駐車場9:06−見張所9:18−天神山地蔵9:30−下の段9:36−天神山城跡本丸9:44−10:11三角点・軍用石10:30−本丸10:50−侍屋敷11:20−登山口11:25−駐車場11:33
天神山(てんじんやま409m)は2度目になる 好天の秋の下家内と共に尋ねた登山口からいきなり急勾配、10分程度で見張り所と記載の場所に出る 吉井川が眺望出来る 天気が良く川の水が澄んでいる事からゆったりとした感じがする 敵の襲撃を見張る緊張感とは別世界である そこから更に登りが続く 下の段、西の段、三の丸を過ぎ、桜の馬場までくるとなだらかな道となり長屋の段、上の丸、本丸、飛騨の丸と続く 飛騨の丸には戦国時代宇喜多直家に滅ぼされた浦上宗景の碑が建っている
更に進むと馬屋の段、南楼台、南の段、亀の甲、下の石門、上の石門、太鼓の丸、東の石門、軍用石と続き、その先に三等三角点がある 三角点からの眺望は得られない 軍用石の所で小休憩する 石が日射しに照らされ暖かく心地が良い 下山は飛騨の丸までもどり、四十曲がり口に下山 侍屋敷跡がある
下山途中に3パーテイ9名と出会う 手頃な山であり人気があるようだ
国道2号〜県道96和気〜国道374に入り北上する 佐伯町に天神山城跡登山口と記載がある 登山口の表示がある道路脇に駐車させてもらう
ふるさと資料館 ふるさと資料館を尋ねた 浦上宗景が築城したのは1531年であり宇喜多八郎は1536年8才の時宗景の家臣となり1544年に元服して直家を名乗る 同時に宗景が直家を岡山の乙子城主にする その後直家は毛利に付き離反,宗景の信長側との戦いとなる 宗景の天神山城は1577年に落城した 宗景,直家の主従関係から,戦国時代の流れにより両者が戦う事に至る歴史の流れが記載されている それにしても 宗景を中心とした武士軍団が40年余りの期間この山城で生活していた事になる それが出来たエネルギーは一体なんなのだろうか?
天神山城鳥瞰図が資料館に記載されており400年前の世界を彷彿させてくれる鳥瞰図を見てからの登山は一段と歴史の散歩に興を添えてくれよう