招かざる来訪者・台風23号
2004年10月 20日 から21日にかけて本州を縦断した
台風23号の死傷者は、全国で死者68人不明20人を数えた。
1979年の台風20号以降最悪の被害をもたらした。
岡山県でも人的被害が死者6人、行方不明1人、
重傷が5人、軽傷が21人にのぼった。
〔21日午後4時現在のまとめ〕
この他、倉敷市児島唐琴の国道430号は、
海岸線がえぐられため通行止め。
ため池や山も多数崩落。
川から道路へ水があふれ出した。
ここ広江や宇野津でも、
山の保水能力をはるかに超える雨量を記録したため、
土砂崩れが起こった。
16号で記録的浸水被害にあった呼松地区は、
高潮を警戒していたが小潮だったので、
ひとまず胸をなでおろしていたが・・・・・。
普段の練習場
20日の練習場
呼松の水尻川は宇野津の石油タンクの外堀とつながっており、
水門の開け閉めは呼松の管轄外である。
その担当者が予想するよりはるか大量の雨水が流れ込み、
福田東スポーツ広場は一面の湖と化した。
太鼓が心配になって練習場を訪れた
田中早人・大島十字の二人は、
あふれる泥水に言葉を失った。
しかし、「太鼓が危ない。」
自らの危険を顧みず、流れる水とのバランスをとりながら、
やっとの思いで練習場の入り口にたどり着く。
水かさはどんどん増してくる。
「とにかく太鼓を上へ。」
大急ぎでテレビと入口の棚に数個の本皮太鼓を、
残りはドラム缶太鼓を並べ、その上に乗せた。
そうしているうちに、
床が水圧でめくれてきた。
「メキメキッ、ガシャーン。」
鏡も倒れてきた。
水も胸のほうまで来た。
これ以上は危険だ。
二人は練習場を出て、
いそいでグラウンドの土手の方から脱出した。
水が引いた翌日の練習場の中は・・・。
とりあえず、助かった太鼓を公民館に移動し、
片付けに着手することにした。
灯油のにおいがあたりに漂う。
出たごみはトラック1台では運びきれなかった。
「いったい何ヶ月かかるやら。」
まっちゃんが苦労して手に入れた冷蔵庫、テレビ、ストーブ、扇風機。
ドラムセットや子供会の数々の備品。
そして、今までの貴重な記録のビデオや写真集なども・・・。
次の日から床面をはずして乾かし、すべてやり直すことにした。
メンバーのそれぞれの都合のつく日に練習場にきて、
少しずつ復活していく。
床板を張替え、シートを張る。
公民館から太鼓を戻す。
収納棚も二段に増やす。
雨漏りしていた箇所も修理する。
太鼓バチ収納棚も設置する。
そして、11月6日。
リフォーム完成記念及び呼松太鼓忘年会を開く。
久しぶりにメンバーのそろったジュニアは少々興奮気味。
グラウンドでテニスやソフトをしたり、
ギターを持参してみんなで歌ったり。
最後は組体操をはじめだした。
〔焼肉をたらふく食べて力が余ったのかな。〕
11月14日から練習も再開。
久しぶりでちょっとリズムの合わないところもあったが・・・。
寒くなるこれからの季節のために、
まっちゃんが煙突ストーブを設置。
〔写真左上〕
次のイベント目指してがんばっています。