卯月(うづき)
ウグイスの鳴き声が様になってくる頃、桜の花が咲きだし、本格的な春の到来となる
春を告げる花は数多くあるが、なぜか、春と言えば桜を思い浮かべる
咲き始めて良し、満開を迎えて良し、散り始めて良し、散った後もまた良し
桜は、どのような姿であれ、こころを浮き立たせる花である
名所になっている桜は、それは見事である。息をのむ美しさである
しかし、人知れずとも、誰も自分だけの自慢桜を持っているのである
この里山にも、そんな桜がある。私だけの自慢桜が・・
元木野山様参道に咲く桜、部落に入るとまず目に入る
「おかえりなさい」と迎えてくれる
Mさん宅の庭にある桜
家を覆いつくすほどの巨木、圧倒される美しさ
山桜が一斉に咲き、山が桜色に染まる
桜源郷に住んでいるような気分になる
満開の桜は、華やかで、はかなげで、人の心を魅了する
しかし、花の命は短くて、やがてハラハラと散り始める
雨や風でもあれば、あっという間に散り落ちてしまう
が、桜は散ってもなお、いいのである
お宮の山桜は、ほかの木に邪魔され、咲いている時はよく見えない
しかし、境内に散り落ちた花びらは、踏むのが惜しいくらいきれい
櫻花は最後まで人の心を虜にする花である
石段にも、手水鉢にも、花びらが散り落ちる。踏むのがかわいそう、どこを歩こうかと迷う
桜の花が咲こうと咲くまいと、「サロン」では4月の初めに花見がある
この部落では、「サロン・ド・カサヤ」という名前で、2年前からサロン活動をしている
この辺りは、比較的人々の交流が保たれている地域だが
それでも歳をとってくると、家にこもりがちになる
「危ない、危ない」・・おこもりさんになると、足腰が弱くなったり、認知症を早めたりする
健康寿命を延ばして、元気で歳を重ねないと・・
それには、「きょういく(今日、行くところがある)」と
「きょうよう(今日、用がある)」が大事、そのためのサロンだ
「サロン・ド・カサヤ」では、月1回、みんなでお茶しながら
ビンゴゲームをしたり、懐かしい歌を歌ったり、クイズをしたり・・
楽しいひと時を過ごしている。人とのふれあいは心を潤す
みんな1.2歳、いや、5.6歳は若くなって帰っていく
地域のつながりは、何かあった時の大きな支えになる
日頃からの何気ない関わり合いは、誰にとっても大きな財産である
大切に育んでいこうと思っている・・人は一人で生きていくことはできないのだから
「サロン・ド・カサヤ」、4月は花見である
去年は早すぎて花が咲いてなく、庭でお弁当を食べた。それはそれで楽しかった
今年は、ちょうど桜が満開の時期だった。桜を愛でながらのお弁当だった
4月半ばになると、山の木々はモヤモヤッとしてきて、やがて柔らかな新芽が芽吹く
生まれたての新芽は、灰色っぽくて頼りない色だ
それが、日に日に、目にも鮮やかな緑色に変身していく
厳しい寒さを耐えてきた〈命〉が再生する時、大きなパワーを感じる
新緑の中に、濃いピンクのツツジが、続いて薄紫のフジが咲き出す
足元のあぜ道・野原には一面にタンポポが、黄色いじゅうたんのように咲いている
自然の中の絶妙な配色、心憎い〈春〉の演出だ
山がモヤッとしてきたら、芽吹きは間近、日に日に山の色が変わってくる
池にも新緑の緑が映り、きれい。優しい緑に癒される
派手な花ではないけど、可愛くて大好きな花
モモとツツジの競演。桜は散っても山には次々と春の花が咲く
GWの直前、4月28・29日は荒神様の春祭りだ
28日、当番さんたちがお祭りの準備をし、夕方から宵祭りが行われる
29日には本祭りをして、次の当番に当番渡しをする
片づけをして、お鏡餅を部落の各戸に配ると、お祭りは終わり
数年前まで、荒神様の春祭りはにぎやかだった
宵祭りの日は、神楽が奉納されるので境内に舞台が設置された
神楽小屋が建つのを見て、「今日はお祭り、神楽があるんだ」と、ウキウキしたものだ
夕方になると、大人も子供も集まってきて、神楽を楽しんだ
中でもお目当ては、大黒様の投げる《福の種》で、その場面が来るのを待った
大黒様が《福の種》を持って登場すると、観客席はざわめき
大人も子供も、ワーワー・キャアキャア言いながら、《福の種》を拾う
《福の種》は2度投げられるが、2度目は神楽の終わりの方になってからなので
子供たちは1度目の《福の種》を拾うと帰ってしまう
夜も更けてくると、観客は少なくなり、淋しくなるが
熱心な神楽ファンは、日付が変わるようになっても席を立たない
もっと昔は、重箱にご馳走を一杯詰めて持参し、夜通しの神楽舞に備えたそうだ
神楽大夫が即興で語る巷のうわさ話を聞くのは面白く
客との掛け合いも、大いに受けて、笑いが沸き上がっていた
今なら、セクハラ発言やカケ・モリ問題で、鋭く軽妙に切り込んでいただろうか
そんな風物詩も、「今は昔」の出来事になってしまった
今は、神楽は無くなり、お祭りと言ってもお参りしているのは当番に人達だけ
境内もガラ~ンとして寂しい。これも時代の流れなのかな
お祭りの準備が整った荒神様の社殿
宵祭りの神事が行われている。
神楽が奉納されていた頃は、前の広場に神楽小屋が建ち
たくさんの観客がつめかけていたのだが・・