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1999年8月22日 地元で初めて開かれたトライアスロン大会に応援 参加選手にとっても喜ばれる
「ドンドドンドン、ドンドンドドン。」 風の道からボート場にさしかかるあたりから、呼松太鼓のテーマが聞こえてきました。 三福小の廃品回収を終え、急いでかけつけてくれたようです。 最後の力が出てきた私は、地下道を抜け、ゴールに向かいました。 1周600メートルはあるトラックの第1コーナーの向こうに太鼓の仲間と家族がいました。 「ドンドドンドン、ドンドンドドン。」 仲間のほうも私の姿を認めたらしく、一段と太鼓の音が大きくなりました。 そこから、元気よくゴール。 太鼓の音は不思議な力があるんですね。 トライアスロンは、5年前、岡田さんと香川県の讃岐広島大会に出たのが始まりです。 海で長い距離を泳ぐのも初めてだったのに、 バトルにも巻き込まれ、正直死ぬんじゃないかと思いました。 50メートルも行かないうちに心拍数は限界に達し、呼吸もままならない状態になりました。 とにかく、群れから外れて、しばらく立ち泳ぎで呼吸と視界を確保することにしました。 日本一厳しいといわれるバイクとランを終え、フラフラになりながらゴールに向かうと、 「倉敷から参加の中田選手です。ごくろうさまでした。」 と場内放送です。笑顔でゴールテープを切りました。
さて、8・22の第1回児島トライアスロン大会は地元の開催大会です。 スイムはひし形のコースを左回りします。 砂場ではないので、海に入って立ち泳ぎの状態からのスタートです。 しかし、スタートラインのテープの幅がせまく、また潮に流されて動くので、 またもやバトルです。 第3組のスタートは始めての人も多いらしくいっせいに動き始めました。 まさしくタイタニック状態からのスタートでした。 あんなになぐられたのは後にも先にもありません。
バイクはスカイラインを2周 坂がきつく、自転車のギアーは小さい方の三つしか使いません。 前日の下見のバスでは、あまりの高低差に驚きの声があがりました。 しかし、ここは地元です。 何度も試走し頑張る坂と休む坂を体が覚えています。 「がんばれー。がんばれー。」 10メートルおきに青色のボランティアの人の声が聞こえてきます。 こんなに心のこもった応援は初めてで、一人一人に会釈をしながらペダルをこぎました。 バイクではスイムの遅れをずいぶんと取り戻しました。
ランに移ります。 最初はすごいのぼり坂です。 ここは少しペースを落とさないと後が大変です。 できるだけマイペースと地面を見つめて集中していると、 「中田、がんばれ。」 よく見ると児島地区の職場の関係の人たちがずらずらっと並んでいます。 「がんばれ、ファイト。」 えらいはずなのにのぼりきってしまいました。 風の道におりたら、後は平らなコースです。 赤崎小学校前地下道には6年生がこの大会にあわせて応援の絵を描いてくれています。 味野の商店街を通り抜け、野崎邸を折り返すと、残りは4キロ。 沿道の応援の声が途切れることがありません。 中には名簿をめくって名前を呼んでくれる人もいます。 水やスポンジを渡してくれる学生もきびきびしていて気持ちがいいです。 そして、ゴールへ。 初めて地元で開かれたトライアスロンの大会は、 関係者とボランティアと出場者がみんながんばって、無事終了しました。
呼松達人隊のみんなと呼松太鼓のみんな (平成13年夏にはドーバー海峡を横断の予定。そのままメンバー同士が結婚式を。
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