神無月(かんなづき)
神無月・・一説には、八百万の神々が出雲に集まり、縁結びの相談をするという月
全国の神様が、出雲にお出かけで留守になるので、「神無月」というとか・・
出雲の国だけは、たくさんの神様たちがいらっしゃるので「神在月」というそうだ
神様たちは出張でお留守のはずなのに、今月はお祭りが多い。どうしてかな?
旧体育の日(10月10日)は、晴れの準特異日で
54年前の東京オリンピック開会式の日も
前日までの雨が嘘のようにあがり、秋晴れの下での開会式だった
なのに、今年は月初めから、台風は来るわ、秋雨前線は停滞するわで
グズグズ天気が続き、10日も秋晴れとはいかなかった。
今日、やっと青空が見られた。清々しい秋空だった
雨で延び延びになっていたオオグロの稲刈りもやっと行われた
田植えから120日余り、無事に収穫を迎え、何かうれしい
私が育てたわけではないが、折に触れ様子を見に行っているうちに情がわき
なんだか、卒業生を見送る用務員さんのような気持ちになった
コンバインでの収穫は早い!見る見るうちに稲が刈り取られていく
収穫されたモミは、コンバインから軽トラの荷台に設置された袋に移され
作業場に運ばれる。30分ほどの刈り取りで荷台の袋がいっぱいになった
持ち帰ったモミを軽トラから乾燥機のホッパーへ移すのも、ホースを使って省力化
乾燥機でほぼ一昼夜乾燥し、適正な水分量にまで下げる
乾燥の具合は、コンピュータ制御で行われているので放っておいても大丈夫だそうだ
オオグロの稲刈り、出来はどうだ? コンバインに貯まったモミを軽トラに移す
軽トラの荷台の袋から、右手の大型乾燥機にはホースをつないで移す
軽トラと乾燥機のホッパーをつなぐホース
中にコイル状の金具が入っていて、それが回転してモミを前に運ぶ
大型乾燥機でほぼ一昼夜乾燥した後、籾摺り(トース)をする
左手、大型乾燥機。右手上のオレンジ色の箱が乾燥したモミの貯蔵庫
そこから下に落として、右手下の籾摺り機で籾摺りをする
貯蔵庫から落ちてきたモミは、籾摺り機の中を通過する間にもみ殻と玄米に分けられる
小米を取り除き、出荷に適合した玄米だけが、パイプを通って計量器に落ちてくる
コメ袋には玄米30キロを入れる(風袋の重さを加算して30.5キロにセットしていた)
計量器には、袋の口を開く道具や自動停止装置がついているので、人が付いていなくても大丈夫
30.5キロになると、ローラーの上を滑らせて移動させる
袋の口をしっかり閉じ(ここだけは慣れた人の手が必要)、隣の「楽だ君」に乗せる
右端の道具が「楽だ君」。米袋を乗せると、自動的にも持ち上がる
地面から持ち上げるのが難儀な米袋も、腰の高さまで上がると、運びやすくなる
30袋(15俵)になると、フォークリフトで貯蔵場所へ運ぶ
コンバインでの刈り取りから、玄米の保存まで、Sさんご夫婦二人での作業だ
9月末からほぼ1か月、2町余りの田んぼの収穫作業が続く
10月半ば、収穫・籾摺りがほぼ終わった頃、Sさんはコンテスト用の米を送った
ヒノヒカリ・キヌムスメ各2キロずつ、出品料各4000円だそうだ
ここまで手塩にかけて作ったお米、是非とも一等賞を取ってもらいたいもんだ
部落の祭りが21日・22日にある。祭りの前にJAの加工場で甘酒を作るのが恒例となっている
発酵食品を作るのは、寒い時期が適しているので、秋から冬にかけて加工場は忙しくなる
私たちも今シーズン初の加工場作業に入った
甘酒とひしおを作るのだが、最近ひしおの需要が減ってきて量を加減している
それに比べて、甘酒は人気上昇。甘酒効果がマスコミで度々取り上げられた影響もあると思う
今年は、15日から18日まで4日間かけて作った。出来は上々だった
これから冬場に向けて、甘酒を飲んで体調の維持・免疫のアップをはかろうと思っている
21日・22日は部落の神社のお祭りだ
嫁いで半世紀近くになる。祭りの有り様もずいぶん変わってきた
嫁いだころは、親戚縁者を招いて、祭りのご馳走をふるまっていた
バラ寿司・鰆の刺身・煮つけ・酢の物天ぷらに炊き合わせ・・これでもかというくらいの料理が並んでいた
私が嫁いだ家では、祭りの日以上にご馳走を作る日はなかった。お正月やお盆以上だった
夜には、神社の境内で神楽が奉納され、みなゴザや座布団を持って出かけていた
重箱に詰めた祭りのご馳走も忘れずに・・
そんな祭りの風景も急速に変化していって、今では祭りの賑わいは全くなくなってしまった
祭りが近づくザワザワ感も、ウキウキした気分も何もなく、ただ祭りの日が過ぎていくだけ
唯一、祭りに幟をあげることだけは今でもすたれていなくて、それだけが祭りを思い出させるよすがになっている
何故なんだろう・・一つには若い人がいなくなって、部落そのものが活気がなくなっていること
さらには、「ハレの日」と「ケの日」の区別が薄れて、いつもお祭りみたいな日になっていること
あるいは、集団で盛り上がるよりは、個々の家でそれぞれのお祝いの日を大事にするようになったこと
他にもいろいろ理由はあろうが、この部落では、祭りは廃れてしまっている
祭りの幟もいつまで続けることができるのか、はなはだ疑問である。限界集落の現実である
祭りの幟を立てる前日、竹竿に旗をつけて準備しておく
幟は19日の朝、立てることになっている。立てる場所まで運び、みんなで協力して立てる
この風景も、いつまで続くか・・皆高齢者になっているので・・