砂川公園6:52−7:16鉄塔#353入口−7:18鉄塔#352入口−7:41鉄塔#352−7:48鉄塔#351−7:50経山山頂−8:00分岐−8:04自動車道−8:15鬼の釜−8:28鬼城山ビジターセンター−8:37角楼8:46−8:47鬼城山山頂−8:53分岐=8:56礎石建物跡=8:58分岐−9:03北門−9:32鬼城山ビジターセンター−9:44経山登山道入口−9:48分岐−10:00鉄塔#350−10:12分岐−10:21自動車道−10:27森林公園砂川の森−10:40砂川公園
今日は経山(きょうやま373m)・鬼城山(きのじょうさん397m)を訪ねる登山支度をする 駐車場の周辺にコバノミツバツツジが花を咲かせている 早速挨拶して出発する 駐車場には自転車が数台停めてあったり 車も多く いつもと違った雰囲気 人声は聞こえず 小鳥の声が賑わしい 砂川公園に入り水路に沿って進む ここにもコバノミツバツツジが咲きサクラも花を咲かせていた 白っぽい花弁だ
園地から自動車道に出る 鬼ノ城駐車場まで3000mと書いた標識を見て道路を登って行く 橋を渡ったところにもサクラが咲いている 園地の花より少し小さく赤味がかっている ユキヤナギ オオバヤシャブシが花を咲かせているのを見て赤坂池に出る 池の対角線にこれから登るルートにあたる鉄塔を確認出来る
自動車道を登って行く 道路右脇に土砂崩れの様子を伺える 土嚢で崩れを防いでいる 昨年の写真と比べて見ると土嚢が白っぽいものから黒いものに 土嚢の積み上げ段数が増えていた 応急処置を繰り返しているようだ ヒサカキ ソヨゴ*(*は実を意味する) ヒメヤシャブシが顔を見せる
鬼ノ城駐車場まで2000m標識を過ぎるとまもなく鉄塔#353巡視ルート入口に出る 今日はここを過ぎて1,2分登った位置、左手に鉄塔#352巡視ルートがあり そこへ入る この辺りはヤブツバキの木が幾本もあり、花を楽しむ事が出来る そうそう 自動車道には石像を多く見られる 番号が附番されており鉄塔#352巡視ルート入口近くに設置されている石像は十五番と刻されていた
鉄塔#352巡視ルートを行く コシダやシダが多いルートを登って行く ヒサカキ コバノミツバツツジ ソヨゴ* ゼンマイ ヤブツバキを見ながら登って行く 今日の狙いはタムシバ このルートで見た記憶があり、キョロキョロと枝先を探すが見つからない 向いの山肌に目をやると白い固まりが見える タムシバは咲いていそうだと期待が高まる 結構きつい傾斜に耐えながら登って行くと鉄塔#352に出る
ここから山を右に見て、トラバースする感じ 前方に#351鉄塔が見える なだらかな登り サルトリイバラが沢山の花を咲かせている コバノミツバツツジも顔を見せてくれる そして鉄塔#351に出る
鉄塔#351の展望スポットに立ち 倉敷市街地を一望する 鉄塔#350が設置されている山肌に白いものが見えないか期待していたが、手前の樹が繁り確認する事が出来なかった 景観を一望し、三角点のある山頂標識を経由して鬼城山へ向かう 山頂標識のあるところからは眺望が得られない 少し行くと経山城跡*1)と書いた標識がある
案内標識を後にして、ルートを降りて行く 樹間に白い花が見える タムシバだ 空の色が白っぽく目立たないのが残念だがあちらこちらに認める事が出来る また少し離れた山肌にも白い固まりを認める事が出来る 撮った写真を見ると開ききった花から蕾まで見られる 咲き始めの純白の花は実にいい カメラもどこにピンとを合わせたら良いか迷うようだ ピントのあった写真が撮れると嬉しい あそこにも ここにもと花を楽しみながらルートを行く 分岐に出る 帰路はここから砂川公園に降りて行くのだが、右に折れ鬼城山へ向かう ルートの足元にはタムシバの落花が沢山見られる
数分で自動車道に出る 暫くは自動車道を登って行く ルートには野辺の花が顔を見せる オドリコソウ ヒメウズ ホトケノザ オオイヌノフグリ スギナ タネツケバナ オランダミミナグサ レンゲ カキドオシ カンスゲなどが顔を見せる アセビ オオマツユキソウ クサノオウも顔を見せてくれる この辺りにキズイシセンが咲いていた筈と思われる辺りはごっそり土がえぐられている 盗掘されたのだろうか? 何年も自然の中で咲いていたのに・・・残念だ そして 鬼の釜*2)に出る
鬼の釜のところで自動車道を斜め横断し遊歩道に入る ここでウシハコベを新たに見つける ため池の脇を抜け ビジターセンターの裏手に出る ここでもタムシバが咲いていた
鬼城ビジターセンター(まだ開館前であった)を抜け センター入口には国指定史跡 鬼城山(鬼ノ城)*3) 中国自然歩道案内図*4) 総社のふるさと自然のみち総合案内図*5)が設置されている 70台駐車可能な駐車場があるがまだ駐車している車は無かった
山頂に向け 遊歩道を登って行く ルートを少し行ったところに鬼城山(鬼ノ城)*6)と書いた説明板が設置されていた これまで気付かなかった 説明板には英語の説明もあった 遊歩道入口にパンフレットが置いてある 手にして見たら散策コースを示す地図が記載されている 手にしながら楽しむと良いだろう
遊歩道を行く 車椅子でも登れるよう斜度を緩やかにしている 遊歩道沿いにタムシバが咲いていた 今年は会えたねとカメラに収める タムシバを見たあとは直登ルートに戻り、登って行く コバノミツバツツジ ヒメヤシャブシ ナガバモミジイチゴなどを見て 角楼の手前に出る ここに出ると西門が見え その先に経山のピークを伺う事が出来る そして山肌には白い固まりを認める事が出来る 景観を一望し角楼跡に出る
角楼跡*7)からは犬墓山や岩屋の山並みが伺える 山肌には白い固まりがあちらこちらに認められる 白い固まりをズームで撮ってみる びっしりと白い花を咲かせていた 岩屋のタムシバを楽しんでいる様子をカメラに収める
角楼を後に山頂広場へ向かう 入口にあるオオバヤシャブシが雄花を見せてくれた これまで気付かなかったので何だろうと調べてわかった 芋虫のような雌花は地面に落ちていた ヒサカキ コバノミツバツツジも顔を見せているのを確認し山頂広場に出る
山頂広場に景観図が掲載されており四国の山並みも伺えるようだが花曇りでぼんやりした景観 遠望はきかない すぐに北門へ向かう 山頂広場にはヤマザクラが咲いていた
幅広の遊歩道を行く ヒメヤシャブシ ヒサカキ タムシバが顔を見せる 礎石建物跡でタムシバに出合った事を思い出し分岐を右にとり寄り道をする 礎石建物跡を示す標識に従ってルートに入ると 管理棟跡*8)と書いた説明があり広場の先にタムシバが咲いていたが数は少なかった
分岐まで戻り 岩屋方面の山並みを楽しめる脇道ルートへ入って行く 山並みには白い固まりがあちらこちらに伺える ルート脇にも咲いており近くの花も楽しめる 北門に近づくと足元の山肌に白い固まりが増えてくる 北門跡*9)の説明を見て北門ルートを降りて行く
ルート沿に幾つもタムシバが咲いている 高いところに咲いており、かつ背景と花の色があまり違わず写真を撮り難い 晴れの予報だったので青空を期待していたが少し残念だ それでも次々と顔を見せてくれるタムシバを楽しみながら降りて行く
北門を下山して分岐をビジターセンターに向け渓流沿いのルートを行く 緩やかな登り ここでもタムシバは咲いていた ショウジョウバカマを見つけた 渓流沿いに落ち葉の間から顔を覗かせていた この先の北の吉備路学習見本園にはショウジョウバカマが咲くスポットがあるが こうした形で自生しているのに出会えたのは嬉しい 渓流に沿ったルートを行き、北の吉備路と書いた木道を行く いつものところに幾つかショウジョウバカマが顔を見せていた 木道を抜けると駐車場に出る 木道入口には北の吉備路 学習見本園*10)と書いた案内板があり ショウジョウバカマのスポットが記載されている
駐車場には10台程駐車 入って来る車も見られる 家族連れで来られている方もおられた 天気もいいし、いい季節だ
ビジターセンターからは自動車道を降りる セイヨウタンポポ シロバナタンポポ オドリコソウ カラスノエンドウなどが咲いているのを見て降りて行く 自動車道から経山の山肌を伺える ここにも白い固まりを伺う事が出来た 経山登山口から再度登山ルートへ入り 分岐を経山に向かわず直進し砂川公園へ向かう このルートでもタムシバは咲いており、樹間から経山の山肌の白い固まりを伺う事が出来た ピンク色がかった固まりも見られた ヤマザクラであろう 鉄塔#350を経由して降りて行く ここでもコバノミツバツツジが咲き タムシバも咲いていた
降りたところは三叉路になっており案内表示がある 私が降りてきたルートにはこの先急坂ありと記載されている 遊歩道と比較すれば急ではあるが、そう心配は無いだろう しかし、足元はしっかりしておくことが好ましい 遊歩道を砂川公園へ向かう二つの橋があったが一つは無くなったまま 飛び石伝いで渡って抜けるそして自動車道に出る
道路脇にヤマモモ キランソウ オオバヤシャブシ ヤブツバキなどを見つけ 大きな案内板:総社のふるさと自然のみち総合案内図*5)のところに出る 遊歩道には通行止めの標識がまだ設置されているので、、自動車道を行く 森林公園 砂川の森*11)と書いた案内板があるのを見て 自動車道を砂川公園へ向かう 途中ヒメウツギ* ユキヤナギを見る ユキヤナギは渓流沿いに沢山咲いていた 駐車場には車が増えており、公園から子どもの遊び声が聞こえてきた 車載温度は13℃
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*1)経山城跡
経山城は、守護大名の大内氏が天文年間に築いたといわれる山城です。天文十二年(1543)に赤松春政、元亀二年(1571)に尼子晴久の城攻めがあり、天正十年(1582)の高松の役後に廃城となったと考えられます。
城は、山頂の主郭を囲むように壇や郭、曲輪を配し、さらに石垣や石塁、堀切を備えるなど、城の形状がよく残されている山城です。*2)鬼の釜
口径約185cm、深さ約105cmの大きな鉄の釜です。底の一部が欠けています。
釜は鋳物で制作されたもので、鋳型のつぎ合わせた痕が明瞭に残されています。
そのむかし、鬼ノ城に住んでいた温羅(うら)と呼ばれる鬼神がいけにえをゆでたと言い伝えられていますが、江戸時代に近くの湯釜谷から出土したという事実からも、山岳寺院であった、ここ新山寺の湯屋に使用された湯釜と考えられています。*3)国指定史跡 鬼城山(鬼ノ城) 昭和61年3月25日 指定
鬼ノ城は標高約430mの鬼城山に築かれた壮大で堅固な古代山城です。吉備高原の南端に位置しており、眼下の総社平野には集落が営まれ官衙(かんが役所),寺院などが造営されました。また、古代の山陽道が東西に走り吉備の津(港)から瀬戸内海への海上交通も至便であり、まさに政治、経済、交通上の要地を一望できます。
鬼ノ城の山容は擂鉢(すりばち)を伏せたような形状をし、山頂付近はなだらかな斜面となっていますが、山の八−九合目以下は著しく傾斜しています。この山頂部との傾斜が変化する部位に城壁が築かれ、全周約2.8kmに及んでいます。
城壁は版築(はんちく)工法のより築かれた土塁が主体をなし、城門が四ケ所、排水機能をもつ水門が六ケ所、また石垣などにより構成されています。
特に復元整備を実施している角楼(かくろう)から第0水門までの城壁は、巨大な西門や、ゆるぎなく突き固められた土塁が復元され、当時の雄大な姿や精緻(せいち)な築城技術を窺うことができます。
城内はよそ30haという広大な面積があり、これまでに礎石建物跡、溜井(ためい水汲場)、土取場などが見つかっていますが、今後の調査によりさらに新たな発見が期待されます。
築城の時期については諸説ありますが、大和朝廷が朝鮮半島の百済軍救援のため出兵した白村江(はくすきのえ)の海戦(663年)において大敗した後、唐、新羅連合軍の日本侵攻を恐れ、急ぎ西日本各地に築城した城の一つと考えられています。鬼の城は当時の東アジア情勢を鋭敏に反映した遺跡と言えます。
平成16年1月 総社市教育委員会
*4)中国自然歩道案内図(古代山城を訪ねるみち)
中国自然歩道とは
中国自然歩道は、中国5県を一周し、それぞれの地方に残された美しい自然のなかを歩いて、豊かな自然に親しみ、また、郷土の歴史や又化にふれて、私たちのふるさとを見直すための長距離自然歩道です。
岡山県では、自然歩道を5つのルートに大別し、さらに各ルートを1日で楽しめるよう、合計43のコースに区分しています、主な見どころ
砂川公園
鬼城山の山裾を流れる砂川沿いに整備された公園。炊事棟やトイレが完備されたキャンプ場のほか、ウォータースライダーなどの親水施設がある。
鬼ノ城
温羅伝説の発祥地といわれる古代山城。標高400mの鬼城山の山頂に3−にわたって続く石垣や土塁はわが国最大級の規模を誇る。
皇の墓
岩屋寺の開祖、善通大師の墓と伝えられる.善通大師は文武天皇の皇子で、7歳のとき、岩屋山に登って僧侶となり、岩屋寺を建立した。
総社のふるさと自然のみち
北の吉備路に整備された遊歩道で、自らの足で歩<ことを通して自然とのふれあいやふるさとの歴史などに親しみ、自然教育の効果を高めることを目的としたみちである。(写真は棚田の風景)
*5)総社のふるさと自然のみち総合案内図
この一帯は、國指定史跡鬼城山をはじめ貴重な文化財と豊な自然環境が残ると共に、人の暮らしと自然が調和した里山が広がり、「自然と歴史あふれるフィールドミュージアム」として位置づけられます。
*6)鬼城山(鬼ノ城)
ここ吉備地方には、大和朝廷が派遣した吉備津彦命が人々を苦しめた鬼神(温羅とも呼ばれる)を退治した伝説が残り、昔話「桃太郎」の原型になったとされています。
伝説では、鬼ノ城は温羅の居城とされ、吉備津神社や吉備津彦神社のある「吉備の中山」に陣を構える吉備津彦命と、弓矢などで戦いました。
標高400mのこの城は7世紀後半に築かれ、山頂の平坦地を石垣や土を固めた土塁が約2.8kmに渡って囲んでいました。築城当時は、南方面に海が広がっていたと考えられ、遠くに船が行き交う様子を見ることができたと思われます。近隣には、温羅が生贄を茹でたといわれる鬼の釜など、伝説ゆかりの地が多くあります。*7)角楼跡
日本の古代山城では、初めて具体的に確認された特殊な施設です。中国の城郭でいう「馬面(ばめん)」、朝鮮半島での「雉(ち)」に当たります。
ここは、尾根つづきで攻められやすいため、城壁の死角を補い防御力を高めることを目的として、城壁の一部を長方形(13X4m)に張り出しています。
角楼の下半部は、両側の石垣と同じように石垣積みで、ほぼ4m間隔で一辺50cmの6本の角柱が石垣の間に建っていたことがわかりました。また城内側には、この施設への昇降のための石段も設けられています。
しかし、この上に建物などがあったかどうかは不明です。
最高所の鬼城山・西門と一体となって、強固は防御ゾーンを形成しています。
平成19年3月 総社市教育委員会*8)管理棟跡
鬼ノ城の中央部分には、柱の基礎に石を置いている7棟の建物(礎石建物)が発見されています。
礎石建物5・6は、建物の外側に沿った柱の基礎に石を置く建物(側柱(がわばしら)建物)で、6間x2間の細長い建物になります.建物の構造や周辺から須恵器(すえき)を再利用した硯(すずり)も出土していることから、役人が駐在した管理・遼営に必要な施設であったと考えられます.、
なお、一部の礎石には直径45−50cmの九柱を載せていた痕跡が残っていました。
平成26年3月 総社市教育委員会*9)北門跡
唯一背面側にある城門です。
基本的な構造は他の西門・南門・東門と同じ掘立柱城門で、通路床面には大きな石を敷いています。規模的には大型の西門・南門の対し、東門とともにやや小型の城門です。
通路床面とその前面の地面に1.7−2.3mの段差があり、こうした城門を朝鮮半島では「懸門(けんもん)」と呼んでいます。
門柱は本柱のみ角柱で、他は丸柱であり、柱間の寸法も異なるなど、特異な組合せです。
通路床面下には「排水溝」が設けられており、これは日本の古代山城では初の発見例です。類例に高松市の屋島城があります。
上屋(うわや)については検討中であり、柱の高さは仮のものです。
平成20年3月 総社市教育委員会
*10)北の吉備路 学習見本園
【北の吉備路学習見本園】は、北の吉備路一帯に現在自生している植物・あるいはかつて自生していた植物を集約し、だれでも手軽にこの一帯の自然に『触れ・学び・感じる』ことができる環境学習の拠点施設として平成16年、「総社ふるさと自然のみち」の開設にあわせて、棚田の跡地を活用して整備されたちのです。
この北の吉備路学習見本園をご覧になり、時間に余裕があれば「総社ふるさと自然のみち」をぜひ散策してみてください。自然と歴史ロマンあふれるフイールドミュージアム「北の吉備路」か四季折々に豊かな表情をみせ、みなさまをきつと歓迎してくれることと思います。 総社市環境課*11)森林公園 砂川の森
このあたりは明治から大正時代には、はげ山であり、洪水や土砂くずれがたびたびありました。そこで明治16年に県下で初めて県営の治山工事が行われ、その後、計画的に植栽や治山堰堤などを作りはげ山を復旧させ、美しい森林になりました。
森林は、木材などを供給するのみでなく、水をはぐくみ、災害を防ぎ、さらに日常生活にやすらぎとうるおいを与える大切なはたらきをもっています。
この砂川の森は、森林の役割が十分に発揮されるように多目的保安総合整備事業により整備しましたので、保健、休養の場として大いに利用してください。
森林を大切に守っていきましょう 山火事注意 平成25年3月 岡山県
4月に入り気温も大分上昇してきた 日の出の頃に倉敷を出発 車載温度5℃ 429吉備路を行く 桃の花も咲き沿道は華やかになってきた 正面に見える経山や鬼城山をとらえながら車を走らす 180号を横断し、県道271へ進む JRの踏み切りを抜け 道なりに右へカーブ 次の交差点で砂川公園の案内を確認して左折 そのまま山に向かって走って行くと砂川公園に出る まだ早いのに結構車が駐車している 一番奥の第7駐車場に駐車させて頂く 車載温度は3℃ 帰路に気付いたのだがキャンプ用テントがあちらにもこちらにも多数設営されていた