ブルートレイン01/11/24

 昭和52年頃、小学生の間でスーパーカーブームに続き、ブルートレインブームが勃発した。当時日曜日の夜のゴールデンタイムにテレビ放映されていた日曜特バンでブルートレインが紹介された。内容は岸由紀子らが東京発の「富士」に乗り、終着駅の西鹿児島までを密着レポートするというものであった。その間に当日「富士」乗り合わせた乗客を始め、各地のブルートレイン、駅で写真を撮る子供たち、夜も働く車掌さんや食堂車職員などの姿も紹介された。ブルートレインが大変魅力的に紹介されており、完成度の高い番組であった。この番組の影響もあり、当時のブルートレインブームはますます過熱していった。駅には写真を撮る子供たちがあふれ返り、いつ事故が起きてもおかしくない状態となった。撮影者の整理専用の駅員まで配置され、次第に規制が厳しくなり、東京駅などは肝心の列車の前と後ろの場所は完全に立ち入り禁止となった。これほどすごい列車なので当然プラレールとして登場している。

富士
プラレール化されているブルトレです。当時東京から西鹿児島までを日豊本線経由で結ぶ日本最長距離を走る名門列車だった。所要時間が24時間20分ほどで、下り列車が東京駅を出発する頃、前日に出発した列車がまだ終着駅に向けて走っているというスケールの大きな列車だった。プラレールはEF65の500番代ですが、私が写真を撮り始めた頃はほとんどが1000番代になっていました。その後名古屋駅で「さくら」が起こした事故の影響で「さくら」と「富士」のヘッドマークのデザインが変わった。従って実物はプラレールのように500番代に山型のヘッドマークが付いたことはありません。

昭和57年 下関駅
あさかぜ
最初にブルートレインとして東京-博多に登場した名門列車です。この写真は東京-下関「あさかぜ」です。通常ここ岡山地区は早朝4時台の通過となりますが、この写真は台風で大幅に遅れて通過した時のものです。
昭和60年 倉敷-西阿知
ブルトレ「あさかぜ」登場時の姿を彷彿させる臨時「あさかぜ52号」です。登場時の豪華編成ではなくB寝台ばかりのモノクラス編成でヘッドマークもありませんでした。

昭和57年 下関駅
はやぶさ
こちらは鹿児島本線経由で東京-西鹿児島を結んでいた列車です。名前やヘッドマークのデザインがかっこよく、子供たちに人気がありました。
さくら
東京-長崎・佐世保を結んでいた名門列車です。プラレールと違い、電源車の無い14系で運転されていました。

昭和57年 東京駅
みずほ
地味ながら大変歴史のある列車でした。東京-長崎・熊本を結んでいました。地味さと時代の流れで、東京発名門ブルトレの中で一番早く姿を消してしまいました。

昭和57年 下関駅
瀬戸
東京発で、一時期私の住んでいる岡山県内(宇野)が終着の唯一のブルトレで、とてもなじみのある列車でした。昼間はずっと宇野駅に待機していたのでいつでも見に行くことが可能でした。
昭和58年 大元駅付近
銀河
めずらしい急行の寝台列車です。東京−大阪を結んでいました。20系にも絵入の大きなテールマークがついていました。

昭和59年 大阪駅
プラレールのブルートレインは人気列車だけあって販売年数がすごく長くなっています。従って各種バージョンが存在するようです。個人的には丸型ヘッドマーク文字テールのものが一番好きですね。