砂川公園7:08−7:32鉄塔#353入口−7:34鉄塔#352入口−7:55鉄塔#352_7:57−8:02鉄塔#351_8:03−8:05経山山頂−8:13分岐−8:16自動車道−8:23鬼の釜−8:36鬼城山ビジターセンター−8:41学習広場8:49−8:54角楼8:55−8:57鬼城山山頂−9:05北門−9:13分岐−9:30鬼城山ビジターセンター−9:42経山登山道入口−9:46分岐−9:57鉄塔#350−10:08分岐−10:15自動車道−10:22森林公園砂川の森10:25−10:34砂川公園
今日は経山(きょうやま373m)・鬼城山(きのじょうさん397m)を訪ねるウグイスの声を聞きながら登山支度をする 少し肌寒く感じるがウインドウブレーカーはリュックに入れ出発する 砂川公園に入り水路に沿って進む
園地から自動車道に出る サクラが出迎えてくれる 背景が青空でないのが残念だ 鬼ノ城駐車場まで3000mと書いた標識を見て道路を登って行く アセビ オオバヤシャブシが花を咲かせていた 赤坂池に出る 釣りをされておられる方がいた ここで釣りをしているのを見るのは初めてだ 池の対角線にこれから登るルートにあたる鉄塔が見える
ヒサカキが沢山の花をつけ ミツバツツジが花芽を膨らませていた ヌルデ*(*は実を意味する) ソヨゴ*を見つけ登て行くと 道路右脇に大きな土嚢が並んでいる 土砂崩れがあり斜面が削れている 昨年7月の西日本豪雨の時の被害だろうか 豪雨以来ここを訪ねるのは初めてだ
鬼ノ城駐車場まで2000m標識を過ぎるとまもなく鉄塔#353巡視ルート入口に出る 今日はここを過ぎて1,2分登った位置、左手に鉄塔#352巡視ルートがあり そこへ入る この辺りはヤブツバキの木が幾本もあり、花を楽しむ事が出来る
鉄塔#352巡視ルートを行く ルート脇の草が切り払われ整備されている 登山ルートとして案内板には紹介されていないが 私のように登る人が多いのだろうか コシダ シダが多いルートを登って行く ヒサカキ コバノミツバツツジが花を咲かせているのを見つける 今日の狙いはタムシバ 昨年3/27に訪ね ここで期せずして見つけた事からキョロキョロと枝先を探す 確かこの辺りではないかと思うが、花は見られない 花芽ですら見つからない 見つけられないまま鉄塔#352に出る
ここからは山を右手に巻いて行く 前方に#351鉄塔が見える なだらかな登り 歩いていると昨年訪ねた時、鉄塔#351の近くにタムシバが咲いているのを見つけた事を思い出し 白いものが見えないか探す 何か白っぽいものが見えたので期待しながら鉄塔に出たが 白いテープであった 残念
鉄塔#351の展望スポットに立ち 倉敷市街地を一望する 山肌に白いものが見えないか見まわしたが 認められなかった 景観を一望し、三角点のある山頂標識を経由して鬼城山へ向かう 経山の山頂は眺望が得られない 少し行くと経山城跡と書いた標識がある そこに記載されている説明を書いておく
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経山城跡
経山城は、守護大名の大内氏が天文年間に築いたといわれる山城です。天文十二年(1543)に赤松春政、元亀二年(1571)に尼子晴久の城攻めがあり、天正十年(1582)の高松の役後に廃城となったと考えられます。
城は、山頂の主郭を囲むように壇や郭、曲輪を配し、さらに石垣や石塁、堀切を備えるなど、城の形状がよく残されている山城です。
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案内標識を後にして、ルートを降りて行く この辺りはタムシバの木が多い 周辺をキョロキョロ探しながら行く 残念ながら花らしいものは見つけられない ルートを降り鬼城山へ向かう
分岐を右へ折れ自動車道に出る 暫くは自動車道を行く アセビ アブラナ(菜の花) スギナ アンズの花に出会うが オオイヌノフグリはまだ花を閉じておりホトケノザはやっと咲いているのを一輪見つける事が出来た状態で 野辺の花はこれからのようだ そして 鬼の釜に出る 鬼の釜のところにも説明が記載されていたので書いておく
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鬼の釜
口径約185cm、深さ約105cmの大きな鉄の釜です。底の一部が欠けています。
釜は鋳物で制作されたもので、鋳型のつぎ合わせた痕が明瞭に残されています。
そのむかし、鬼ノ城に住んでいた温羅(うら)と呼ばれる鬼神がいけにえをゆでたと言い伝えられていますが、江戸時代に近くの湯釜谷から出土したという事実からも、山岳寺院であった、ここ新山寺の湯屋に使用された湯釜と考えられています。
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鬼の釜のところで自動車道を斜め横断し遊歩道に入る 花はざーっと見では見つからなかったが花を開かんばかりのセイヨウタンポポとタネツケバナを見つける事が出来た ため池の脇を抜け ビジターセンターの裏手に出る タムシバが一輪花芽を膨らませていた やっと見つけたタムシバだがズームで撮った写真はピンとが甘かった
そして鬼城ビジターセンター(まだ開館前であった)を抜け センター入口にある大きな説明板に行き 写真に収める 結構な文字数だが書き出しておく
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国指定史跡 鬼城山(鬼ノ城) 昭和61年3月25日 指定
鬼ノ城は標高約430mの鬼城山に築かれた壮大で堅固な古代山城です。吉備高原の南端に位置しており、眼下の総社平野には集落が営まれ官衙(かんが役所),寺院などが造営されました。また、古代の山陽道が東西に走り吉備の津(港)から瀬戸内海への海上交通も至便であり、まさに政治、経済、交通上の要地を一望できます。
鬼ノ城の山容は擂鉢(すりばち)を伏せたような形状をし、山頂付近はなだらかな斜面となっていますが、山の八−九合目以下は著しく傾斜しています。この山頂部との傾斜が変化する部位に城壁が築かれ、全周約2.8kmに及んでいます。
城壁は版築(はんちく)工法のより築かれた土塁が主体をなし、城門が四ケ所、排水機能をもつ水門が六ケ所、また石垣などにより構成されています。
特に復元整備を実施している角楼(かくろう)から第0水門までの城壁は、巨大な西門や、ゆるぎなく突き固められた土塁が復元され、当時の雄大な姿や精緻(せいち)な築城技術を窺うことができます。
城内はよそ30haという広大な面積があり、これまでに礎石建物跡、溜井(ためい水汲場)、土取場などが見つかっていますが、今後の調査によりさらに新たな発見が期待されます。
築城の時期については諸説ありますが、大和朝廷が朝鮮半島の百済軍救援のため出兵した白村江(はくすきのえ)の海戦(663年)において大敗した後、唐、新羅連合軍の日本侵攻を恐れ、急ぎ西日本各地に築城した城の一つと考えられています。鬼の城は当時の東アジア情勢を鋭敏に反映した遺跡と言えます。
平成16年1月 総社市教育委員会
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山頂に向け 遊歩道を登って行く 遊歩道沿いにタムシバの木があるので確かめるが花芽すら見つからない アセビは見事に咲いていた タムシバに出会えなかったので学習広場に寄ってそこで記念写真を撮る事とした 案内標識に鍵岩とあった 広場のすぐ近くに錠前の形をした岩を見る事が出来た 結構大きな岩である 広場に案内板がありその先に西門を伺う事が出来る 案内板にも説明文が記載されていたが上記を要約したものなのでここに記すのは見合わせる 記念写真を撮って山頂へ向かう
オオバヤシャブシ ヒメヤシャブシ ネジキ*などを見てルートを行く ルートに新しい標識が設置されているのを見て角楼に行く 角楼から見たタムシバの景観を思い出し 少しでも面影を見れないかと北側の岩屋方面を見まわすが白いものは見当たらない 反対側を見ると 先ほどの学習広場が見え その先に経山のピークを伺う事が出来る 角楼跡と書いた説明があるので それも記載しておこう
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角楼跡
日本の古代山城では、初めて具体的に確認された特殊な施設です。中国の城郭でいう「馬面(ばめん)」、朝鮮半島での「雉(ち)」に当たります。
ここは、尾根つづきで攻められやすいため、城壁の死角を補い防御力を高めることを目的として、城壁の一部を長方形(13X4m)に張り出しています。
角楼の下半部は、両側の石垣と同じように石垣積みで、ほぼ4m間隔で一辺50cmの6本の角柱が石垣の間に建っていたことがわかりました。また城内側には、この施設への昇降のための石段も設けられています。
しかし、この上に建物などがあったかどうかは不明です。
最高所の鬼城山・西門と一体となって、強固は防御ゾーンを形成しています。
平成19年3月 総社市教育委員会
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角楼を後に山頂広場へ 途中いつも出会うコウヤボウキ*の綿毛を見る 飛んでしまったものが多くなった
山頂広場から北門へ向かう 途中ルートから左手の脇道に入ると岩屋方面の山並みを楽しむ事が出来る タムシバが咲いているところを見るのを楽しみにしていたが残念だ そして北門に出る ここにも説明があるので書いておく
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北門跡
唯一背面側にある城門です。
基本的な構造は他の西門・南門・東門と同じ掘立柱城門で、通路床面には大きな石を敷いています。規模的には大型の西門・南門の対し、東門とともにやや小型の城門です。
通路床面とその前面の地面に1.7−2.3mの段差があり、こうした城門を朝鮮半島では「懸門(けんもん)」と呼んでいます。
門柱は本柱のみ角柱で、他は丸柱であり、柱間の寸法も異なるなど、特異な組合せです。
通路床面下には「排水溝」が設けられており、これは日本の古代山城では初の発見例です。類例に高松市の屋島城があります。
上屋(うわや)については検討中であり、柱の高さは仮のものです。
平成20年3月 総社市教育委員会
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北門を下山して分岐をビジターセンターに向け渓流沿いのルートを行く 緩やかな登り ここのタムシバも見つからず 北の吉備路と書いた木道を行く
ビジターセンターからは自動車道を降りる 今年もオドリコソウ カラスノエンドウが咲いているのを見て 経山登山口から再度登山ルートへ入り 分岐を経山に向かわず直進する このルートでもタムシバには出会えず 鉄塔#350に ヒメヤシャブシ* ネジキ*を見て降りて行く 途中コバノミツバツツジが咲いているのを見つける
遊歩道を砂川公園に向かう途中雰囲気のある丸太の橋があった 一つ目の橋はあったが二つ目の橋は無かった 飛び石伝いで渡る事は出来た これも豪雨によるものだろうか
自動車道に出るヤマモモの花芽 オオバヤシャブシ ヤブツバキなどを見て 大きな案内板のところから遊歩道へ行こうとしたら通行止めの標識 仕方が無く自動車道を行く 森林公園 砂川の森と書いた案内板があり 下記の説明があった
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森林公園 砂川の森
このあたりは明治から大正時代には、はげ山であり、洪水や土砂くずれがたびたびありました。そこで明治16年に県下で初めて県営の治山工事が行われ、その後、計画的に植栽や治山堰堤などを作りはげ山を復旧させ、美しい森林になりました。
森林は、木材などを供給するのみでなく、水をはぐくみ、災害を防ぎ、さらに日常生活にやすらぎとうるおいを与える大切なはたらきをもっています。
この砂川の森は、森林の役割が十分に発揮されるように多目的保安総合整備事業により整備しましたので、保健、休養の場として大いに利用してください。
森林を大切に守っていきましょう 山火事注意 平成25年3月 岡山県
−−−−−−−−−−−−−ここまで−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−公園内から行けるかと思ったら行きどまりであった ユキヤナギが咲いているのを見て自動車道に戻り 自動車道を歩いて砂川公園に
このところ寒暖の差が著しい 今朝は3℃とかなり冷えている うす曇り うす雲を通して陽が射す 429吉備路を行く 経山や鬼城山の山容ははっきり見える 180号を横断し、県道271へ進む JRの踏み切りを抜け 道なりに右にカーブ 次の交差点で砂川公園の案内を確認して左折 そのまま山に向かって走って行くと砂川公園に出る 一番奥の第7駐車場に駐車させて頂く すでに1台駐車 車載温度は2℃