鬼ノ城駐車場7:07−7:23犬墓山7:24−7:39分岐−7:46鉄塔#34−7:51方位岩7:55−7:56馬頭観音−7:59八畳岩−8:05鬼の差し上げ岩8:12−8:15岩屋−8:27岩屋駐車場−8:41自動車道分岐−8:44北の吉備路学習の森北口=8:47アテツマンサク=8:53北の吉備路学習の森北口−8:58北門登山口−9:07北門−9:18鬼城山山頂−9:27鬼ノ城駐車場
今日は犬墓山(いぬはかやま443m)・鬼城山(きのじょうさん397m)を訪ねる登山支度をして出発する ウグイスの声が聞こえてくる 早、ウグイスが鳴く季節になった 駐車場から自動車道を横断した位置に丸太の階段がある そこが登山道入口になっている 今日は北の吉備路のアテツマンサクを訪ねたい 果たして咲いているだろうか?
丸太の階段を登って行く ソヨゴ*(*は実を意味する)を見つける すぐに十七番と彫ってある観音がある ルートはなだらかな登り ベンチがあるところに出る 振り返ると倉敷市街地方面を伺う事が出来る 今日は曇り空 いつも逆光だったので雰囲気を異にしている そこから少し登ったところに岩があり 岩越しに市街地を伺えるポイントもある おや! サルトリイバラ*だ 沢山の実をつけている少し下って登り返すと割れ目のある岩の所に出る その手前を右に入ったところに三角点がある 三角点に寄り岩のところに戻りすぐ先の三差路を右に折れ 犬墓山の山頂広場に出る
山頂広場には森林の復元と書いた大きな説明板があり 周辺が切り開かれ テーブルとベンチが設置されている そして鬼ノ城の西門を伺う事が出来る 前回は逆光の中の景観だったが、また違った写真が撮れた
ルートを戻り、三差路を直進する ルート前面に小高い山並みが見える その辺りが岩屋だ なだらかなアップダウンのルート ルート脇に顔を見せる、観音様を見ながらルートを行く 皇の墓ならびに岩切観音に向かう分岐は、今日は直進し 馬頭観音へ向かう 二十六番観音があり すぐに鉄塔#34が左手に見える 幾つか観音様を見てルートを行くと 大きな石が左手に現れ 方位岩と書いた標識が設置されている 岩の左手から裏手に回りこむようにして進むと岩の上に出る事が出来る コンパスを示すような岩がある 続いて大きな岩が続く 汐差岩と案内がある 岩を回り込みルートに戻る
すぐに馬頭観音に出る 他の観音様より少し大きい 周辺の地形・地質*1)と書いた案内板が設置されており 色々な説明がある
ルートを鬼の差し上げ岩へ向かう ルートから数歩入ったところにも石像があるのを見てルートを行くと 石像が右手にあり その前に屏風岩の案内がある 今日は寄らずにルートを行く 八畳岩 鯉岩を過ぎる 石像があちらこちらに見られる そして鬼の差上岩の裏手に出る 岩の間を通り抜け、正面に出る 今日はここで記念写真を撮る 鬼の差し上げ岩*2)の説明が記載されている 周辺には大きな岩が幾つも重なっている 2014,2015年に訪ねたときはロープで囲われ、写真を撮っている場所には立ち入り禁止になっていた(ネットで調べると 2014/4に落石事故があったとの事)
岩屋寺の前の雰囲気のある石段を降り 岩屋に出る そこには岩屋を説明した案内*3)がある 平安時代には栄えたとの事 朽ちた岩屋寺奥の院の建屋がある 岩屋の石段を降りたところに一番観音があるのを見て 岩屋駐車場へ向かう いつも出会うヤマフジ*の先に スモモが花を咲かせていた GoogleLensでスモモを判定してくれるかやってみたがウメと判定された 花では区別ができないようだ スモモの花が高いところに咲いているのをなんとかズームで撮る その先に皇の墓への分岐があるが、寄らずに岩屋駐車場へ向かう
岩屋駐車場から鬼ノ城へ向かう 分岐を棚田経由のルートを選ぶ 大きなビワの木が花芽をつけているのを左に 棚田の景観を右に見ながらルートを降りて行く 分岐のルートと合流 渓流に沿って緩やかな下りを行く そして自動車道に出る ここを左に行く 数分自動車道を行き、標識に従い右に折れると北の吉備路の北口に出る その手前の分岐を左に進むとアテツマンサクと生育限界*4)と書いた大きな案内板があるところに出る
周辺を見回すがそれらしい黄色い花が見つからない キョロキョロしながら案内板より更に入って行く ロープが張られ これより先立ち入り禁止の標識がある それならこの間にアテツマンサクの木があって良さそうだが 残念ながら見つける事が出来ない 案内板にはアテツマンサクの開花は2月中旬と記載され 生育限界のほぼ南限にあたる とも記載されている 温暖化の影響で、限界を超え 花を咲かせる事が出来なくなってしまったのだろうか? 黄色い花に出会える事を楽しみにしていたが残念だ
ルートを戻り 北の吉備路を行く 南口を抜けたところに北門への登山口があり 北門へ向けて登って行く タムシバのルートであるが花芽もまだだ 10分程で北門に出る 北門から岩屋の山並みを伺う事が出来る
岩屋の山並みを右手に見ながらルートを行き鬼城山山頂に出る 太陽が雲間から顔を出し、暖かな陽が射してくる 角楼に寄り犬墓山や岩屋の山並みを見て鬼ノ城駐車場に降りる この間何人もの方とすれ違う どういう訳か挨拶を交わす事が少ない こんにちわと交わしても良さそうだが・・・
北門からのルートではヒメヤシャブシ* ヒサカキの花芽 ソヨゴ* コウヤボウキ* オオバヤシャブシの花芽 サルトリイバラ* ネズ* リョウブ* ヤブツバキを見つけた 駐車場には随分車が増えていた 久々の晴れ間を皆待っていたようだ 車載温度は4℃だった
駐車場に出る少し手前に鬼城山(鬼ノ城)*5)と書いた説明板があり 鬼ノ城駐車場入り口の管理センター前には 国指定史跡 鬼城山(鬼ノ城)*6) 中国自然歩道案内図(古代山城を訪ねるみち)*7) 総社のふるさと自然のみち総合案内図*8) と題した大きな案内板がある
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*1)周辺の地形・地質
自然が造るオブジェ
岩屋周辺には、巨岩・奇石が多い。これは、花崗岩が長い年月をかけて風化し、硬い岩盤層が剥き出しになったためであり、まさに自然が創り上げた芸術作品と言えよう。
八畳岩
昔の人は、その岩の巨大さに驚き、八畳敷きという形で表現してこの名がついた。
鯉岩
温羅が鯉に化けて逃げたという温羅伝説にちなんでこの名がついた。
鬼ノ城・岩屋周辺の地形と地質
吉備高原の山並みが終わり平野部と明確な標高差を生んでいることがこの一帯の地形を特徴づけている。また、吉備高原と同じ花崗岩質で、地質的にも平野部とは特徴を異にしている。
マメ知識 鬼の棲家
鬼ノ城・岩屋周辺には、「鬼」と名のつく岩が多く存在する。
・鬼の差し上げ岩
・鬼のもちつき岩
・鬼の酒盛り岩
・鬼の昼寝岩 など。
この地には「温羅伝説」が残っており、これらの岩が、温羅の存在に一層真実味を帯びさせている。*2)鬼の差し上げ岩
この岩窟の天井にあたる岩で、大きさはおおよそ縦15m、横5m、厚さ5m。この地方には、桃太郎噺の源ともいわれる「吉備津彦の鬼退治」すなわち「温羅伝承」が広く伝わっており、各地にこの伝承にまつわる地名や場所などが数多くあります。
この岩もこの伝承にまつわるものの一つで、鬼のモデルと言われる温羅が、この巨大な岩を差し上げて岩窟を造り、すみかにしたと伝えられるところから、この名がついたと言われています。岩の裏側の窪みは、差し上げた時に出来たと伝えられ、「鬼の手形」と呼ばれます。
また、この地の岩屋と言う地名も、この岩窟に由来すると言われています。この周囲には、鯉岩・八畳岩・屏風岩など多くの巨岩があります。(総社市)*3)岩屋
鬼の城、新山とともに、平安時代には、山上仏教の中心地として栄えたといわれていますが、いろんな学説等がありはっきりしません。
周囲のたたずまいや巨大な花崗岩でできた岩穴を目の前にして、吉備津彦命の温羅(うら)退治をはじめとする数々の伝説を思いうかべるとき、岩屋は、今もなお緑と伝説の地といえます。*4)アテツマンサクと生育限界
アテツマンサクの特徴
●細いリボンをよしったような黄色い花をつける。
●開花期は。2月中旬ころ。
●環境省のレッドデータブックに準絶滅危惧種として指定されている。
●この一帯が,県内でのほぼ南限にあたる。
県中・北部に分布している植物のいくつかは,この一帯を南限としている。これは,この一帯が吉備高原の南縁に位置し,地理的・気候的条件が県中部と類似しているためである。
この一帯が南限になっている植物:アギナシ ゲンカィツツジ ベニドウダン コアジサイマメ知識 「マンサク」の語源って?
巻に先駆けて,マンサクが一番に花を咲かせるので,「まず咲く」から「マンサク」という名がついたという説や.米の満作(まんさく)を願ってこめ名がついたという説がある。
ちなみに,「アチツマンサク」は、牧野富太郎氏によって阿哲地方で初めて発見されたことからこの名がついた.
環境省・岡山県・総社市*5)鬼城山(鬼ノ城)
ここ吉備地方には、大和朝廷が派遣した吉備津彦命が人々を苦しめた鬼神(温羅とも呼ばれる)を退治した伝説が残り、昔話「桃太郎」の原型になったとされています。
伝説では、鬼ノ城は温羅の居城とされ、吉備津神社や吉備津彦神社のある「吉備の中山」に陣を構える吉備津彦命と、弓矢などで戦いました。
標高400mのこの城は7世紀後半に築かれ、山頂の平坦地を石垣や土を固めた土塁が約2.8kmに渡って囲んでいました。築城当時は、南方面に海が広がっていたと考えられ、遠くに船が行き交う様子を見ることができたと思われます。近隣には、温羅が生贄を茹でたといわれる鬼の釜など、伝説ゆかりの地が多くあります。
*6)国指定史跡 鬼城山(鬼ノ城) 昭和61年3月25日 指定
鬼ノ城は標高約430mの鬼城山に築かれた壮大で堅固な古代山城です。吉備高原の南端に位置しており、眼下の総社平野には集落が営まれ官衙(かんが)(役所),寺院などが造営されました。また、古代の山陽道が東西に走り吉備の津(港)から瀬戸内海への海上交通も至便であり、まさに政治、経済、交通上の要地を一望できます。
鬼ノ城の山容は擂鉢(すりばち)を伏せたような形状をし、山頂付近はなだらかな斜面となっていますが、山の八−九合目以下は著しく傾斜しています。この山頂部との傾斜が変化する部位に城壁が築かれ、全周約2.8kmに及んでいます。
城壁は版築(はんちく)工法により築かれた土塁が主体をなし、城門が四ケ所、排水機能をもつ水門が六ケ所、また石垣などにより構成されています。
特に復元整備を実施している角楼(かくろう)から第0水門までの城壁は、巨大な西門や、ゆるぎなく突き固められた土塁が復元され、当時の雄大な姿や精緻(せいち)な築城技術を窺うことができます。
城内はよそ30haという広大な面積があり、これまでに礎石建物跡、溜井(ためい)(水汲場)、土取場などが見つかっていますが、今後の調査によりさらに新たな発見が期待されます。
築城の時期については諸説ありますが、大和朝廷が朝鮮半島の百済軍救援のため出兵した白村江(はくすきのえ)の海戦(663年)において大敗した後、唐、新羅連合軍の日本侵攻を恐れ、急ぎ西日本各地に築城した城の一つと考えられています。鬼の城は当時の東アジア情勢を鋭敏に反映した遺跡と言えます。
平成16年1月 総社市教育委員会
*7)中国自然歩道案内図(古代山城を訪ねるみち)
中国自然歩道とは
中国自然歩道は、中国5県を一周し、それぞれの地方に残された美しい自然のなかを歩いて、豊かな自然に親しみ、また、郷土の歴史や又化にふれて、私たちのふるさとを見直すための長距離自然歩道です。
岡山県では、自然歩道を5つのルートに大別し、さらに各ルートを1日で楽しめるよう、合計43のコースに区分しています、主な見どころ
砂川公園
鬼城山の山裾を流れる砂川沿いに整備された公園。炊事棟やトイレが完備されたキャンプ場のほか、ウォータースライダーなどの親水施設がある。
鬼ノ城
温羅伝説の発祥地といわれる古代山城。標高400mの鬼城山の山頂に3−にわたって続く石垣や土塁はわが国最大級の規模を誇る。
皇の墓
岩屋寺の開祖、善通大師の墓と伝えられる.善通大師は文武天皇の皇子で、7歳のとき、岩屋山に登って僧侶となり、岩屋寺を建立した。
総社のふるさと自然のみち
北の吉備路に整備された遊歩道で、自らの足で歩<ことを通して自然とのふれあいやふるさとの歴史などに親しみ、自然教育の効果を高めることを目的としたみちである。(写真は棚田の風景)
*8)総社のふるさと自然のみち総合案内図
この一帯は、國指定史跡鬼城山をはじめ貴重な文化財と豊な自然環境が残ると共に、人の暮らしと自然が調和した里山が広がり、「自然と歴史あふれるフィールドミュージアム」として位置づけられます。
薄っすらと明るくなる頃倉敷を出発 車載温度2℃ 吉備路429を走る 180号を横断し県道271へ向かう 県道は工事で一部通行止めが続いている 180号バイパス・県道192を経由して県道271へ出 三差路を左折する すぐの交差点で砂川公園の案内を確認して右折 そのまま山に向かって走って行き砂川公園を抜ける 自動車道は狭くなる 対向車に留意しながら登って行く 鉄塔巡視路や遊歩道との出入り口にも注意を払い鬼ノ城駐車場に 駐車場はまだ車は無かった 車載温度0℃