’07の作品
2006年9月、「かぐや姫」のタペストリーを作り終えた頃
私の指は変形性関節症で、親指をのぞく8本の指の第一関節が変形し
指ぬきをするのも困難になってきた。指ぬきができないと、運針は無理だ
無理して針を持つと痛い・・ひどい時には、何気なく物に触っただけでも飛び上がるほど痛かった
針仕事はちょっと休めというサインかなとも思った
変形性関節症は加齢のよるもので、パッチワークで指を酷使したからとは言えないそうだが
それ以上、重症になるのは避けたかった、というか、痛くて針が持てなかった
30歳から50歳直前まで、約20年間仕事をしていた
仕事・・といっても、ずっと非常勤の勤めで、
フルタイムで働いている人に比べればかなり楽な勤務状態だった
が、それでも仕事をしている間は、なかなか落ち着いて趣味の世界に没頭するということは出来なかった
仕事をやめたら何をおいてもパッチワークをやろう・・・と、思いながら、仕事に追われる日々を過ごしていた
1998年、掛け持ちしていた仕事の一つをやめた時
迷わずパッチワーク教室の戸をたたいた
以来10年、作品の作り方はもちろん、配色のやり方やいろいろな手法を教えてもらい
先生をはじめ、他の生徒さんたちの素敵な作品をたくさん見せてもらった
「上には上があるもんだわ~。私も素敵な作品をつくりたいなあ~」と
そりゃあ~もう、張り切ってたくさんの作品を作ってきた
指の痛みが増してきた頃、あれほど好きだったパッチワークに対する関心が
自分の中で薄れてきていることも感じていた。何でだろう?と、思うようになっていた
そんなこんなで、ちょっと休んでみるのもいいかもと思い
2006年年末、教室をやめ、針を持つのも止めにしてみた
もし、また、パッチワークがやりたいなあ~という気持ちが沸き上がってきたら
その時は再開したらいい。今は取りあえず指を休めようと決めた
2007年になってからは、針を持つことから遠ざかっていたが
やっぱり手仕事が好きだったようで、1年もたたないうちに針仕事がしたくなった。何か作りたくなった
でも、今度は「がむしゃらはやめよう。ゆっくり、マイペースで」という気持ちでやろう・・
ということで、再び針仕事を始めることになったが、やはり指の痛みはあり、運針はきつかった
やむを得ず、大部分をミシン縫いで作品を作ることにした
そして、復帰第一作目が「お花の中で・・」だった
「お花の中で・・」
この頃、孫は3人になっていた
物は潤沢で、何不自由ないように思える昨今であるが
子供を取りまく状況は決して〈豊か〉とは思えない
3人の孫たちが、どうぞ健やかに成人を迎えますようにと
ヨーヨーのお花は誕生日ごとに増やしていった
2007年、このタペストリーを作った時には
まだお花はチラホラ、少ししか付けてなかった
あれから13年たって、タペストリーのお花畑は賑やかになってきた
一番年長の孫は、17個にもなった。あと3個で成人式のお祝いだ
3人のお花が20個ずつ、全部で60個。きれいに咲きそろった時が、このタペストリーの完成だ