随筆・徒然なるままに

7 免状制度について

平成26年4月

←尺八の恩師
  虫明圭山先生


私は、11歳(箏を始める以前)から、尺八を虫明圭山先生について

習っておりましたが、入門当時の師匠との、ツーショット写真があ

りませんので、代わりに昭和27〜8年頃の写真を紹介させて頂きます。

ちなみに箏を弾いているのが、若かりし(私を産む以前の)母です。

そして三絃は、母の師匠であり、私の箏の手ほどきの師匠でもあり

ます難波道典先生です。(前号を参照して下さい)



このような、お免状は、今となっては大切な思い出であります。

しかしながら、その後、上級免状を取るに従って、免状制度の弊害

や疑問を感じるようになりました。

宮城道雄先生も、そもそもは免状制度に反対だったそうですが、周

囲に説得されて不承不承で賛意したと聞いております。

私が弟子に免状を出すようになって感じた事は、互いに優劣を競う

事が高じて、それが嫉妬心につながり、引いては同門の中の人間関

係までがギクシャクしてしまったような事もありました。

また私自身も、師範免状を受ける折に、その前段階である教師試験

で、私よりも成績が下位で遅くに合格した後輩が、私を追い越して、

先に師範免状を取得したという不可解な事もありました。

その時は、私も面白くない感情を抱いてしまったのですが、後に宮

城道雄先生の随筆の中で、「私は、自分の値打ちを自分でこしらえて

人に見せようという気にはなれない。」という一文に接してからは考

えを改めて、「以後は、そんな事にこだわるのはやめよう。遅く取ろ

うが早く取ろうが、師範の価値に変わりはないのだから。」と納得致

しました。


その次に、免状制度の弊害として思う事は、最高位の免状を取得す

ると、いつしか自分が偉くなったと錯覚して慢心してしまう事です。

本来ならば、高位の免状を取れば取るほどに、謙虚にならなければ

いけないはずです。


それから免状制度について疑問に思う事の一つとして、御礼の問題

があります。

私は、宮城社に転門する以前に、他流派で初伝免状を取得した訳で

すが、宮城社に転門した場合は、また初伝から取り直さなければな

らないという規定があります。

それは理解できるとしても、そこに何故、御礼までが派生するので

しょうか?

私は、弟子に免状を授与するにあたり、家元で定められた以上の金

銭を、弟子に要求した事は一度もありません。

たまに志で御礼を包まれて来られる方もおられますが、それとて免

状料の半額等と言うには、ほど遠いものです。

尺八の恩師、虫明先生からも、箏の恩師、難波先生からも、一度も、

そのような不可解な御礼を強要された事は、ありませんでしたが、

中には免状制度を利用して、更なる金儲けを企む師匠がおられると

いう話を、私は方々で耳にしております。

このような事も、邦楽が発展して行かない一要因ではないかと危惧

しております。

最後に、手前味噌ではありますが、私の尺八での免状を披露させて

頂きます。

これらの免状は、思い出として大切にしまっております。


←尺八の初伝免状
  昭和41年(小学5年)で入
  門してから翌年に頂きまし
  た。
  後に、圭凰という号を頂き
  ました。



←尺八の準師範免許状
  高校からは上京しましたの
  で、夏休みなどで帰省した
  折の僅かな期間で、細々と
  稽古を続けておりました。
  しかし、これ以上に尺八の
  真髄を究めたいとは思い
  ませんでしたので、一応、
  ここで終了しました。



お知らせ


難波道典(本名、澄子)先生の親族の方が、先生の経歴を、ブログ

で紹介しておられます。

http://jokky2.exblog.jp/21058026←こちらからどうぞ