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岡山県倉敷地方のケーブルテレビに勤めていたちびっこアナウンサーの個人的な取材日記です。
ぜんぜん更新していません…反省してます。
(ちびっこイラストはken2画伯です、光栄です)
したの写真は熊山町で行われていた「山・里に出た美術展」の一こまです。熊山町の工悦邑というところには4人のアーティストが固まって住んでいます。
この美術展は工悦邑の野外に130くらいの作品が陳列されました。たいそう面白かったです。
次は出展してみたいな。
この作品は、ステンドガラスならぬ「ステンドクロス」です。

緊急告知
このページは近々リニューアル&引越し予定。
引越し先決定!http://www.age.jp/~chibi
また遊びに来てね。
手話ミュージカルについてはこちらをごらんください。
音楽担当のはのさんのHPです。
手話ぎゃらりぃがらくたのホームページもできたようです。
もう少ししたらリンクする予定です。

双子のじいちゃん米寿 2001.5.24thu.
山手村の岡谷にふくろう美術館があります。
そこに住むおじいちゃんがこのたび88才の米寿を迎えました。
おじいちゃんには、双子のお兄ちゃんがいます。
二人の名は、牧野万亀(まきのまき)さんと林千鶴(はやしちかく)さん。
二人はとっても仲良しで元気。
いまでも、一緒に魚釣りに出かけたりしているそうです。
千鶴さんは農作業、万亀さんは裁縫で毎日過ごしています。
誕生日には、玉野のお菓子屋に嫁いだ孫が似顔絵入りの巨大ケーキを贈ってくれて、お祝いをしました。
しかし、千に鶴で千鶴(ちかく)、万に亀で万亀(まき)とは
いかにも長生きしそうなお名前です。
つるさんかめさんとして、名物の双子になって長生きしてくれたら良いな。
クラシックカーのパレードがやってきた 2001.5.11-12
100台からなるクラシックカーのパレード「ポンテペルレ」が倉敷にやって来ました。
ポンテペルレは、二年前に震災からの復興と明石海峡大橋の一周年を祝うために始まったイベントです。
一年目は、通称「パールブリッジ(ポンテペルレ)」の明石海峡大橋を渡ったそうです。
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興味津々のばあちゃん |
そのクラシックカーのパレードが倉敷にやって来ました。
ポルシェとかアルファロメオとか年代物の車がピカピカの姿で走ってきました。
クラシックカー100台の初日のゴールは、倉敷チボリ公園でした。
倉敷チボリ公園の中に一般(?)車両が入ってきたのはこれがはじめてだったそうです。
そしてパレードは、アイビースクエアに一泊して12日は倉敷美観地区内をパレードしました。
とってもめずらしいパレードですが、車の持ち主が参加費を払って参加するので、
誘致料とか広告費とか必要なく、倉敷市にとっては、元手がかからなくていいお話です。
このパレードにはなんと有名人で堺正章さんや保坂尚紀さんも参加していたようです。
スパイダーズファンの私としては、確認出来なかったのが残念です。
学校にレンコン田 2001.5.9.wed.

倉敷市立連島南小学校は、レンコンの特産地鶴新田にあります。
連島南小学校の5年生は、総合学習の時間「はすの子タイム」にレンコンを栽培することにしました。
ここの学校のびっくりする所は、なんと、学校のグラウンドを深く掘って、レンコン田を作ってしまったところです。
深さは1.5メートルくらいあるそうです。
この日は、5年生全員で、「たねれんこん」を植えました。
時のひと倉敷に 2001.4.24.tue.
台湾の李登輝さんが倉敷に来ました。
李登輝さんは台湾の前の総統です。
中国は台湾を一国として認めていないので、李さんの来日には中国が怒ってしまって大変でした。
そんな李さんも心臓病治療の為に日本にくることが決まり、
なんと、岡山県は倉敷中央病院で診察を受けることになりました。
そんなすごい先生がいたなんて、驚きですね。
時の人の来倉は大騒ぎでした。
「歓迎」の日の丸を掲げる台湾出身者もいれば
「台湾独立反対」の横断幕を掲げる中国の人もいました。
(歓迎の人のほうが多かったようで、大きな混乱はありませんでした)
しかし、何がすごかったかというと、報道陣の数でした。
その数およそ200人。
日本の新聞15社テレビ局7社。
台湾からは9局が訪れました。
テレビ局7社というのは系列の数ですので、NHKと民放5社、それにKCTという布陣です。
NHKからは、岡山のみならずハイビジョンもきていたし、
民放にいたっては岡山の5社とキー局5社が混在し、たくさんの中継車が止まっていました。
そして、それぞれの社が複数のカメラを持って来ていますのですごいカメラの数でした。
KCTでさえ3台です。(デジカム含む)
警備の人たちも多かったです。
さて、李さんはというと、クルマで来院し、玄関では1度降りて挨拶するというサービスの良さでした。
診察の結果、治療することになり、
心臓の二箇所の血管に管を入れたり、バルーンを入れて拡張させたりしたそうです。
それで、予定には無かったのですが大事を取って入院することになりました。
さて、李さんは倉敷で、そんな治療が必要なことを感じさせない行動をとりました。
ちょっと早く倉敷についてしまったので、ふらっとアイビースクエアにたちよったのです。
予定外の訪問に驚く社長と談笑したそうです。
話の内容は、主に倉敷のことで、自分のことや国のことは話さなかったそうです。
大原美術館について、関心があったみたいで、きっと観光したかったんだろうな。
メーデー 2001.4.22.sun.
メーデーは1868年にアメリカで労働者たちが8時間労働制を勝ち取ったのを機に始まりました。
日本では1920年から労働者の権利確立を目指す呼びかけが行われているそうです。
でも今は、メーデーとは名ばかりで、イベント重視になってきています。
岡山県には県内の労働組合で組織する「連盟岡山」が1990年に結成されました。
その連盟岡山はメーデーに因んだ行事を毎年行っています。
例えば、倉敷・早島・船穂・金光・鴨方の1市4町の労働組合は連盟岡山・倉敷地区協議会を作っていますが、
今年は水島サロンで「ふれあいメーデー」を行いました。
1100人が集まった式典は、参加者がのぼりを持ったりして労働者の祭典を感じさせました。
しかし最近は労働条件の悪い企業も目立たないので、
今やメーデーは「労働条件改善の為に努力してくれた先輩たちに感謝しよう」というイベントになっているようでした。
それに、今年は参院選が近いこともあって、選挙のためのアピールも行われていました。
労働者の権利を勝ち取った記念日・5月1日を示す「メーデー」という言葉は残っていますが
今は5月1日といえば大型連休の真っ最中。
そんな日に動員をかけても人は集まらない、と連休に入る前にイベントを行っているようです。
平和なんです。
保育園児がポストを清掃 2001.4.19.thu
4月20日は、郵政記念日です。
4月14日から20日までの一週間はポスト愛護週間とされていて、
郵便切手類販売所協会がポストの清掃などを行います。
水島地区にも郵便局のほかに切手やハガキを売っている店は113店あります。
郵便切手類販売所協会はそういった店で構成されています。
今年は倉敷市水島北幸町の水島郵便局前のポストを
小ざくら保育園の園児たちがきれいにふきました。
そして、きれいになったポストに手紙を投函しました。
3月で転任しちゃった前の園長先生にお手紙書いたんだって。
一年生安全に通学を 2001.4.4.wed.
富士銀行と安田グループ3社はこれから小学校に通い始める新一年生全員に
毎年、交通安全を願って「黄色いワッペン」を贈っています。
一年生の左肩(歩道を歩く自動車が通るほう)に付いているワッペンです。
小さい一年生に「自分は交通ルールを守って通学するんだ」という自覚を持ってもらうのと
ドライバーに黄色いワッペンで注意を喚起する目的です。
これがまたよく出来ていて、
このワッペンには一年間、交通事故にあった時のための保険がついています。
また、素材もとうもろこしから出来た自然に帰るものだそうです。
黄色いワッペンは新一年生のしるしです。
「よい子に注意・よい子も注意」
倉敷市保健所政令市へ 2001.4.1.sun.
倉敷市が保健所政令市に移行し、独自の保健所を開設しました。
倉敷市笹沖に建設された倉敷市保健所の隣には、
くらしき健康福祉プラザが併設されました。
今まで、倉敷市は、保健所の仕事である
母子保健や老人保健・栄養指導などの「対人保健サービス」は行ってきていました。
これから委譲する仕事は、食料品店や風呂屋・理容店などに営業許可を出す「対物保健サービス」をはじめ
対人保健サービスでも、取り扱うのが困難な精神保健や感染症予防など、
また、食中毒が発生した場合に原因究明に努める業務など1400以上の仕事が移ってきたことになります。
倉敷市の保健所政令市移行は来年の中核市移行を視野に入れてのことです。
中核市になれば、県や国と同じ立場でものを言うことも可能です。
倉敷市は今までに中核市になる条件(町の広さや人口)はクリアしていたのですが
保健所業務を行っていないために移行していませんでした。
ところで、
「くらしき健康福祉プラザ」は、
福祉のまちつくりを勧める倉敷市が住民サービス向上の為に建設をすすめていた施設で
保健所と同じ敷地内だったら便利だし、人もたくさん訪れるのではないかということで
一緒にオープンしました。
この施設は、基本的には障害があって今の施設は利用しにくい人のための施設です。
体育館とかジムとか水浴訓練室などもあります。
視能訓練や聴覚訓練のための部屋もあります。
子育て支援センターやボランティア活動のための部屋もあります。
点字印刷室や字幕ビデオ編集室、朗読録音室もあります。
倉敷市の総合福祉拠点施設が完成しました。
日本最古の製鉄コンビナート 2001.2.24.sat.
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総社市山田にある砂子(さご)遺跡は、古墳時代の製鉄工房跡です。
砂子遺跡には、竪穴式住居・焙焼炉(ばいしょうろ・鉄鉱石を焼いて砕くための窯)・粘土敷きの作業場・鍛冶炉・炭窯などが出土しています。
つまり、一貫した製鉄行程を備えた、古墳時代のコンビナートのような遺跡なのです。
その鉄工房跡には大量の鉄鉱石も発見されています。
鉄の含有量が高く、磁石にくっつきます。
(川鉄から借りてきたという現在の鉄鉱石はくっつかなかった)
6世紀前半の工房跡からそれはそれは大量の鉄鉱石片が出てきたため、
ここで6世紀に鉄が作られていたことは確実と思われます。
さらにすごい発見は、村の中央にあった大溝の跡が、土の層になってるのですが、その層から、5世紀末の須恵器が発掘されました。
5世紀末から、高等な製鉄技術が導入されていたとすれば、日本国内の鉄生産の起源を考える上で貴重な成果です。
また珍しい「子持ち勾玉」も発見されました。
作業の安全を願ったものと思われます。
また、とても完全なかたちで須恵器の数々が出土していて、その時代に鉄を作っていた人は大変裕福だったと思われます。
私は知らなかったのですが、古墳時代、岡山は「鉄の国」だったんですって。
この発掘調査で、古代吉備の国が高度な製鉄の技術を持っている国だったということが裏付けられました。
日本最古の製鉄工房跡は三千uで、その主は、もしかすると真備町の「箭田大塚古墳」に埋葬されているかもしれないとか。
屋根のある建物の下でふいごを踏む古代の製鉄所を想像すると、まさに「もののけ姫」の世界。
まさに「まがねふく吉備」の世界です。
しかし、この発掘は、ほ場整備のために行われているものなので、調査が終わったら、土に埋めて、田んぼにしてしまうそうです。
残念ですね。
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