奥坂休憩所7:10−7:12鬼城・岩屋方面入口−7:20鬼ノ城東門登山道入口−7:55東門−8:02分岐5−8:07第二展望所8:10−8:27北門7−8:38北の吉備路−8:56北の吉備路学習見本園9:04ー9:09鬼城山ビジターセンター駐車場−9:16角楼−9:17鬼城山山頂−9:19西門−9:28南門−9:36東門−9:59東門登山道入口−10:07奥坂休憩所
今日は奥坂から鬼城山(きのじょうさん397m)を訪ねる登山支度をして出発する 駐車場の総社ふるさと自然のみち案内図*1)と書いた大きな案内板の前を抜け自動車道を山へ向かう 冬の季節はここから第二展望所など鬼城山の山並を伺う事が出来たが手前の樹木の葉が茂り見ずらい ガスも出ておりぼんやりした景観 道路脇の斜面には花は見られず、寂しい感じがする 鬼ノ城・岩屋の案内に従い分岐を左へ進む、鬼ノ城と書いた案内標識に従い遊歩道へ進む
ルートは簡易舗装されているがやがて土のルートになる 総社ふるさと自然のみち として整備されている ドクダミ アメリカフウロソウ ワルナスビ クリの花を見つけながらルートを行く 10分もしないで鬼ノ城東門と書いた案内標識のところに出る 標識に従い左へ曲がる 曲がり角には石仏が設置されている
登山道へ入って行く すぐに貯水タンクが設置されているところに出、そこから丸太の階段の山道となる 山道を登ってゆく 今日の狙いの一つはサンゴジュ 実から判断したが怪しい 開花時期が6月とメモしておいた それを確認したい もう一つは北の吉備路の学習見本園 湿原となっておりササユリ ユウスゲ カキラン等が紹介されている どの花に出会えるか楽しみだ ルートは先日の雨の影響で葉は雨滴で濡れている その中を登って行くのでズボンは随分と濡れてきた 腰にセットしているカメラを濡らさないよう留意しながら登って行く
コシダが多いルートを登って行く 結構急な斜面は適度に湿りしっかり足を支えてくれる ヒメヤシャブシ*(*は実を意味する) ヤマツツジ ソヨゴ*などを見つけながら登って行く ルートには岩が出てくる頻度が次第に増え 岩肌のルートとなる 結構傾斜がある 岩や枝を掴んだり、ここでも手で加勢して登って行く 岩肌のルートとなったところにネズ*(*は実を意味する)が顔を見せる その左手の木が調査対象 花や実を何もつけていない これでは確認のしようが無い 幻のサンゴジュとしておこう
岩肌は広くルートを随意に選べる 今日も前回同様右寄りのルートを行く 出発点にあたる木の枝を見上げるとミニ鯉のぼりがまだ残っていた こうしたチェックも面白い 広い斜面を登って行く 左に通常ルートがある事を意識しながら登ってゆく ネジキの花を見つけた そして、従来登っていたルートと合流する 段差があるルートを、岩や木を掴みながら登って行く 目の前にヒサカキ*が顔を見せる 岩肌の斜面にかかってから10分程登ると、左手前方に東門跡が見えてきて、遊歩道に出る 出たところには案内図があり、奥坂休憩所方面へ降りられると記載されている 帰路はここから降りる予定
今日のもう一つの狙いは北の吉備路の学習見本園 第二展望所を経由して北門へ そして北門ルートを降り 北の吉備路の学習見本園を経由してビジターセンター駐車場に そこから鬼城山山頂に登り返し 西門 南門 東門と周遊 東門から降りるというルートを考えている
そのルートを念頭に第二展望台の方向へ向かう いつものところにソヨゴ*が実をつけている サルトリイバラ* ヤマツツジも顔を見せる 鍛冶工房跡*2)を過ぎる 標識5の分岐を直進する ルートから第二展望所が見えるところがあるが すぐ近くとは言えガスでぼんやりした景観 すぐに土手状遺構(堤)*3)の案内があり第二展望台に出る
第二展望台からは北側を除き270度の展望が得られる ここにも鬼ノ城*4) 屏風折れの石垣*5)の案内板がある また温羅奮跡と彫られた大きな石碑が建立されている リュックを降ろし 麦茶休憩をとりながら周辺の景観を楽しむ 遠望はきかない 奥坂の休憩所は判別出来る 左手方向に山並の一部がガスから顔を見せる ガスの中の景観は一味違う 石垣のところに花をつけたものを見つけ、ズームで撮る リョウブかと思って撮ったがパソコンで見ると違う 画像検索にかけて見たところエビヅルが候補として検索された 何かの木にからんでいるエビヅルのようだ 画像検索でここまでヒットしたのは初めて かなり検索機能が向上している
一休みして遊歩道を 北門跡*6)へ目指す ネジキがあちらこちらで白い小さな花を咲かせている ルートはほぼ平坦 樹林に覆われ空気がおいしい おや! イチヤクソウだ こうした花も咲くのかと喜んでカメラに収める そして北門跡に出る
北門から北門ルートを降りて行く 分岐には標識7が設置されており下山ルートには急坂と赤に白字の記載がある 木の階段を降りて行く そこにオカトラノオが一輪顔を見せてくれた ノイバラも咲いていた そして足元に留意しながら降りて行く 東門ルートと比べれば随分と楽 ルート脇にナツハゼ*を見つける 特徴ある色調 雨滴を含み潤いがある 10分少々で下山
下山後は北の吉備路と呼ばれる渓流沿いのルートを行く 早速ササユリがお出迎え ここで出会えるとは思ってもいなかった これは嬉しい ルート沿いにはノイバラが多く白い花が目立つ ササユリもまた顔を見せてくれた キツネノボタン ヤマウルシ イヌツゲ ミヤマヨメナなど見つけながら渓流沿いのルートを行くと 木道となり 北の吉備路 学習見本園の湿原に出る
湿原にはノハナショウブが一面に咲き 優雅な濃い紫色の花を咲かせていた ササユリやカキランは見つけられなかった 渓流沿いにササユリが咲いていたのでここにもと期待したが残念だった 木道から花を見ているところを記念写真として撮る 湿原には白っぽい色をしたアヤメが一輪 カキツバタ*の実をつけたものが別のところに固まっていた ノアザミも顔を見せていた
花を楽しみ 湿原を後にする 出たところはビジターセンター駐車場 今日は車が少ない それでも2組のグループが支度をされていた
ビジターセンター脇から鬼城山へ登り返す 鬼城山(鬼ノ城)*8)の案内を見て ルートを登って行く 車椅子走行可能な遊歩道は遠慮して管理用道路を登って行く 右手に西門が見えてくる そして経山も伺う事が出来る 少し行くと分岐がありそこには標識1が設置されていた
角楼跡*9)に向かい 角楼脇のオオバヤシャブシ*を確認し山頂に出る ガスでぼんやりした景観 すぐに西門の方へ降りる
西門から門を潜らずに城壁に沿って降りて行く ここには西門跡*10)西門の復元*11)城壁*12)敷石*13)などの説明がある 今日も門を潜らなかったが西門の復元*10)城壁*11)の説明は見ていないもののそのまま書いておく
西門を後にして、南門跡*14)を経由して 東門跡*15)と周遊する そして、東門から登ってきたルートを降りる 岩がごろごろしたルートを無事に抜ける あとは足元に留意しながら降りて行く 途中どなたともすれ違わなかった 駐車場にも私の車だけだった 車の近くにモクレンの木がある事を思い出し 近づいて見ると特徴のある実をつけていた 車載温度は23℃だった−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
*1)総社ふるさと自然のみち案内図−奥坂休憩所−
この一帯は、国指定史跡鬼城山をはじめ貴重な文化財と豊な自然環境が残ると共に、人の暮らしと自然が調和した里山が広がり、「自然と歴史あふれるフィールドミュージアム」として位置づけられます。鬼ノ城は、標高約400mの吉備高原の南緑に集かれた古代山城で、朝鮮式山城と考えられている、
鬼ノ城は、すり鉢を伏せたような山の形をしており、全周約2、8kmの城壁が鉢巻状に巡っている。この城壁は下部に列石、その上部に版築土塁が築かれており、その規模は、幅約7m、推定高約6mになる。また、要所に堅固な高い石垣を築いている、この城壁は、数m−数十mの直線を単位として、地形に応じて城内外へ「折れ」を有している。
城壁に伴う遺構としては、谷部に6箇所の水門(排水機能をもつ城壁)が設けられ、西門の近くには城壁の防御効果を高めるために、角楼が築かれている、また、出入口となる城門は4箇所で発見されている。
城内には、食糧貯蔵庫と考えられる礎石建物跡などが発見されている。*2)鍛冶工房跡
鬼ノ城を築くために使用した、鉄の道具を製作・修理した場所です。城づくりには、山を削り、岩を砕くなどの作業に鉄の道具は欠かせません.ここでは、左下図のように、平坦な地面をつくり(段状遺構)、柱を立て並べて、屋根をかけたと思われる施設と、その中に並んだ9基の鍛冶炉かが発見されました。
炉の周囲からは、鉄滓・羽口・砥石などが出土したほか、鉄を鍛える時に飛び散る鍛造剥片や粒状滓も多数発見されており、鍛冶作業の光景が浮かびます。
平成27年3月 総社市教育委員会
*3)土手状遺構(堤)
第五水門の背後には、谷川をせきとめるように土手提の遺構が確認されています。全長は約26m、幅は8m、高さは6m以上で、そのタト側と内側を石垣で補強しています。とくに外側では段違いに上下2段の石垣とし、その間に敷石も施しています。
土手(堤)を築き、内側に貯水池をつくることで、谷川の水量を調整して城壁の保護も図ったと考えられます。
平成30年3月 総社市教育委員会
*4)鬼ノ城
千数百年前、温羅(うら)と呼ばれる一族が朝鮮より渡来し居住したといわれており、付近の城塁は、当時のなごりだともいわれております。
また鬼ノ城一帯は、平安時代に新山・岩屋とともに山上仏教が栄え、大規模な伽藍(がらん)が多数立ちならび、西方教化の中心地であったといわれています。
総社市
*5)屏風折れの石垣
鬼ノ城で最も著名な高石垣です。血吸川の急崖上に舌状に構築されており、内側列石や敷石が残っていることから、建物は存在しない可能性が高いと考えられます。
*6)北門跡
唯一背面側にある城門です。
基本的な構造は他の西門・南門・東門と同じ掘立柱城門で、通路床面には大きな石を敷いています。規模的には大型の西門・南門の対し、東門とともにやや小型の城門です。
通路床面とその前面の地面に1.7−2.3mの段差があり、こうした城門を朝鮮半島では「懸門(けんもん)」と呼んでいます。
門柱は本柱のみ角柱で、他は丸柱であり、柱間の寸法も異なるなど、特異な組合せです。
通路床面下には「排水溝」が設けられており、これは日本の古代山城では初の発見例です。類例に高松市の屋島城があります。
上屋(うわや)については検討中であり、柱の高さは仮のものです。
平成20年3月 総社市教育委員会*7)北の吉備路 学習見本園
【北の吉備路学習見本園】は、北の吉備路一帯に現在自生している植物・あるいはかつて自生していた植物を集約し、だれでも手軽にこの一帯の自然に『触れ・学び・感じる』ことができる環境学習の拠点施設として平成16年、「総社ふるさと自然のみち」の開設にあわせて、棚田の跡地を活用して整備されたちのです。
この北の吉備路学習見本園をご覧になり、時間に余裕があれば「総社ふるさと自然のみち」をぜひ散策してみてください。自然と歴史ロマンあふれるフイールドミュージアム「北の吉備路」か四季折々に豊かな表情をみせ、みなさまをきつと歓迎してくれることと思います。 総社市環境課*8)鬼城山(鬼ノ城)
ここ吉備地方には、大和朝廷が派遣した吉備津彦命が人々を苦しめた鬼神(温羅とも呼ばれる)を退治した伝説が残り、昔話「桃太郎」の原型になったとされています。
伝説では、鬼ノ城は温羅の居城とされ、吉備津神社や吉備津彦神社のある「吉備の中山」に陣を構える吉備津彦命と、弓矢などで戦いました。
標高400mのこの城は7世紀後半に築かれ、山頂の平坦地を石垣や土を固めた土塁が約2.8kmに渡って囲んでいました。築城当時は、南方面に海が広がっていたと考えられ、遠くに船が行き交う様子を見ることができたと思われます。近隣には、温羅が生贄を茹でたといわれる鬼の釜など、伝説ゆかりの地が多くあります。*9)角楼跡
日本の古代山城では、初めて具体的に確認された特殊な施設です。中国の城郭でいう「馬面(ばめん)」、朝鮮半島での「雉(ち)」に当たります。
ここは、尾根つづきで攻められやすいため、城壁の死角を補い防御力を高めることを目的として、城壁の一部を長方形(13X4m)に張り出しています。
角楼の下半部は、両側の石垣と同じように石垣積みで、ほぼ4m間隔で一辺50cmの6本の角柱が石垣の間に建っていたことがわかりました。また城内側には、この施設への昇降のための石段も設けられています。
しかし、この上に建物などがあったかどうかは不明です。
最高所の鬼城山・西門と一体となって、強固な防御ゾーンを形成しています。
平成19年3月 総社市教育委員会
*10)西門跡
鬼ノ城は、四ヵ所に城門を設けています。
いずれも堀立柱の城門で、通路床面に大きな石を敷き、床面と城門前面に2m近い段差を持つ(懸門)ことを特徴としています。
西門は、南門と同規模の大型の城門で開口3間(12.3m)、中央1間を通路とし、2間の奥行をもち、12本の柱で上屋を支えます。柱は一辺最大60cmの角柱を2mほども埋め込んでいます。
本柱に合わせたくり込み、方立柱穴、軸摺穴、蹴放しがー体的に加エされた門礎をもつのは、鬼ノ城のもののみです。
西門は日本最大の古代山城大野城の大宰府口城門(間口8.85m)をしのぐ、壮大堅固な城門です。
平成19年3月 総社市教育委員会
*11)西門の復元
西門跡は、きわめて良好な状態で残っていました。
12本の柱の位置と太さ、埋め込まれた深さ、各柱間の寸法も正確に知ることができ、また通路床面の石敷や石段、敷石もよく残っていたので、城門の規模と構造を具体的に知ることができました。
そこでこれらの資料をもとに、関連資料を参考にし、戦闘の場としての機能を考慮して三階建ての城門に復元しています。一階は通路、二階は城壁上の連絡路、三階は見張りや戦闘の場としての機能をもっものです。屋根は調査時にも瓦は出土していないので、板葺きにしています。
古代山城の城門の復元例としては、日本で初の事例です。
平成19年3月 総社市教育委員会*12)城壁
鬼ノ城は、頂上から斜面に変わるあたりに鉢巻きをしめたように2.8kmにわたって城壁が築かれています。
城壁は直線を基本とし、多少の高低差はあるものの、下幅約7m、上幅約6m、高さ6mの規模をもち、城壁で囲まれた城内面積は約30haに及ぶ広大さです。
城壁の大部は、土を少しずつ入れて突き固めた”版築土塁”で、要所の六ヶ所には高い石垣を築いていますが、基本的には土城です。
また城壁の上面には板塀が巡らされており、城壁の高さと一体となって攻略の難しいー大防御壁となっています。
ここには版築土塁・高石垣・水門があり、城壁の特徴をよく示している区間です。
平成21年3月 総社市教育委員会*13)敷石
鬼ノ城では、城壁の下の面に接して板石を多数敷きつめています。幅は基本的に1.5m幅で、城内側の広い所では5m幅にもなる所もあります。
敷石は多くの区間に敷かれており、総重量は数千トンにもなります。
この石畳のような敷石は、通路としての役わりもあるものの、敷石の傾斜などからみて、もともとは雨水等が城壁を壊すのを防ぐことを目的としたものと考えられます。
敷石は、日本の古代山城では鬼ノ城にしかなく、朝鮮半島でも数例知られるだけの珍しいものです。
とくにこの区間の敷石は、鬼ノ城でも見事なところです。
平成21年3月 総社市教育委員会*14)南門跡
南門は、間口3間(12.3m)、奥行2間(8.2m)の規模をもち、一辺55cm前後の巨大な角柱12本で上屋を構成する大型の城門です。
門の入口は2m近い段差を設けた懸門で、中央1間(約4m)を城内への通路としています。床には巨石を敷き、扉の据え付け開閉のために、丁寧に加工された門礎が両側に配されています。
この城門は、細部の違いがあるものの、規模・構造ともに西門と同じくし、いずれが正門なのか興味をひかれるところです。
平成26年3月 総社市教育委員会*15)東門跡
東門は、西門や南門に比べるとやや小ぶりとなる間口1間(3.3m)、奥行き2間(5.6m)の城門です。
門の入口は2m以上の段差を設けた懸門構造とし、扉を入った正面には侵入を妨げる巨大な岩を利用して、防御機能を高めています。
この城門は、他の3門が角柱を多用するのに対し、すべて丸柱が用いられるなど、やや異なった特徴をもっています。
麓からの山道は今でも利用されていますが、鬼ノ城がっくられた当時の登城道と重複している可能性が高いようです。
平成26年3月 総社市教育委員会
朝食を終え倉敷を出発 車載温度19℃ 吉備路429を走る ガスがかかり山並は見えない 6/14に中国地方梅雨入り 雨模様が続く中、晴時々曇りの予報があり出かけたもの 180号を横断し県道271へ進む JRの踏み切りを抜け 道なりに車を走らす 血吸川堰堤の国際ゴルフ場案内標識を確認し左折する ゴルフ場への案内に従い堰堤から左へ降りて行く 最初の交差点を右折する 道幅はぐっと狭くなる 対向車に備えて退避場所を考えながら走る 次の交差点も左に折れ あとは道なりに走る 穴観音入口の標識を左に見て、奥坂休憩所に 休憩所の空地に駐車 車載温度は19℃ 駐車している車は無い