未来
カレンダー,というのだと糾が教えてくれた。
未来の予定を記すために使うのだとも。
初めて知る人間の慣わし。
けれど……初めて目にしたそれは,悲しみの象徴でしかなかった。
これから来る未来を示す欄の中にただ一つだけ書き込まれているもの。
糾が人間の世界へと旅立つ日。
──別れの日。
人間の世界との繋がりを完全に断ち切ってしまえない以上,糾が何時までもこの館に留まれない現実は受け入れざるを得ない。
それでも……その別れの日を冷酷に突きつけるそんなものは……見たく,ない。
そんな我の思いを知らぬままに不思議と皆が陽気に騒ぎ立てる。
何故そんなにまで陽気になれるのか。
それとも糾との別れなど構わないとでも言うのか。
次々と胸の中にそんな言葉が浮かぶ。
だが,それは予想もしていなかった言葉に霧散させられた。
「ミラルカ様の誕生日は9月の++日ですね」
「え?」
誕生日…?
この世に生を受けたことを記念し祝う日。
と言うことは既に知っていた。
けれど……
「我の……?」
古の大地の精霊である自らが何時から存在しているのか,既に忘れ去って久しい。
否,そもそも精霊である自らにはそのようなことを意識する必要性はなく,最初から知らないというほうが適切であろう。
そのような身で,如何にしてその日を定めるというのだろうか?
いや,そもそも定める意味があるのだろうか?
「ミラルカ様,もうお忘れなんですか?」
問い掛けるマージの表情も声は,驚いたような,呆れたような複雑な感情を感じさせる。
そして,それとともに見える微かな怒り。
怒り?
何故?
「今のミラルカ様の誕生日と言ったら,ミラルカ様がご主人様に連れられて,この館に来られた日しかないじゃないですか」
「…!」
あぁ……そうだ。
なるほど,今の自分はかつて存在していた『古の大地の精霊』そのままの存在ではない。
一度滅びの道を辿り,そして糾の強い想いで甦った−新たに生を受けたその日は,正に生誕の日であろう。
「エリカの誕生日も9月ですにゃ」
その一言を切っ掛けにして,皆が次々と自身の誕生日をカレンダーに記していく。
それらが人間が言う意味での誕生日であると言えるわけではないだろう。
けれど,自らがそうであるように,人間との交わりの中で彼女たち自らがそうと定めた日であるならば,それぞれにとっての意味でこの世界に生まれた日であるならば,それが彼女らの誕生日なのだ。
「お祝い……しなきゃね」
「そうだな」
幾つもの書き込みがなされたカレンダー。
別れの日の寂しさは消えない。消せない。
けれど……未来が悲しみだけでできているわけではないことを思い出せたから,だから,大丈夫。
もう,怖くない。
おわり−