2006年シーサイド
元旦は日本で一番早く奉納太鼓を山で叩いた呼松太鼓。
2日は瀬戸内海をバックに元気の出る太鼓を。
その瀬戸内海の高島沖・・・。
時は699年。
紀州熊野権現の御神体を奉じた船が瀬戸内海を西にむかってすすんでいると、
「おーい。おーい。」と船を呼ぶ声がするので、そのほうを見ると、白髪の老人が、
大きな斧を持ち右手に巻物を持って岩の上から
「その船は熊野権現の神様でしょう。私はこの山の向こうの林(郷内)に住んでいる福岡の神です。
どうぞこちらにおいでください。」
と何度も呼んだそうです。
このように、福岡の神が熊野の神霊を呼松の地で『呼び待った』ので「呼待」と言
われるようになりました。
(熊野権現縁起書による。)
さて、その御神体を奉じた役小角の弟子一行は、
神様の呼びかけに答えず、呼松から上陸せず、
さらに児島に下り、下の町の石榴浜にあがり、
正面山を通って郷内に熊野権現を建てました。
その頃、ここ高島も陸から離れた小島であり、
人も少なかったであろうと思われる。
戦後、水島コンビナート形成のため、高島は金浜・塩生と陸続きとなり、
サノヤスやその他の企業が進出。
にぎやかになった。