駐車場所6:51−7:11分岐A−7:28福山7:35−7:39猿田彦神社−7:42分岐−7:50分岐幸福山の道−7:56分岐−7:57分岐上の横道へ−8:13分岐階段交差−8:23分岐−8:25分岐A−8:39案内板(八幡宮)−8:45駐車場所
今日は福山(ふくやま 標高302m)を訪ねる昨年11月に廊下で転倒 腰を痛め2ケ月程安静が必要だったが、少しづつ身体を動かし始めなんとか動けるようになった 足慣らしに福山を選ぶ
登山支度も久しぶり 前日から登山靴・登山服・カメラ・電池の充電・お茶・ナップザックなど準備する 久々だからか物忘れのためかどうだったか思い出すのに時間がかかる 登山記録用のメモはどうしていたか、かなり失念している 何気なくやっていた事は以外と記憶に残っていない
登山靴を履きポーチ ナップザック カメラを所定の場所にセットして出発する 歩く感覚が少し違う ゆっくりと歩いているあいだに慣れてくる 駐車場にある中国自然歩道とは*1) 浅原郷土自然保護地域*2) 福山ハイキングコース*3)の案内板をさっと見て 大毘沙門天王が鎮座している鳥居を潜り安養寺境内に出る 朝原山安養寺4*)の説明があるのを確認し 多宝塔を右に 宝物殿を左に見てルートを行き福山城跡の案内に従い坂道を登る 坂の左手に東屋があり観音厄除坂を登ってゆく 右手石垣に観音様が幾つも埋め込まれている 道なりに登って行くと前方が明るくなり果樹園が見えてくるこの辺りから花が顔を見せる ヒガンバナ アメリカタカサブロウ ツユクサ アキノウナギツカミ ニラ アカバナ ツルボ アサガオ ハナニラ キツネノマゴなどを見つける 下山時にはクズ カタバミを見つけた こうした花々に出会えるのは嬉しい 女性の方が何か狙われていた 赤と白のヒガンバナが陽射しを受けて輝いていた きれいですねと声を交わす 行く時は気付かなかったとの事 もう登られたとの事
果樹園を過ぎるとまもなく福山を歩こうと書いた案内図がある分岐に出る 左へ向かう分岐があり 上の横道コースに繋がっており下山時このルートから帰る予定
ルートはこれまでより道幅は狭くなり勾配もある 土の感触を楽しみながら登って行く ヤマハギが咲いていた オットット ちょっとした出っ張りにつまづく バランスを崩すと立て直すのが難しい どうという事はない場所だが手をついて支える この状態では下りはかなり注意が必要だ 三の壇の碑を見て福山城跡広場に出る 西側に東屋があり その手前に三角点がある 東屋では3名の男性が 周辺にベンチもあり休まれておられる方が見られた
ここからは清音の市街地を一望出来る 三脚をセットし記念写真を撮り、反対側の東斜面へ向かう 広場には湊川決戦一週間前備中福山合戦*6)と記した説明と、国指定史跡「福山城跡」山頂案内図があるが そちらには寄らなかった
東側斜面からは倉敷方面の景観が得られる 金甲山と思われる山並みを伺う事が出来る 猿田彦神社を示す案内があり丸太の階段の道が伸びている 足元に注意しながら降りて行く 結構下る そして神社の裏手に出る 急な石段を降りると猿田彦神社の境内に出る 境内には朽ちた休憩所?や石の灯篭 石仏がある 石仏には三十六番と記されていた 神社にお参りして 狛犬ならぬ狛猿を確認する そして神社を後にする
分岐を幸山城跡と案内されたルートへ向かう 福山登山の別の主ルートのようであり、今回が初めて ルートに入ってすぐ左手に石仏があり三十三番と記されていた ネットで調べると猿田彦神社三十三観音と書いたサイトに”猿田彦神社から、北方にある「八畳岩」と呼ばれる巨岩にかけて、西国三十三観音が祀られている”との説明があった 八畳岩には寄らなかったがルートで六番まで確認出来た
ルートは以前歩いた幸福山の道出口と合流、更に6分程降りるとT字路に出る ここを上の横道へ向けて左折する すぐにまた分岐があるが幸山城跡には寄らず上の横道へ向かう 登りがつづく ここにこんな石がと思われるような大きな石があるところの脇を抜けたりする ところどころ左へ登る脇道のようなものがあるがそちらには行かず直進する ルートは直登コースと交差する
交差するところにベンチがあり 直登コースの休憩所ともなっているようだ 福山を歩こうの地図も設置されており 現在地を示す指マークもあった 直登コースを横切って上の横道南コースを行く ここでアベリアに出合う 2020/07/02に登った時コツクバネウツギと記したが花期から判断するとアベリアらしい そして歴史広場へ向かう分岐に出る
分岐にはこの遊歩道はフツトパス(footpass)です*8)と書いた大きな標識が設置されており フットパスとは何か説明があった
分岐の近くにはシロバナヒガンバナが咲いていた そしてすぐに登りのルートと合流した
登りのルートと合流し果樹園の前を抜ける 登りで気付かなかったクズとカタバミを見つける 果樹園を過ぎて少し行き次の分岐を直進し山道を経由して安養寺に出るルートを行く 縦走コース 安養寺→ と書いた標識に従いルートに入る ルート幅がぐんと狭くなり山道を楽しむ雰囲気となる ルートを追って行く 展望が開け且つ右にカーブする ルートを失わないよう標識を追って降りて行く やがてお宮さんが見えてきて 八幡宮と書いた標識のところに出る 安養寺の境内だ
境内では弁財天 布袋尊 大黒天神 恵比須天などを見る事が出来る 自動車道を降りて行くと天王池に出る 天王池では釣りを楽しまれている方がおられた 弁天堂を見て駐車場に戻る 車載温度25℃−−−−−−−−−−−−−−−−以下は標識に記載してあったもの−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
*1)中国自然歩道とは
中国自然歩道は、中国5県を一周し、それぞれの地方に残された美しい自然のなかを歩いて、豊かな自然に親しみ、また、郷土の歴史や又化にふれて、私たちのふるさとを見直すための長距離自然歩道です。
岡山県では、自然歩道を5つのルートに大別し、さらに各ルートを1日で楽しめるよう、合計43のコースに区分しています、主な見どころ
●軽部神社(かるべじんじゃ)
延宝六年(1678)建立。昔、境内に垂乳根の桜と呼ぱれる、枝垂れ桜があったことから、乳神様として庶民の信仰を集めた。安産や母乳の出を願うため手作りの絵馬が数多く奉納されており、女性達の信仰を集めている。
●福山城跡(ふくやまじょうせき)
「太平記」に記された「福山合戦」の地として有名。室町幕府が開かれる少し前(1336年)、、京都の戦いで敗れた足利尊氏は九州に逃れ、再び都を目指し、瀬戸内海と山陽道にわかれて攻めのぽった。このとき、後醍醐天皇方の新田義貞軍の武将・大井田氏経は福山を占拠し、その東上を阻むためにこの城へ立てこもった。
●安養寺(あんようじ)
安養寺は平安時代より、朝原寺は更に古く、徐福渡来の蓬来山、七福神の里とLて、祈りを現代に受け継いでいる、弘法大師空海修行の地、栄西国師出家の地として、また全国十選の花の寺、倉敷探鳥会発祥の地など、自然を愛好する人々の安らぎの場ともなっている
*2)浅原郷土自然保護地域
この地域は、郷土のすぐれた自然を保護するため、岡山県自然保護条例に基づき指定された地域です。
1 位置 倉敷市浅原
2 面積 5.22ha
3 指定年月日 昭和48年(1973年)11月29日
4 特徴
安養寺を中心とするこの地一帯は、平安時代には大小数十の寺院が霊地を形づくり、中国地方の仏教の聖地として栄えたと伝えられ、また、国指定重要文化財である毘沙門天立像や吉祥天立像、県指定史跡である経塚など、多くの歴史遺産が残されています。
周囲を取り巻く山林は、アカマツを主体として、アラカシ、ソヨゴ、ヒサカキなどの常緑広葉樹を混じえた植物層が、都市近郊に残された価値ある自然環境を形成しています。
5 行為の制限
土地の形質変更、土砂の採取、木竹の伐採、工作物の設置等を行うときは、あらかじめ届出が必要です。
責重な自然の保護にご協力をお願いします。
岡山県
*3)福山ハイキングコース
所要時間 山頂まで約1時間
山頂より幸山城跡往復釣1時間半福山は、倉敷周辺では一番高い山で、古戟場として有名、遠い昔をしのびながら家族連れハイキングきするには最適な山です。山頂より小鳥の嘲りを聞き、樹林帯の中を下って行くと、幸山城に着きます。
幸山城跡より眺める吉備路の展望はすばらしく、往時の城を空想してみるのもヌ楽しいではありませんか。
福山山頂からは、晴れていれば遠く四国山脈を、又吉備平野から中国山脈に連なる山並みも美しく眺めることができます。山頂直下の猿田彦神社には古井戸があり、冷めたい井戸水を飲むこともてきます。一日中のんびりとしたハイキングき楽しんでみて下さい。
倉敷市
*4)朝原山安養寺
安養寺の創建は奈良時代 仙人 救世の行者と賛される高僧報恩大師(−795)国家祈願の寺として開山 朝原千坊の中院として存在し 13世紀には現在の浅原の谷一帯に朝原寺と総称される寺院が建ちならんでいたと思われる 安養寺裏山経塚出土の応徳3年(1086)の瓦経願文に「安養寺」の文字が刻まれている また 13世紀に書かれた「源平盛衰記」に 鹿が谷の変で治承元年(1177)、備前に流された大納言藤原成親が 備中国安養寺に調御坊という僧を請して備中国朝原寺にて出家受戒したとある
安養寺は、享保2年(1717)以前には、現在地より二町(約220m)あまり南にあり、池田家文庫などから、客殿・庫裏を備えた 朝原寺一山の本坊であったことがわかっている。
*6)湊川決戦一週間前備中福山合戦
海抜302mのこの福山は往古 神奈備(カンナビ)山、加佐米山、百射(ヒモイ)山とか言われたが、山岳佛教が栄えた奈良平安期 報恩大師が頂上に福山寺及び十二坊を建て伽藍(ガラン)が全山に並び繁栄を極め福山と呼ばれるようになった。
後醍醐天皇念願の親政が復活したが建武中興に加わった足利尊氏が論功行賞に〇〇(フンマン)を抱き天皇支持勢力の新田義貞、楠木正成等と対立した。この結果、尊氏勢が九州へ敗走し軍勢を立て直して再び京都を目指して東上を開始した。福山合戦はその途上の延元元年五月におこった。
足利直義十六日 朝原峠より攻撃を開始したが、城兵撃退す、十七日四方より総攻撃をかけ、城兵は石火矢、岩石落し、弓矢にて二万餘の死傷者を出したが 新手入り変り立ち変り遂に乱入され火をかけられ落城となった。大井田氏経一千騎引連れ山下の直義の本陣になぐり込み奮戦したが、味方は百騎程になり山上は火の海、氏経はこれ迄と部下を集め三石の本陣に加わらんと一方切り破り逃れた 福山城落城後直義は敗走する氏経を追い板倉より辛川まで十余度交戦を続け三石城へ逃れ去った。
直義は足利勢をここで休養させ首実験をして戦功を賞した。討首千三百五十三を数えたという。
*8)この遊歩道はフツトパス(footpass)です
フットパスとは、私有地を一般の人が歩けるように開放された歩道の事です。
山歩きを楽しむ人のために、歩道を利用させていただいています。歩道を利用する者として、感謝の気持ちを持ちマナーを守って迷惑にならないようにしましょう。
1)道から出ない(山や畑等に入らない)
2)盗らない
3)壊さない
4)捨てない
土地所有者の善意と、利用する者のマナーが信頼となって成立するフットパスです。このマナーが守れない場合は歩道が利用できなくなります。
永遠に利用できるといいですね。追記:ネットで調べてみると イギリスで発祥した「歩くことを楽しむための道」であって、歩く権利を大切にした文化との説明があった
久々の山歩き 429に向けて走る 浜ノ茶屋北の交差点で429にのりすぐ次の交差点で県道469へ左折する 前方に見えてくる山が福山 信号機のある交差点を過ぎて登りとなって間もなく安養寺を示す案内があるのでそれに従って右折 対向車に留意してくだって行くと安養寺の駐車場 すでに駐車している車が数台あり登山準備をされておられる方等が伺える 車載温度21℃