とっきゅう
     

我々30代の人間がプラレールと聞いて一番最初に思い浮かべるのがこの車両ではないでしょうか。(私だけかな?) 実車でもプラレールでも私が特に気に入っている車両のひとつです。
右側の写真は昭和47年に家族たちと旅行(といっても日帰りでこの列車に乗ったわけではありません)に行った時のものです。場所は倉敷駅で列車名は不明です。ただ車両の形式はクハ481−○(○は一桁ですが判読不可能)です。黄色い帽子をかぶっているのが私で当時より列車好きだった私は真剣この特急を眺めています。


ひたち

常磐線経由で上野と茨城県内を中心に仙台を結んでいた。当時8往復の運転で平・原ノ町行きがほとんどで一部が仙台まで運転されていた。

昭和57年 鶯谷付近
白山

上野と金沢を信越本線経由で結んでいたL特急。途中の急勾配碓氷峠での協調運転(重連のEF63と)に備え489系が使用されていた。

昭和57年 鶯谷付近
ひばり

上野と仙台を東北本線経由で結んでいたL特急。ときと並んで13往復の運転でした。東北新幹線の開業でいち早く消えてしまった特急です。

昭和57年 鶯谷付近
北越

金沢と新潟を結んでいた特急。雷鳥の補完的役割を担っていた。大阪まで運転されいた時期もある。

昭和58年 金沢駅

とき

上野と新潟を結んでいたL特急。183系に混じって写真の181系が活躍していた。この車両はボンネット特急元祖である151系直系の車両で貴重なものでした。当時、在来線最多本数13往復の運転でした。引退後グリーン車のみ改造され東京発の東海道線普通列車に組み込まれ活躍していた。

昭和57年 上野駅





下の写真のように文字ヘッドマークの頃は「とき」というひらがなと「TOKI」というローマ字にプラスして「朱鷺」という漢字も入れられていた。

昭和53年 上野駅
雷鳥

大阪と富山・金沢・新潟を湖西線経由で結んでいたL特急。グリーン車2両、食堂車を含んで12両編成で12往復運転されていた。ボンネット姿は今でも見られるのかも?

昭和59年 新大阪駅
雷鳥

何の変哲も無い「雷鳥」の写真ですが、撮影場所がすごい。何と地元岡山駅です。回送列車です。ごくまれに岡山でも普段見る事のできない485系をみることがありますが、列車名入りヘッドマークを付けたままのものは珍しいと思います。

昭和60年 岡山駅

うずしお

昭和30年代から40年代に東京・大阪から宇野(岡山県)を結んでいた特急を1日のみ復活運転した時の写真です。現役当時無かった絵入りヘッドマークを付けていました。





昭和60年頃(すみません忘れました。) 宇野駅
はと

この列車も先日復活運転されましたが、これは現役時代のものです。
写真が古く、変色してしまいました。

昭和40年代 倉敷駅
みどり

博多と佐世保を結んでいたL特急。途中まで「かもめ」と併結されて走る。ボンネット側はクロでグリーン車だった。


昭和57年  博多駅
有明

門司港・博多と熊本・西鹿児島を結んでいたL特急。


昭和57年 南福岡付近
南福岡駅ホームより南福岡電車区を撮影(昭和57年)。その模様をプラレールで再現してみました。向日町運転所なども再現してみたいのですが寝台特急がないので・・・(泣)。ところでプラレールの「とっきゅう」はひげなし赤スカートなので、やはり九州の485系がもっとも似ていますね(上の有明の写真参照)。
ついでに「とっきゅう」と「特急電車」の違いです。