’98以前


大学に入り、受験勉強から解放され、〈さあ、針仕事にまい進するぞ~〉と思ったが

まい進するまでには至らなかった。楽しいことが一杯あって、チクチク針仕事をしている場合ではなかった

それでも、通学の汽車の中とか、家にいる時に、編み物をよくしていた

刺繍もやっていた。こぎん刺繍・フランス刺繍・クロスステッチ・・・

テーブルクロスや敷物など、いろいろ作っていたなあ

結婚してからは、時間がたっぷりあって、針を持つ日、ミシンを踏む日が多くなった

一番の大物は、赤ちゃんの服一式、出産を待つ日々の針仕事だった

おくるみ・ケープ・セーター・ロンパース・帽子・靴下など・・

当時は、生まれるまで、男の子か女の子か分からなかったので

どちらにでも合うように、クリーム色の毛糸で編んだ。私にとっては超大作だった

ただ、今でも解せないのは、最初の子は真夏に生まれたのに

どうして毛糸の服など編んだんだろう?冬になったら着せようと思ったのかなあ~?

そんな大作も、結局一度も着せなかった。理由は汚れるから・・(なんじゃそりゃ)

年子で子供を産み、それからは毎日が戦争のような日々だった

とても落ち着いて針仕事などやっていられなかったが

日常使うものを、必要に応じて作っていたように思う

とても、作品というようなものではなかったが・・

子供たちが幼稚園や小学校に通うようになると

手提げ袋やいろんな袋物を作り、アップリケなんかしていた

男の子だったので、そんなものを喜ぶわけはなかったのが・・〈自己満足だった〉

スポ少に入ってからは、ユニフォームや靴下の繕い物が増えた

なんか、夢も希望もない針仕事をやっていた時期だった


子どもが中高生になった頃、仕事が一段と忙しくなった

とてものんびり手仕事などしている状況ではなくなった

教育資金ゲットのため、多い時は三つの仕事を掛け持ちしていた

〈針仕事がしたい〉という思いは、胸の奥底でドロドロと渦巻いていたが

とにかくその時は、そんな気持ちを封印して、ひたすら東奔西走していた

ソーイングボックスもミシンも隅に追いやられて、ほこりをかぶっていた

あと少し、もう少し・・と思いつつ、1998年の春を迎えた

やっと教育資金に終止符がうて、仕事の半分を辞めることができた

4月、パッチワーク教室の申し込みをした

そして、ここから本格的に私の針仕事が始まることになった


’98以前の作品は、もうほとんど何もない

大作のベビー服一式は、ほどいて別のものに編み直したし(何になったか忘れた)

たくさん編んだはずのセーターやカーディガンは、どこへ行ったやら・・

刺繍の作品もたくさん作ったのだけどなあ・・

実家に残したままのものもあったし、処分したものもある

もう半世紀も前のことだから・・記憶の彼方に飛び去ってしまった

けど、奇跡的にこんなものが残っていて、今でも手元にある

    
左:茶色のロングカーディガン  中央:レース編みのテーブルセンター  右:クロスステッチの額