鬼城山



標高 鬼城山397m  難易度 ☆     登り 74分  下山53分 全工程127分  岡山県
倉敷からの距離    19Km        登頂日 2020/02/01    ガイドブック  F写真 動画

奥坂休憩所7:17−7:19鬼城・岩屋方面入口−7:25鬼ノ城東門登山道分岐−7:56東門−8:06第二展望台8:08−8:21北門−8:33鬼城山山頂−8:40西門8:49−8:57南門−9:06東門−9:27東門登山道分岐−9:35奥坂休憩所

登山
 今日は奥坂から鬼城山(きのじょうさん397m)を訪ねる

 朝日が顔を出し これから登る山の斜面を朝陽色に染めている 1℃と冷たく感じるがウインドウブレーカ−はリュックに入れる 駐車場には総社ふるさと自然のみち案内図*1)と書いた大きな案内板がある これから訪ねる鬼城山にも多くの案内や説明板がある 今日はそれを書き起こしておこう この記録の最後にまとめて記載した 案内板を後に出発する 自動車道を進み鬼ノ城・岩屋の案内に従いルートを左へ進む
 
 案内標識に従い遊歩道へ進む ルートは簡易舗装されているがやがて土のルートになる 総社ふるさと自然のみち として整備されている 10分もしないで鬼ノ城東門と書いた案内標識のところに出る 標識に従い左へ曲がる 曲がり角には石仏が設置されている アセビが花芽をつけていた
 
 登山道へ入って行く すぐに貯水タンクが設置されているところに出、そこから丸太の階段の山道となる 山道を登ってゆく ルート脇にヒサカキ*(*は実を示す)を見つけながら登って行く コシダが多いルートだ 岩が出てくる頻度が次第に増え 丸太の階段が無くなり岩肌のルートとなる 結構傾斜がある 岩肌は広くルートを随意に選べ、どこを登れば良いか判別しにくい 左手方向に留意し、ルート標識を探す そして標識を見つけ、標識に沿ったルートを登って行く ショートパスが出来そうなところがあるが、今日はそちらに行かず巻くようにして登って行く このルートも結構段差があり、手を使いながら登って行く そして、東門脇の遊歩道に出る 出たところには案内図があり、奥坂休憩所方面へ降りられると記載されている
 
 まずは第二展望台へ向かう いつものところにソヨゴが実をつけている 鍛冶工房跡*2)や土手状遺構(堤)*3)の案内を見てルートを行く 案内板を見ると掲載した日付が違う 土手状遺構(堤)は2018/3とある 最近出来たものだ そして第二展望台に着く
 
 第二展望台にはどなたもおられない 北側を除き270度の展望が得られる ここにも鬼ノ城*4) 屏風折れの石垣*5)の案内板がある
 
 遊歩道を 北門跡*6)を経由し、ヒメヤシャブシ*を見て、山頂(第一展望台)に出る 山頂からは南方面180度の景観が得られる 西門がすぐ近くにあり 西門を中心に幾つか説明板があるのでそれを追う 角楼跡*7) 西門跡*8) 西門の復元*9) 城壁*10) 敷石*11)などが見られる 敷石は古代山城ではここだけに見られるとの記載があった 城壁を背景に記念写真を撮る そして南門跡*12)を経由して 東門跡*13)と周遊する この間コウヤボウキ* オオバヤシャブシの花芽と実 ネジキ*を見つけた 南門跡から5分程歩いたところに岩に掘られた千手観音があるが説明板は見られなかった
 
 東門から登ってきたルートを降りる 休憩所近くにはホトケノザ ナズナが咲いていた モクレンも花芽を膨らませていた 車載温度は5℃だった

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
*1)総社ふるさと自然のみち案内図−奥坂休憩所−
 この一帯は、国指定史跡鬼城山をはじめ貴重な文化財と豊な自然環境が残ると共に、人の暮らしと自然が調和した里山が広がり、「自然と歴史あふれるフィールドミュージアム」として位置づけられます。

 鬼ノ城は、標高約400mの吉備高原の南緑に集かれた古代山城で、朝鮮式山城と考えられている、
 鬼ノ城は、すり鉢を伏せたような山の形をしており、全周約2、8kmの城壁が鉢巻状に巡っている。この城壁は下部に列石、その上部に版築土塁が築かれており、その規模は、幅約7m、推定高約6mになる。また、要所に堅固な高い石垣を築いている、この城壁は、数m−数十mの直線を単位として、地形に応じて城内外へ「折れ」を有している。
 城壁に伴う遺構としては、谷部に6箇所の水門(排水機能をもつ城壁)が設けられ、西門の近くには城壁の防御効果を高めるために、角楼が築かれている、また、出入口となる城門は4箇所で発見されている。
 城内には、食糧貯蔵庫と考えられる礎石建物跡などが発見されている。

*2)鍛冶工房跡
 鬼ノ城を築くために使用した、鉄の道具を製作・修理した場所です。城づくりには、山を削り、岩を砕くなどの作業に鉄の道具は欠かせません.ここでは、左下図のように、平坦な地面をつくり(段状遺構)、柱を立て並べて、屋根をかけたと思われる施設と、その中に並んだ9基の鍛冶炉かが発見されました。
 炉の周囲からは、鉄滓・羽口・砥石などが出土したほか、鉄を鍛える時に飛び散る鍛造剥片や粒状滓も多数発見されており、鍛冶作業の光景が浮かびます。
 平成27年3月 総社市教育委員会 
 
*3)土手状遺構(堤)
 第五水門の背後には、谷川をせきとめるように土手提の遺構が確認されています。全長は約26m、幅は8m、高さは6m以上で、そのタト側と内側を石垣で補強しています。とくに外側では段違いに上下2段の石垣とし、その間に敷石も施しています。
 土手(堤)を築き、内側に貯水池をつくることで、谷川の水量を調整して城壁の保護も図ったと考えられます。 
 平成30年3月 総社市教育委員会
  
*4)鬼ノ城
 千数百年前、温羅(うら)と呼ばれる一族が朝鮮より渡来し居住したといわれており、付近の城塁は、当時のなごりだともいわれております。
また鬼ノ城一帯は、平安時代に新山・岩屋とともに山上仏教が栄え、大規模な伽藍(がらん)が多数立ちならび、西方教化の中心地であったといわれています。 
 総社市
 
*5)屏風折れの石垣
 鬼ノ城で最も著名な高石垣です。血吸川の急崖上に舌状に構築されており、内側列石や敷石が残っていることから、建物は存在しない可能性が高いと考えられます。

 
*6)北門跡
 唯一背面側にある城門です。
 基本的な構造は他の西門・南門・東門と同じ掘立柱城門で、通路床面には大きな石を敷いています。規模的には大型の西門・南門の対し、東門とともにやや小型の城門です。
 通路床面とその前面の地面に1.7−2.3mの段差があり、こうした城門を朝鮮半島では「懸門(けんもん)」と呼んでいます。
 門柱は本柱のみ角柱で、他は丸柱であり、柱間の寸法も異なるなど、特異な組合せです。
 通路床面下には「排水溝」が設けられており、これは日本の古代山城では初の発見例です。類例に高松市の屋島城があります。
 上屋(うわや)については検討中であり、柱の高さは仮のものです。 
 平成20年3月 総社市教育委員会

 
*7)角楼跡
 日本の古代山城では、初めて具体的に確認された特殊な施設です。中国の城郭でいう「馬面(ばめん)」、朝鮮半島での「雉(ち)」に当たります。
 ここは、尾根つづきで攻められやすいため、城壁の死角を補い防御力を高めることを目的として、城壁の一部を長方形(13X4m)に張り出しています。
 角楼の下半部は、両側の石垣と同じように石垣積みで、ほぼ4m間隔で一辺50cmの6本の角柱が石垣の間に建っていたことがわかりました。また城内側には、この施設への昇降のための石段も設けられています。
 しかし、この上に建物などがあったかどうかは不明です。
 最高所の鬼城山・西門と一体となって、強固な防御ゾーンを形成しています。 
 平成19年3月 総社市教育委員会
 
*8)西門跡
 鬼ノ城は、四ヵ所に城門を設けています。
 いずれも堀立柱の城門で、通路床面に大きな石を敷き、床面と城門前面に2m近い段差を持つ(懸門)ことを特徴としています。
 西門は、南門と同規模の大型の城門で開口3間(12.3m)、中央1間を通路とし、2間の奥行をもち、12本の柱で上屋を支えます。柱は一辺最大60cmの角柱を2mほども埋め込んでいます。
 本柱に合わせたくり込み、方立柱穴、軸摺穴、蹴放しがー体的に加エされた門礎をもつのは、鬼ノ城のもののみです。
 西門は日本最大の古代山城大野城の大宰府口城門(間口8.85m)をしのぐ、壮大堅固な城門です。
 平成19年3月 総社市教育委員会
 
*9)西門の復元
 西門跡は、きわめて良好な状態で残っていました。
 12本の柱の位置と太さ、埋め込まれた深さ、各柱間の寸法も正確に知ることができ、また通路床面の石敷や石段、敷石もよく残っていたので、城門の規模と構造を具体的に知ることができました。
 そこでこれらの資料をもとに、関連資料を参考にし、戦闘の場としての機能を考慮して三階建ての城門に復元しています。一階は通路、二階は城壁上の連絡路、三階は見張りや戦闘の場としての機能をもっものです。屋根は調査時にも瓦は出土していないので、板葺きにしています。
 古代山城の城門の復元例としては、日本で初の事例です。
 平成19年3月 総社市教育委員会

*10)城壁
 鬼ノ城は、頂上から斜面に変わるあたりに鉢巻きをしめたように2.8kmにわたって城壁が築かれています。
 城壁は直線を基本とし、多少の高低差はあるものの、下幅約7m、上幅約6m、高さ6mの規模をもち、城壁で囲まれた城内面積は約30haに及ぶ広大さです。
 城壁の大部は、土を少しずつ入れて突き固めた”版築土塁”で、要所の六ヶ所には高い石垣を築いていますが、基本的には土城です。
 また城壁の上面には板塀が巡らされており、城壁の高さと一体となって攻略の難しいー大防御壁となっています。
 ここには版築土塁・高石垣・水門があり、城壁の特徴をよく示している区間です。
 平成21年3月 総社市教育委員会

*11)敷石
 鬼ノ城では、城壁の下の面に接して板石を多数敷きつめています。幅は基本的に1.5m幅で、城内側の広い所では5m幅にもなる所もあります。
 敷石は多くの区間に敷かれており、総重量は数千トンにもなります。
 この石畳のような敷石は、通路としての役わりもあるものの、敷石の傾斜などからみて、もともとは雨水等が城壁を壊すのを防ぐことを目的としたものと考えられます。
 敷石は、日本の古代山城では鬼ノ城にしかなく、朝鮮半島でも数例知られるだけの珍しいものです。
 とくにこの区間の敷石は、鬼ノ城でも見事なところです。
 平成21年3月 総社市教育委員会

*12)南門跡
 南門は、間口3間(12.3m)、奥行2間(8.2m)の規模をもち、一辺55cm前後の巨大な角柱12本で上屋を構成する大型の城門です。
 門の入口は2m近い段差を設けた懸門で、中央1間(約4m)を城内への通路としています。床には巨石を敷き、扉の据え付け開閉のために、丁寧に加工された門礎が両側に配されています。
 この城門は、細部の違いがあるものの、規模・構造ともに西門と同じくし、いずれが正門なのか興味をひかれるところです。
 平成26年3月 総社市教育委員会

*13)東門跡
 東門は、西門や南門に比べるとやや小ぶりとなる間口1間(3.3m)、奥行き2間(5.6m)の城門です。
 門の入口は2m以上の段差を設けた懸門構造とし、扉を入った正面には侵入を妨げる巨大な岩を利用して、防御機能を高めています。
 この城門は、他の3門が角柱を多用するのに対し、すべて丸柱が用いられるなど、やや異なった特徴をもっています。
 麓からの山道は今でも利用されていますが、鬼ノ城がっくられた当時の登城道と重複している可能性が高いようです。
 平成26年3月 総社市教育委員会



アプローチ
 明るくなりかけた頃倉敷を出発車載温度2℃ 吉備路429を走り 180号を横断し県道271へ進む JRの踏み切りを抜け 道なりに車を走らす 新しく出来た信号を過ぎ国際ゴルフ場への案内標識に従い血吸川堰堤を左折する ゴルフ場への案内に従い堰堤を左へ降りて行く 最初の交差点を右折する 道幅は狭くなる 対向車に備えて退避場所を考えながら走る 次の交差点も左に折れ あとは道なりに走る 穴観音入口の標識を左に見て、奥坂休憩所に着く 休憩所の空地に駐車 すでに1台駐車していた 車載温度は1℃