鬼城山  

 鬼城山



標高 鬼城山397m  難易度 ☆     登り 115分  下山52分 全工程167分  岡山県
倉敷からの距離    19Km        登頂日 2022/04/02    ガイドブック  F写真 動画

奥坂休憩所7:01−7:04鬼城・岩屋方面入口−7:11鬼ノ城東門登山道入口−7:44東門−7:50分岐5−8:01分岐4−8:09分岐3−8:14北門7−北の吉備路−8:42鬼城山ビジターセンター駐車場−8:54角楼9:02−9:04鬼城山山頂−9:06西門−9:17南門−9:27東門−9:48東門登山道入口−9:56奥坂休憩所

登山
 今日は奥坂から鬼城山(きのじょうさん397m)を訪ねる

 登山支度をして出発する 駐車場の総社ふるさと自然のみち案内図*1)と書いた大きな案内板の前を抜け自動車道を山へ向かう 道路脇の斜面にはキュウリグサ ホトケノザ スズナ カラスノエンドウが顔を見せてくれた(カラスノエンドウは帰路に気づいた) ここにも春がやってきた 鬼ノ城・岩屋の案内に従い分岐を左へ進む、鬼ノ城と書いた案内標識に従い遊歩道へ進む
 
 ルートは簡易舗装されているがやがて土のルートになる 総社ふるさと自然のみち として整備されている 10分もしないで鬼ノ城東門と書いた案内標識のところに出る 標識に従い左へ曲がる 曲がり角には石仏が設置されている またアセビが白い釣鐘状の花を咲かせていた
 
 登山道へ入って行く すぐに貯水タンクが設置されているところに出、そこから丸太の階段の山道となる 山道を登ってゆく 今日の狙いはタムシバ 2週間前に経山・鬼城山を訪ねた時はまだ早く 幾つか蕾を見つけたにとどまった 翌週訪ねようかと思ったが気温の低い日が続いたので今日まで伸ばした ルート脇を見ると共に枝先にも注意を払いながら登って行く おや白い花弁 タムシバの花弁が足元に落ちている 見上げると枝先に白い花を咲かせていた 登山道から5分も経過していない もう少し先かと思っていたが、ここにもタムシバの木があったのだ 今度はコバノミツバツツジ 鮮やかな赤紫の花は目立つ ヒサカキも咲いている
 
 コシダが多いルートを登って行く 結構急な斜面があり滑り易そうなので手をつけて登って行く 周辺の山肌が見えてくる 白い固まりが見える タムシバが咲いているようだ ルートには岩が出てくる頻度が次第に増え 岩肌のルートとなる 結構傾斜がある 岩や枝を掴んだりとここでも手で加勢して登って行く 岩肌のルートとなったところにネズ*(*は実を意味する)が顔を見せる 岩肌は広くルートを随意に選べる 今日は前回降りたところを逆に登ってみようと どちらかと言うと右寄りを真っすぐ登って行く ルートを迷うような所はなく登ってゆけ 従来登っていたルートと合流する そして段差があるルートを、岩や木を掴みながら登って行く 岩肌の斜面にかかってから10分程登ると、左手前方に東門跡が見えてきて、遊歩道に出る 出たところには案内図があり、奥坂休憩所方面へ降りられると記載されている 帰路はここから降りる予定
 
 さて鬼城山でのタムシバ探索は 礎石建物群跡周辺を見て 北側の遊歩道の外側を行き、岩屋の山並みを見ながら北門へ そして北門ルートを降り 北の吉備路ルートを経由してビジターセンター駐車場に そこから鬼城山山頂に登り返し 西門 南門 東門と周遊 東門から降りるというルートを考えている
 
 そのルートを念頭に第二展望台の方向へ向かう いつものところにソヨゴ*が実をつけている 鍛冶工房跡*2)や土手状遺構(堤)*3)の案内を見て分岐に出る 分岐の標識が新しくなっており良く見ると5と番号がついている 案内する文字は白木の板に白地でちょっと見ただけでは判読出来ないが 番号は緑の中に白抜きで目立つ 礎石建物群跡へ向かう為 ここを左へ折れる 分岐の位置に休憩舎がありそこに出ると 第二展望所を俯瞰出来た 同時に南側の展望が得られる 
 
 展望を一望して礎石建物群跡へ向かう 緩やかなアップダウンを行く 周辺の枝先に白い花が見られないか探しながらルートを行く 期待どおりタムシバが迎えてくれる 花の数はそう多くはないものの美しい姿を見せてくれる ズームで狙いカメラに収める 横着して三脚を使わず、手持ちのままなのでフレーミングもピントも安定しない 空しか写っていなかったりするものもあるが数打てば当たる形で撮れる時がある 帰宅してパソコンで展開してみて初めてわかる なんとか撮れているものがあると嬉しい 
 
 ルートを行くと分岐(標識4)があり直進気味に礎石建物群跡へ向かう倉庫群跡*3)管理棟跡*4)がありそこを入ったところにタムシバの木がある いつぞやは花に触れるほど近い位置に咲いていたが今日は触れるような花はなくいずれもズームを使っての撮影になってしまった
 
 遊歩道に戻り北側遊歩道とのT字路に出る 標識3となっていた ここを横断するような形で遊歩道外側の外周散策路に出る ここからは岩屋の山並みが伺えところどころに白い固まりを見つける事が出来る また足元の山肌を俯瞰する事が出来 ここにも白い固まりが見えズームで撮ると沢山の花が咲いているのを確認出来た 岩屋の山肌の固まりはピントが今一で白いぼけた固まりでしか撮れなかった
 
 散策を北門へ向けて歩いて行く ルート脇にもタムシバが咲き 実僧坊山やタムシバの森と言われる山並みも見えてきて 白い固まりがあるのを伺う事が出来る
 
 北門から北門ルートを降りて行く ここもタムシバの木が多く楽しませてくれるルート そこには標識7が設置されており下山ルートには急坂と赤に白字の記載がある 東門ルート程ではないが足元に注意しながら降りる 要所要所で立ち止まり周辺を見回しタムシバを探す 幾つか花を見つける事は出来たがいつもより淋しい感じだった
 
 下山後は北の吉備路と呼ばれる渓流沿いのルートを行く このルートにもタムシバの木があり花を咲かせていたが花数は少なかった ルートを行くと木道に出る 北の吉備路学習見本園*6)である ショウジョウバカマが幾つも花を咲かせていた お二人グループが写真を撮っておられた 挨拶を交わし 私もカメラに収める そして広い駐車場に出る 今日は何故か2台しか駐車していなかった
 
 ビジターセンター脇から鬼城山へ登り返す 鬼城山(鬼ノ城)*7)の案内を見て ルートを登って行く 車椅子走行可能の遊歩道沿いにタムシバの木がある 遊歩道を行かずとも適当にショートパスして木の所に行ける タムシバを見て戻り管理用道路を登って行く サクラ ナガバノモミジイチゴ ヒメヤシャブシが花を咲かせていた 右手に西門が見えてくる そして経山も伺う事が出来る 経山の山肌にも白い固まりを伺う事が出来た 少し行くと分岐がありそこには標識1が設置されていた
 
 まずは角楼跡*8)に向かい 犬墓山の山肌など岩屋方面を見る 白い固まりをズームで撮りタムシバを楽しむ 背景にタムシバを入れて記念写真を撮ろうと思ったが三脚の高さが足りず思うように撮れなかった 
 
 角楼跡から鬼城山の山頂へ向かう いつものようにオオバヤシャブシ コウヤボウキの綿毛を見て山頂に 遊歩道から山頂に入る分岐には標識2があるのを確認した 山頂にはサクラが咲き始めていた 景観は小豆島など伺えるがぼんやりしていた 西門の方へ降りる
 
 西門から門を潜らずに城壁に沿って降りて行く ここには西門跡*9)西門の復元*10)城壁*11)敷石*12)などの説明がある 今日は門を潜らなかったので西門の復元*10)城壁*11)の説明は見ていないがそのまま書いておく
 
 西門を後にして、南門跡*13)を経由して 東門跡*14)と周遊する この間サルトリイバラ* アセビ ヤブツバキ ヒサカキ コバノミツバツツジなどに出会った このルートでもタムシバを楽しむ事が出来た
 
 東門から登ってきたルートを降りる 登ってきた時と変え、いつものルートを降りた 目印にしていた看板が外れ下に落ちていた こちらの方が岩がゴロゴロしたルートでどちらかと言うと歩き難い ルートを失う心配がなければ登りに選んだルートの方が良さそうだ 途中小さな鯉のぼりを枝に取り付けたものがあった 降りる時の目安になるかも知れない
 
 あとは足元に留意しながら降りて行く 途中どなたともすれ違わなかった 駐車場には5台増えており3名の方がおられた 車載温度は11℃だった

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*1)総社ふるさと自然のみち案内図−奥坂休憩所−
 この一帯は、国指定史跡鬼城山をはじめ貴重な文化財と豊な自然環境が残ると共に、人の暮らしと自然が調和した里山が広がり、「自然と歴史あふれるフィールドミュージアム」として位置づけられます。

 鬼ノ城は、標高約400mの吉備高原の南緑に集かれた古代山城で、朝鮮式山城と考えられている、
 鬼ノ城は、すり鉢を伏せたような山の形をしており、全周約2、8kmの城壁が鉢巻状に巡っている。この城壁は下部に列石、その上部に版築土塁が築かれており、その規模は、幅約7m、推定高約6mになる。また、要所に堅固な高い石垣を築いている、この城壁は、数m−数十mの直線を単位として、地形に応じて城内外へ「折れ」を有している。
 城壁に伴う遺構としては、谷部に6箇所の水門(排水機能をもつ城壁)が設けられ、西門の近くには城壁の防御効果を高めるために、角楼が築かれている、また、出入口となる城門は4箇所で発見されている。
 城内には、食糧貯蔵庫と考えられる礎石建物跡などが発見されている。

*2)鍛冶工房跡
 鬼ノ城を築くために使用した、鉄の道具を製作・修理した場所です。城づくりには、山を削り、岩を砕くなどの作業に鉄の道具は欠かせません.ここでは、左下図のように、平坦な地面をつくり(段状遺構)、柱を立て並べて、屋根をかけたと思われる施設と、その中に並んだ9基の鍛冶炉かが発見されました。
 炉の周囲からは、鉄滓・羽口・砥石などが出土したほか、鉄を鍛える時に飛び散る鍛造剥片や粒状滓も多数発見されており、鍛冶作業の光景が浮かびます。
 平成27年3月 総社市教育委員会 
 
*3)倉庫群跡
 鬼ノ城の中央部分には、柱の基礎に石を置いている7棟の建物(礎石建物)が発見されています。
 礎石建物1−4・7は、床を支える柱のすべてに礎石を置く建物(総柱(そうばしら)建物)であることから、相当な重量を支えたものと考えられます。おそらく城内で必要な穀物や武器などを収めた高床の倉庫群であったと考えられます。
 なお、一部の礎石には直径45−50cmの丸柱を載せていた痕跡が残っていました。
 平成26年3月 総社市教育委員会
  
*4)管理棟跡
 鬼ノ城の中央部分には、柱の基礎に石を置いている7棟の建物(礎石建物)が発見されています。
 礎石建物5・6は、建物の外側に沿った柱の基礎に石を置く建物(側柱(がわばしら)建物)で、6間×2間の細長い建物になります。建物の構造や周辺から須恵器(すえき)を再利用た硯(すずり)も出土していることから、役人が駐在した管理・運営に必要な施設であったと考えられます。
 なお、一部の礎石には直径45−50cmの丸柱を載せていた痕跡が残-、ていまLた。
平成26年3月 総社市教育委員会 
 
*5)北門跡
 唯一背面側にある城門です。
 基本的な構造は他の西門・南門・東門と同じ掘立柱城門で、通路床面には大きな石を敷いています。規模的には大型の西門・南門の対し、東門とともにやや小型の城門です。
 通路床面とその前面の地面に1.7−2.3mの段差があり、こうした城門を朝鮮半島では「懸門(けんもん)」と呼んでいます。
 門柱は本柱のみ角柱で、他は丸柱であり、柱間の寸法も異なるなど、特異な組合せです。
 通路床面下には「排水溝」が設けられており、これは日本の古代山城では初の発見例です。類例に高松市の屋島城があります。
 上屋(うわや)については検討中であり、柱の高さは仮のものです。 
 平成20年3月 総社市教育委員会

*6)北の吉備路 学習見本園
 【北の吉備路学習見本園】は、北の吉備路一帯に現在自生している植物・あるいはかつて自生していた植物を集約し、だれでも手軽にこの一帯の自然に『触れ・学び・感じる』ことができる環境学習の拠点施設として平成16年、「総社ふるさと自然のみち」の開設にあわせて、棚田の跡地を活用して整備されたちのです。
 この北の吉備路学習見本園をご覧になり、時間に余裕があれば「総社ふるさと自然のみち」をぜひ散策してみてください。自然と歴史ロマンあふれるフイールドミュージアム「北の吉備路」か四季折々に豊かな表情をみせ、みなさまをきつと歓迎してくれることと思います。  総社市環境課

*7)鬼城山(鬼ノ城)
 ここ吉備地方には、大和朝廷が派遣した吉備津彦命が人々を苦しめた鬼神(温羅とも呼ばれる)を退治した伝説が残り、昔話「桃太郎」の原型になったとされています。
 伝説では、鬼ノ城は温羅の居城とされ、吉備津神社や吉備津彦神社のある「吉備の中山」に陣を構える吉備津彦命と、弓矢などで戦いました。
 標高400mのこの城は7世紀後半に築かれ、山頂の平坦地を石垣や土を固めた土塁が約2.8kmに渡って囲んでいました。築城当時は、南方面に海が広がっていたと考えられ、遠くに船が行き交う様子を見ることができたと思われます。近隣には、温羅が生贄を茹でたといわれる鬼の釜など、伝説ゆかりの地が多くあります。

*8)角楼跡
 日本の古代山城では、初めて具体的に確認された特殊な施設です。中国の城郭でいう「馬面(ばめん)」、朝鮮半島での「雉(ち)」に当たります。
 ここは、尾根つづきで攻められやすいため、城壁の死角を補い防御力を高めることを目的として、城壁の一部を長方形(13X4m)に張り出しています。
 角楼の下半部は、両側の石垣と同じように石垣積みで、ほぼ4m間隔で一辺50cmの6本の角柱が石垣の間に建っていたことがわかりました。また城内側には、この施設への昇降のための石段も設けられています。
 しかし、この上に建物などがあったかどうかは不明です。
 最高所の鬼城山・西門と一体となって、強固な防御ゾーンを形成しています。 
 平成19年3月 総社市教育委員会
 
*9)西門跡
 鬼ノ城は、四ヵ所に城門を設けています。
 いずれも堀立柱の城門で、通路床面に大きな石を敷き、床面と城門前面に2m近い段差を持つ(懸門)ことを特徴としています。
 西門は、南門と同規模の大型の城門で開口3間(12.3m)、中央1間を通路とし、2間の奥行をもち、12本の柱で上屋を支えます。柱は一辺最大60cmの角柱を2mほども埋め込んでいます。
 本柱に合わせたくり込み、方立柱穴、軸摺穴、蹴放しがー体的に加エされた門礎をもつのは、鬼ノ城のもののみです。
 西門は日本最大の古代山城大野城の大宰府口城門(間口8.85m)をしのぐ、壮大堅固な城門です。
 平成19年3月 総社市教育委員会
 
*10)西門の復元
 西門跡は、きわめて良好な状態で残っていました。
 12本の柱の位置と太さ、埋め込まれた深さ、各柱間の寸法も正確に知ることができ、また通路床面の石敷や石段、敷石もよく残っていたので、城門の規模と構造を具体的に知ることができました。
 そこでこれらの資料をもとに、関連資料を参考にし、戦闘の場としての機能を考慮して三階建ての城門に復元しています。一階は通路、二階は城壁上の連絡路、三階は見張りや戦闘の場としての機能をもっものです。屋根は調査時にも瓦は出土していないので、板葺きにしています。
 古代山城の城門の復元例としては、日本で初の事例です。
 平成19年3月 総社市教育委員会

*11)城壁
 鬼ノ城は、頂上から斜面に変わるあたりに鉢巻きをしめたように2.8kmにわたって城壁が築かれています。
 城壁は直線を基本とし、多少の高低差はあるものの、下幅約7m、上幅約6m、高さ6mの規模をもち、城壁で囲まれた城内面積は約30haに及ぶ広大さです。
 城壁の大部は、土を少しずつ入れて突き固めた”版築土塁”で、要所の六ヶ所には高い石垣を築いていますが、基本的には土城です。
 また城壁の上面には板塀が巡らされており、城壁の高さと一体となって攻略の難しいー大防御壁となっています。
 ここには版築土塁・高石垣・水門があり、城壁の特徴をよく示している区間です。
 平成21年3月 総社市教育委員会

*12)敷石
 鬼ノ城では、城壁の下の面に接して板石を多数敷きつめています。幅は基本的に1.5m幅で、城内側の広い所では5m幅にもなる所もあります。
 敷石は多くの区間に敷かれており、総重量は数千トンにもなります。
 この石畳のような敷石は、通路としての役わりもあるものの、敷石の傾斜などからみて、もともとは雨水等が城壁を壊すのを防ぐことを目的としたものと考えられます。
 敷石は、日本の古代山城では鬼ノ城にしかなく、朝鮮半島でも数例知られるだけの珍しいものです。
 とくにこの区間の敷石は、鬼ノ城でも見事なところです。
 平成21年3月 総社市教育委員会

*13)南門跡
 南門は、間口3間(12.3m)、奥行2間(8.2m)の規模をもち、一辺55cm前後の巨大な角柱12本で上屋を構成する大型の城門です。
 門の入口は2m近い段差を設けた懸門で、中央1間(約4m)を城内への通路としています。床には巨石を敷き、扉の据え付け開閉のために、丁寧に加工された門礎が両側に配されています。
 この城門は、細部の違いがあるものの、規模・構造ともに西門と同じくし、いずれが正門なのか興味をひかれるところです。
 平成26年3月 総社市教育委員会

*14)東門跡
 東門は、西門や南門に比べるとやや小ぶりとなる間口1間(3.3m)、奥行き2間(5.6m)の城門です。
 門の入口は2m以上の段差を設けた懸門構造とし、扉を入った正面には侵入を妨げる巨大な岩を利用して、防御機能を高めています。
 この城門は、他の3門が角柱を多用するのに対し、すべて丸柱が用いられるなど、やや異なった特徴をもっています。
 麓からの山道は今でも利用されていますが、鬼ノ城がっくられた当時の登城道と重複している可能性が高いようです。
 平成26年3月 総社市教育委員会



アプローチ
 朝食を終え倉敷を出発 車載温度4℃ 吉備路429を走る 山並がくっきり見えてくる 桃の花も咲きだし 沿道には鮮やかな色が増えてきた 180号を横断し県道271へ進む JRの踏み切りを抜け 道なりに車を走らす 血吸川堰堤の国際ゴルフ場案内標識を確認し左折する ゴルフ場への案内に従い堰堤から左へ降りて行く 最初の交差点を右折する 道幅はぐっと狭くなる 対向車に備えて退避場所を考えながら走る 次の交差点も左に折れ あとは道なりに走る 穴観音入口の標識を左に見て、奥坂休憩所に 休憩所の空地に駐車 車載温度は1℃ 駐車している車は無い