゃーないことがよくわかった。
子供たちが外で遊ぶ機会が減ったんじゃなく、遊ぶ場所が減ってるっていうのが大きな要因だなと思った。
MIRU
世の中のたいていの人は「見る」をしていると思う。
そんな中で「観る」をしている人はほんとにすごい人だと思う。
自分もよく目に映る表面上の事実だけで物事を判断しがち。
よく言葉を口に出した後で前後の要因を考えきれてなかった事や、自分の予測が足らなかったこと、その場の感情のために自分を見失ってた事、なんかが原因で後悔の念が押し寄せる。
「見る」ことを減らして「観る」ことを増やしていけばもっと人生が楽しくなるはず!
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