砂川公園7:22−7:44鉄塔#353入口−7:46鉄塔#352入口−8:08鉄塔#352−8:16鉄塔#351_8:17−8:18経山山頂−8:27分岐−8:31自動車道−8:37鬼の釜−8:47鬼城山ビジターセンター8:48−8:57角楼−8:58鬼城山山頂−9:11分岐4−9:20分岐5−9:22分岐8−9:25分岐10−9:27六番観音展望所9:35−9:40南門跡−9:50西門−9:56鬼城山ビジターセンター−10:05経山登山道入口−10:09分岐−10:21鉄塔#350−10:34分岐−10:42自動車道−10:49森林公園砂川の森−11:02砂川公園
今日は経山(きょうやま373m)・鬼城山(きのじょうさん397m)を訪ねる登山支度をする 朝の陽が射しこんくる ウインドウブレーカ―はリュックに入れ出発する 砂川公園に入り水路に沿って進む 後方から陽射しを浴び心地よい
園地から自動車道に出る 鬼ノ城駐車場まで3000mと書いた標識を見て道路を登って行く ルート脇にオオバヤシャブシの花芽 ヌルデ*(*は実を意味する)を見つけ 赤坂池に出る 池の対角線にこれから登るルートにあたる鉄塔を確認出来る
自動車道を登って行く この辺りはヌルデ*が多い ソヨゴ*の赤い実を見つける事が出来た
鬼ノ城駐車場まで2000mの標識を過ぎるとまもなく右手に鉄塔#353巡視ルート入口があるが、ここを過ぎて1,2分登った位置、左手に鉄塔#352巡視ルートがあり そこへ入る ルート入口右手に十五番と刻された石像がある
鉄塔#352巡視ルートを行く コシダやシダが多いルートを登って行く ネズ* ヒサカキ*を見つける この時期花や実は少ない ヤブツバキの木があるのだが花は見つけられなかった 振り返るようにして左手方向を見ると小豆島や金甲山などが見える ズームで金甲山を狙ったが良く見たら常山を撮っていた 結構きつい傾斜に耐えながら登って行くと鉄塔#352に出る 出たところにソヨゴの木があり赤い実 黒い実をつけていた
ルートは左に折れその前方に#351鉄塔が見える なだらかな登り 山を右に見て、トラバースする感じ 色褪せたサルトリイバラ*を見つけた そして鉄塔#351に出る 鉄塔から少し登ったところに経山の展望スポットがある
展望スポットに立ち、景観を一望する ここで再度金甲山をズームで狙う 展望スポットを後に、三角点のある山頂標識を経由して鬼城山へ向かう 山頂標識のあるところからは眺望は得られない 少し行くと経山城跡*1)と書いた標識がある
標識を後に、ルートを降りて行く そして、分岐に出る 帰路はここから砂川公園へ降りて行くが、右に折れ鬼城山へ向かう
数分で自動車道に出る 暫くは自動車道を登って行く ルート沿いの野辺の花を楽しみにしていたが まだ時期尚早のようで見つける事は出来なかった 引っ付き虫である特徴のあるセンダングサ*があちらこちらに見られた そして 鬼の釜*2)に出る
鬼の釜のところで自動車道を斜め横断し遊歩道に入る ため池の脇を抜け ビジターセンターの裏手に出る ここも花や実を見つけられなかった
鬼城ビジターセンターを抜ける センター入口には国指定史跡 鬼城山(鬼ノ城)*3) 中国自然歩道案内図*4) 総社のふるさと自然のみち総合案内図*5)が設置されている 駐車場には2台駐車していた
山頂に向け登って行く ルートを少し行ったところに鬼城山(鬼ノ城)*6)と書いた説明板が設置されている 遊歩道入口にパンフレットが置いてある 遊歩道には"車椅子可"との表示があり車椅子で登れるよう配慮されている 私は直登ルートを登って行く ルート右手方向に西門が見え そして、それが前面に見えてくる ルート脇にヒメヤシャブシ* サルトリイバラ*を見つける
そして 分岐に出る ここに出ると西門と城壁が見え 眼を右に転ずると、経山のピークを伺う事が出来る
景観を一望し分岐を左にとり角楼跡*7)を左に見て山頂広場へ向かう 入口にあるオオバヤシャブシは花芽をつけていた いつものところに見られるコウヤボウキ*の綿毛を確認し山頂広場に出る
山頂広場からは児島湖や金甲山・小豆島などを伺う事が出来る 今日はこれまで歩いた事がなかった林間コースを行く 山頂から小豆島方向を見て足元の斜面を見ると ルート標識が見える 近づいて確認すると 林間コース 第二展望1130m 湿地810mとある 湿地があると季節には花が期待される
案内に従ってルートを行く 林間ルートであり景観は得られない ヒサカキ*を見つけたりしながら行く タムシバが楽しめるかはわからない 右手に湿地が見えるが、まだ3分しか経過していない案内にある湿地とは違う 更にルートを行くと今度は左に湿地が広がる まむし注意の標識もある ここかも知れない そこからルートを2分程行くと分岐4(数字は標識に附番してあるもの)に出る その標識を見ると湿地はまだ先だった 分岐の手前にアセビが花芽をつけているのを見つける
分岐を右にとる ここのルートならこれまでに歩いた事がある 3分程行くと左手に湿地が見える ここに湿地があったのかと再認識する 近くにソヨゴ*が赤い実をつけていた しばらく行くと東屋が見え 展望が得られる所に出る 展望所として名前はついていないようだが第二展望所同様良い景観を楽しめる 左手には第二展望所が見え 眼下にはゴルフ場が見える 景観を一望しルートを行くとすぐ分岐5に出る
分岐を右に行くとすぐに分岐8に出る こんなところに分岐があったかなと分岐先を見る 分岐先に展望コースと案内があり西門跡へ向かっている 果たしてどこに出るのだろうかとルートを行く 数分で分岐10に出る なんだ 東門跡のバイパスルートでその間展望が得られる所は無かった 番号付の標識が新設され ルートの雰囲気が随分違って見える
ここからはいつも歩く外周ルート 分岐を直進するとすぐに大きな岩に彫った第五番観音のある広場に出る ここも景観が得られる場所 左手に第二展望所や東門跡が見える ゴルフ場も小豆島等の山なみも伺う事が出来る 今日はここで記念写真を撮る 広場にある松の木にプラスチックの容器を差し込んでいる 説明があり 「松くい虫予防事業(樹幹注入)を実施しています。松にささっています、薬剤のボトルに触れないよう お願いいたします」との記載があった 良く見ると周辺の松の木にもボトルが幾つもささっていた
記念写真を撮りルートを行く 南門跡*8) 敷石*9) 城壁*10) 西門の復元*11) 西門跡*12)と案内がある 南門跡は倒壊の危険があり立ち入り禁止との表示があった 西門の城壁の上部には石で抑えた防水シートのようなものが前面を覆っていた 復元後の維持もなかなか大変なようだ
西門跡で登ってきたルートと合流する ここからは来た道を戻る 但しビジターセンターから鬼の釜までは自動車道を降りる 野辺の花はまだ 下りのウオーキングを楽しむ
経山登山口から再度登山ルートへ入り 分岐を経山に向かわず直進し砂川公園へ向かう 花や実に出会うこと無く鉄塔#350に 鉄塔のところにネジキ*が実を残していた
鉄塔を後に降りて行く ルートは結構急なところがあり足元に留意し降りて行く 降りたところは三叉路になっており案内表示がある ここからは平坦になり道幅も広くなる 渓流を飛び石伝いに渡る所があり、抜けてゆく そして自動車道に出る
道路脇にコマツナギ* オオバヤシャブシ ヘクソカズラ*などを見つけ 大きな案内板:総社のふるさと自然のみち総合案内図*5)のところに出る そこから遊歩道を行く アセビが花芽をつけているのを見つける 砂川公園の外周にはサザンカがちらほら咲いていた そして駐車場に 駐車場はかなり車が増えていた 車載温度は8℃だった
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*1)経山城跡
経山城は、守護大名の大内氏が天文年間に築いたといわれる山城です。天文十二年(1543)に赤松春政、元亀二年(1571)に尼子晴久の城攻めがあり、天正十年(1582)の高松の役後に廃城となったと考えられます。
城は、山頂の主郭を囲むように壇や郭、曲輪を配し、さらに石垣や石塁、堀切を備えるなど、城の形状がよく残されている山城です。*2)鬼の釜
口径約185cm、深さ約105cmの大きな鉄の釜です。底の一部が欠けています。
釜は鋳物で制作されたもので、鋳型のつぎ合わせた痕が明瞭に残されています。
そのむかし、鬼ノ城に住んでいた温羅(うら)と呼ばれる鬼神がいけにえをゆでたと言い伝えられていますが、江戸時代に近くの湯釜谷から出土したという事実からも、山岳寺院であった、ここ新山寺の湯屋に使用された湯釜と考えられています。*3)国指定史跡 鬼城山(鬼ノ城) 昭和61年3月25日 指定
鬼ノ城は標高約430mの鬼城山に築かれた壮大で堅固な古代山城です。吉備高原の南端に位置しており、眼下の総社平野には集落が営まれ官衙(かんが役所),寺院などが造営されました。また、古代の山陽道が東西に走り吉備の津(港)から瀬戸内海への海上交通も至便であり、まさに政治、経済、交通上の要地を一望できます。
鬼ノ城の山容は擂鉢(すりばち)を伏せたような形状をし、山頂付近はなだらかな斜面となっていますが、山の八−九合目以下は著しく傾斜しています。この山頂部との傾斜が変化する部位に城壁が築かれ、全周約2.8kmに及んでいます。
城壁は版築(はんちく)工法のより築かれた土塁が主体をなし、城門が四ケ所、排水機能をもつ水門が六ケ所、また石垣などにより構成されています。
特に復元整備を実施している角楼(かくろう)から第0水門までの城壁は、巨大な西門や、ゆるぎなく突き固められた土塁が復元され、当時の雄大な姿や精緻(せいち)な築城技術を窺うことができます。
城内はよそ30haという広大な面積があり、これまでに礎石建物跡、溜井(ためい水汲場)、土取場などが見つかっていますが、今後の調査によりさらに新たな発見が期待されます。
築城の時期については諸説ありますが、大和朝廷が朝鮮半島の百済軍救援のため出兵した白村江(はくすきのえ)の海戦(663年)において大敗した後、唐、新羅連合軍の日本侵攻を恐れ、急ぎ西日本各地に築城した城の一つと考えられています。鬼の城は当時の東アジア情勢を鋭敏に反映した遺跡と言えます。
平成16年1月 総社市教育委員会
*4)中国自然歩道案内図(古代山城を訪ねるみち)
中国自然歩道とは
中国自然歩道は、中国5県を一周し、それぞれの地方に残された美しい自然のなかを歩いて、豊かな自然に親しみ、また、郷土の歴史や又化にふれて、私たちのふるさとを見直すための長距離自然歩道です。
岡山県では、自然歩道を5つのルートに大別し、さらに各ルートを1日で楽しめるよう、合計43のコースに区分しています、主な見どころ
砂川公園
鬼城山の山裾を流れる砂川沿いに整備された公園。炊事棟やトイレが完備されたキャンプ場のほか、ウォータースライダーなどの親水施設がある。
鬼ノ城
温羅伝説の発祥地といわれる古代山城。標高400mの鬼城山の山頂に3−にわたって続く石垣や土塁はわが国最大級の規模を誇る。
皇の墓
岩屋寺の開祖、善通大師の墓と伝えられる.善通大師は文武天皇の皇子で、7歳のとき、岩屋山に登って僧侶となり、岩屋寺を建立した。
総社のふるさと自然のみち
北の吉備路に整備された遊歩道で、自らの足で歩<ことを通して自然とのふれあいやふるさとの歴史などに親しみ、自然教育の効果を高めることを目的としたみちである。(写真は棚田の風景)
*5)総社のふるさと自然のみち総合案内図
この一帯は、國指定史跡鬼城山をはじめ貴重な文化財と豊な自然環境が残ると共に、人の暮らしと自然が調和した里山が広がり、「自然と歴史あふれるフィールドミュージアム」として位置づけられます。
*6)鬼城山(鬼ノ城)
ここ吉備地方には、大和朝廷が派遣した吉備津彦命が人々を苦しめた鬼神(温羅とも呼ばれる)を退治した伝説が残り、昔話「桃太郎」の原型になったとされています。
伝説では、鬼ノ城は温羅の居城とされ、吉備津神社や吉備津彦神社のある「吉備の中山」に陣を構える吉備津彦命と、弓矢などで戦いました。
標高400mのこの城は7世紀後半に築かれ、山頂の平坦地を石垣や土を固めた土塁が約2.8kmに渡って囲んでいました。築城当時は、南方面に海が広がっていたと考えられ、遠くに船が行き交う様子を見ることができたと思われます。近隣には、温羅が生贄を茹でたといわれる鬼の釜など、伝説ゆかりの地が多くあります。*7)角楼跡
日本の古代山城では、初めて具体的に確認された特殊な施設です。中国の城郭でいう「馬面(ばめん)」、朝鮮半島での「雉(ち)」に当たります。
ここは、尾根つづきで攻められやすいため、城壁の死角を補い防御力を高めることを目的として、城壁の一部を長方形(13X4m)に張り出しています。
角楼の下半部は、両側の石垣と同じように石垣積みで、ほぼ4m間隔で一辺50cmの6本の角柱が石垣の間に建っていたことがわかりました。また城内側には、この施設への昇降のための石段も設けられています。
しかし、この上に建物などがあったかどうかは不明です。
最高所の鬼城山・西門と一体となって、強固は防御ゾーンを形成しています。
平成19年3月 総社市教育委員会*8)南門跡
南門は、間口3間(12.3m)、奥行2間(8.2m)の規模をもち、一辺55cm前後の巨大な角柱12本で上屋を構成する大型の城門です。
門の入口は2m近い段差を設けた懸門で、中央1間(約4m)を城内への通路としています。床には巨石を敷き、扉の据え付け開閉のために、丁寧に加工された門礎が両側に配されています。
この城門は、細部の違いがあるものの、規模・構造ともに西門と同じくし、いずれが正門なのか興味をひかれるところです。
平成26年3月 総社市教育委員会
*9)敷石
鬼ノ城では、城壁の下の面に接して板石を多数敷きつめています。幅は基本的に1.5m幅で、城内側の広い所では5m幅にもなる所もあります。
敷石は多くの区間に敷かれており、総重量は数千トンにもなります。
この石畳のような敷石は、通路としての役わりもあるものの、敷石の傾斜などからみて、もともとは雨水等が城壁を壊すのを防ぐことを目的としたものと考えられます。
敷石は、日本の古代山城では鬼ノ城にしかなく、朝鮮半島でも数例知られるだけの珍しいものです。
とくにこの区間の敷石は、鬼ノ城でも見事なところです。
平成21年3月 総社市教育委員会
*10)城壁
鬼ノ城は、頂上から斜面に変わるあたりに鉢巻きをしめたように2.8kmにわたって城壁が築かれています。
城壁は直線を基本とし、多少の高低差はあるものの、下幅約7m、上幅約6m、高さ6mの規模をもち、城壁で囲まれた城内面積は約30haに及ぶ広大さです。
城壁の大部は、土を少しずつ入れて突き固めた”版築土塁”で、要所の六ヶ所には高い石垣を築いていますが、基本的には土城です。
また城壁の上面には板塀が巡らされており、城壁の高さと一体となって攻略の難しいー大防御壁となっています。
ここには版築土塁・高石垣・水門があり、城壁の特徴をよく示している区間です。
平成21年3月 総社市教育委員会
*11)西門の復元
西門跡は、きわめて良好な状態で残っていました。
12本の柱の位置と太さ、埋め込まれた深さ、各柱間の寸法も正確に知ることができ、また通路床面の石敷や石段、敷石もよく残っていたので、城門の規模と構造を具体的に知ることができました。
そこでこれらの資料をもとに、関連資料を参考にし、戦闘の場としての機能を考慮して三階建ての城門に復元しています。一階は通路、二階は城壁上の連絡路、三階は見張りや戦闘の場としての機能をもっものです。屋根は調査時にも瓦は出土していないので、板葺きにしています。
古代山城の城門の復元例としては、日本で初の事例です。
平成19年3月 総社市教育委員会
*12)西門跡
鬼ノ城は、四ヵ所に城門を設けています。
いずれも堀立柱の城門で、通路床面に大きな石を敷き、床面と城門前面に2m近い段差を持つ(懸門)ことを特徴としています。
西門は、南門と同規模の大型の城門で開口3間(12.3m)、中央1間を通路とし、2間の奥行をもち、12本の柱で上屋を支えます。柱は一辺最大60cmの角柱を2mほども埋め込んでいます。
本柱に合わせたくり込み、方立柱穴、軸摺穴、蹴放しがー体的に加エされた門礎をもつのは、鬼ノ城のもののみです。
西門は日本最大の古代山城大野城の大宰府口城門(間口8.85m)をしのぐ、壮大堅固な城門です。
平成19年3月 総社市教育委員会
日の出前に倉敷を出発 車載温度2℃ 429吉備路を行く 次第に空が明るくなる、正面に見える経山や鬼城山の山並みがくっきり見える 180号を横断し、県道271へ進む JRの踏み切りを抜け 道なりに右へカーブ 次の交差点で砂川公園の案内を確認して左折 そのまま山へ向かって走って行くと砂川公園に出る 公園一番奥の第7駐車場に駐車させて頂く 駐車している車は無い 車載温度は1℃