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1999年4月17日 呼松魚市場で初お披露目の会 橋本先生他2名も東北のお祝いの太鼓を演奏してくれました。
「それじゃ、新聞の一面を飾った私が・・・。」 「ここは、若いぼくが・・・。」 初の演奏会を終えての呼松公民館での打ち上げのことです。 乾杯の音頭が何度も続きます。 気心の知れた仲間と酒を飲むのは本当に愉快なものです。 ましてや、7か月の練習のベストがでたとあれば。 私もにわかに酒飲みと化して、声がだんだん大きくなっていくのでした。
去年の敬老の日に、青壮年部の13人が石川県松任市に出かけました。 バスが浅野太鼓センターにつくと、 何も考えずにセンターの2階に足を運んだのでした。 そこではじめてみんな太鼓にさわりました。
教えてくれる先生は第2期鬼太鼓座の元リーダーで、 ワールドカップの太鼓も手がけたプロなのでようしゃはありません。 一人一人がみんなの前でたたかされ、出来るまで許してくれません。 生まれて初めてバチを持ったというのに厳しい声が響きます。 結局、この日は昼食の休憩をはさんで、夕方の5時までずっとバチをにぎりっぱなしで、 全員、手の皮が破れ、足は棒のようになりました。
さて、この日を境に、週2回保健の家で仕事が終わった後に練習することになりました。 だけど、何もかもが手探りで、何をどうやっていいのか分かりません。 おまけに町内会から「おまえが練習のめんどうをみろ。」といわれたものですから、 背中にずしりと重いものを背負わされた気分でした。 晩酌の量も増えました。
その後、1か月に一度の割合で橋本先生にきてもらって指導を受けるうちに、 太鼓のたたき方のどこがわからないのか、 どこができなくて困っているのかがわかるようになり、 どんどん質問できるようになりました。 メンバーもふえ、練習の合間のちょっとした話が楽しくなりました。 なにしろ、みんなの職業がばらばらで実にいろんな話題が出てきます。 Tシャツも作ろう、ポスターも描こう、ステッカーも作ってしまえ、 と後は勢いがついてしまいました。
そうやって迎えた17日のお披露目の会でした。 ほぼ全員が自分の一番の演奏が出来、 400人あまりの町内の観客も太鼓の迫力に驚いたようでした。 5月の倉敷ケーブルテレビの「水島日記」に取り上げられることも決まりました。 技術的にはこれからもっともっと向上しなければいけないでしょうが、 初舞台ならではの一生懸命さ、緊張感、 そして手探りの7か月のそれぞれの思いが画面に出るだろうなと今から楽しみにしています。
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