鬼ノ城駐車場7:23−7:39犬墓山−7:55分岐−7:56池−8:01皇の墓−8:02分岐−8:03分岐−8:04分岐A−8:05岩切観音8:06−8:08分岐A−8:12分岐−8:15鉄塔#34−8:17方位岩8:27−8:29馬頭観音−8:31分岐B−8:32屏風岩−8:33分岐B−8:40鬼の差し上げ岩8:42−8:47分岐−8:51鬼の昼寝岩−8:54分岐−9:06岩屋駐車場9:07−9:10棚田−9:20自動車道分岐−9:21分岐−9:36鬼ノ城駐車場
今日は犬墓山(いぬはかやま443m)を訪ねる登山支度をして出発する 駐車場入口の丁度反対側がが登山道入口になっている 丸太の階段を登って行く すぐ右手にに岩屋三十三観音の案内図があり三十三観音みちコースの紹介がある
丸太の階段を登って行く 幾らか傾斜のきつい階段を登って行くとすぐになだらかな登りとなる アセビ*(*は実を意味する) ネズ*を見つける 10分も要せずにベンチが設置されているところに出る 陽射しも無く、うすぼんやりした景観 そこから数分登ったところ右手に岩があり その先に鬼城山の西門を伺う事が出来るそこから2分程で二つに割れた岩の所に出る その少し手前右手を入った所に三角点がありそこを入って行くと ルートをショートパスするようにして犬墓山山頂広場に出る
山頂広場には森林の復元と書いた大きな説明板があり 周辺が切り開かれ テーブルとベンチが設置されている そして鬼ノ城の西門を伺う事が出来る 濃霧注意報発令との事で雲海を期待していたがその様子は伺えず ぼんやりした景観 陽ざしもない
ルートの先に小高い山並みが伺える その辺りが岩屋だ なだらかなアップダウンのルート 幾らか下り気味で歩きやすい アセビ ヒサカキ ヤブツバキなどの花芽を見つける 犬墓山山頂から15分程歩いたところに分岐がある 標識に従い皇の墓へ降りて行く
ルートを行くとすぐ池に出る 池を左に見てルートを降りて行く 池から5分程で皇の墓に出る 皇の墓は 円形広場となっており、その中央に墓がある 岡山県指定重要文化財 皇の墓*1)と書いた 説明がある
墓を後にルートを行く 今度は岩切観音を目指す 分岐が幾つもありどこにも岩切観音の案内があるのでそれに従う 傾斜のきつい登りの箇所もあったが記録で見ると皇の墓から4分であった そこには民間信仰にかかわる遺跡*2)と書いた説明板がある 歴史の一端を知る事が出来面白い 案内板の先に大きな岩があり その壁面に第二十四番観音が浮彫されている
岩切観音を後に馬頭観音を目指す 幾らか登っているようだがほぼ平坦なルート 分岐には案内表示があるのでそれに従う 分岐を右に折れて進む ルート左手に脇道がありその先に二十六番観音がある
数分行くと左手に鉄塔#34が見えてくる そこを過ぎると石像が幾つも顔を見せる 今度は左手に方位岩と書いた標識のある大きな岩が現れる 岩を回り込むようにして入って行くと岩の上に出る事が出来る コンパスを示すような岩を見る事が出来る 面白い岩だが少し離れた位置から見ないと様子を把握しにくい 周辺の樹木が育ってくると見えずらくなりそうだ
方位岩の先にも大きな岩があり 平坦で岩伝いに歩いて行ける 西側の展望が得られるがこれもはっきりしない 今日はこの岩の上で記念写真を撮る ルート沿いの岩壁に汐差岩との標識があった
ルートに戻るとすぐに馬頭観音のある曲がり角に出る そこには周辺の地形・地質*3)と書いた案内板が設置されている 馬頭観音の左手を少し入ると展望が開けるところに出る こちらもぼんやりした景観で県北の山並みは伺えなかったルートを鬼の差し上げ岩へ向かう ルートから数歩入ったところにも石像があるのを見てルートを行くと 石像が右手にあり その前に屏風岩の案内がある 案内に従い屏風岩にも寄ってみる 標識に従い左手へ少し下る 三角おむすびのような岩が現れる 岩を見てすぐ戻る 数分で往復出来る
ルートに戻り 鬼の差上岩へ向かう 八畳岩 鯉岩を過ぎる 石像があちらこちらに見られる 岩の上に祀られた石像も見られる 鬼の餅つき岩と書いた標識がある 標識の矢印と一致しないが写真に撮った岩と思われる そして鬼の差上岩の裏手に出る 岩の下を通り抜け、正面に出る 岩の周りに幾つも石像が見られる 広場には鬼の差し上げ岩*4)の説明板がある その先に岩屋寺がある
今日は久しぶりに鬼の昼寝岩に寄ってみようとルートを戻り案内標識に従いルートを行く このルートは実僧坊山へ向かう時のルートで何度も歩いている 鬼の差し上げ岩から5分程で分岐に出、標識に従い右に折れ 緩やかに下ってゆく 数分で鬼の昼寝岩と書いた標識がありそれに従い左に入って行くとすぐに大きな岩を伺う事が出来る 平地にぽつんと大きな岩があるのは不思議な感じだ
ルートを戻り岩屋の大桜の方へ向かう 数分で分岐に出て右へ ここもいつも歩くルート 先月出会ったナンテンの実はもう姿を消していた にわとりがコケッコッコーと鳴いているのが聞こえてくる そして岩屋の駐車場に出る 駐車している車は無かった
岩屋駐車場から鬼ノ城へ向かう 今日も棚田・鬼ノ城の案内に従ってルートを行く 幅広の道を行く 民家があり右手に棚田が伺える そこから道幅は狭くなる 棚田を過ぎたところでもう一つのルートと合流する あぜ道を抜け 樹林帯を行く 棚田から10分程で自動車道に出る
自動車道を少し歩き北門への登山道へ向かう 今日は登山道を登らず、すぐに右折し 北の吉備路を行く 渓流沿いの緩やかな登り 花や実は残念ながら見つけられなかった やがて木道に出る 湿原の上のルートでシーズンには花を楽しめるのだが今は見られない 木道を抜けると駐車場に出る 木道入口には北の吉備路 学習見本園*5)と書いた案内板がある 駐車場には2台増えていた 車載温度は7℃だった
尚、鬼ノ城駐車場入り口の管理センター前には 国指定史跡 鬼城山(鬼ノ城)*6) 中国自然歩道案内図(古代山城を訪ねるみち)*7) 総社のふるさと自然のみち総合案内図*8) と題した大きな案内板があるので 記しておく
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*1)岡山県指定重要文化財 皇の墓
岩屋寺の開祖、善通大師の墓と伝えられており、大師が文武天皇の皇子であることから、皇の墓の名もこれに由来します。
皇の墓は、花こう岩でつくられた無縫塔で、切り石を四角に積んだ台座にのっています。総高119センチ。基礎脚部の形や反花のつくり、塔身の曲線などから、十四世紀、南北朝期を下らない、県内でもっとも古い様式を示す無縫塔の一つです。
*2)民間信仰にかかわる遺跡
三十三観音の道
一般に「西国三十三所」が知られているが,これを手本に三十三の観音像を祀り,功徳を得ようとしたと考えられる。
特徴あるものとしては,岩に彫り込まれた五番と二十四番の観音像,そして二十九番の馬頭観音がある。山上仏教の霊場「岩屋・新山」
岩屋・新山は,平安時代の頃から山上仏教が盛んであり,盛時には岩屋山十六坊・新山菩提寺屋敷十四坊などあわせて三十八坊を擁し,地方でも屈指の規模をもつ霊場であったといえる。
《岩屋寺(岩屋) 皇の墓(岩屋) 大門跡(新山)の写真》マメ知識 数字の由来
三十三という数字は,観世音菩薩が,人々を救済するために姿を三十三身に変えるところから来ている。
ちなみに,三十三観音の一つである千手観音の像は,通常40本の手を持つが,一本の手で25の世界の衆生を救うので,40×25=1,000となるそうである。下記の行為を禁止します
・草木の採取・伐採
・火気の使用
・タバコのポイ捨て
・ゴミの投棄
・土石の採取
環境省・岡山県・総社市.
*3)周辺の地形・地質
自然が造るオブジェ
岩屋周辺には、巨岩・奇石が多い。これは、花崗岩が長い年月をかけて風化し、硬い岩盤層が剥き出しになったためであり、まさに自然が創り上げた芸術作品と言えよう。
八畳岩
昔の人は、その岩の巨大さに驚き、八畳敷きという形で表現してこの名がついた。
鯉岩
温羅が鯉に化けて逃げたという温羅伝説にちなんでこの名がついた。
鬼ノ城・岩屋周辺の地形と地質
吉備高原の山並みが終わり平野部と明確な標高差を生んでいることがこの一帯の地形を特徴づけている。また、吉備高原と同じ花崗岩質で、地質的にも平野部とは特徴を異にしている。
マメ知識 鬼の棲家
鬼ノ城・岩屋周辺には、「鬼」と名のつく岩が多く存在する。
・鬼の差し上げ岩
・鬼のもちつき岩
・鬼の酒盛り岩
・鬼の昼寝岩 など。
この地には「温羅伝説」が残っており、これらの岩が、温羅の存在に一層真実味を帯びさせている。
環境省・岡山県・総社市.
*4)鬼の差し上げ岩
この岩窟の天井にあたる岩で、大きさはおおよそ縦15m、横5m、厚さ5m。この地方には、桃太郎噺の源ともいわれる「吉備津彦の鬼退治」すなわち「温羅伝承」が広く伝わっており、各地にこの伝承にまつわる地名や場所などが数多くあります。
この岩もこの伝承にまつわるものの一つで、鬼のモデルと言われる温羅が、この巨大な岩を差し上げて岩窟を造り、すみかにしたと伝えられるところから、この名がついたと言われています。岩の裏側の窪みは、差し上げた時に出来たと伝えられ、「鬼の手形」と呼ばれます。
また、この地の岩屋と言う地名も、この岩窟に由来すると言われています。この周囲には、鯉岩・八畳岩・屏風岩など多くの巨岩があります。(総社市)
*5)北の吉備路 学習見本園
【北の吉備路学習見本園】は、北の吉備路一帯に現在自生している植物・あるいはかつて自生していた植物を集約し、だれでも手軽にこの一帯の自然に『触れ・学び・感じる』ことができる環境学習の拠点施設として平成16年、「総社ふるさと自然のみち」の開設にあわせて、棚田の跡地を活用して整備されたちのです。
この北の吉備路学習見本園をご覧になり、時間に余裕があれば「総社ふるさと自然のみち」をぜひ散策してみてください。自然と歴史ロマンあふれるフイールドミュージアム「北の吉備路」か四季折々に豊かな表情をみせ、みなさまをきつと歓迎してくれることと思います。 総社市環境課
*6)国指定史跡 鬼城山(鬼ノ城) 昭和61年3月25日 指定
鬼ノ城は標高約430mの鬼城山に築かれた壮大で堅固な古代山城です。吉備高原の南端に位置しており、眼下の総社平野には集落が営まれ官衙(かんが)(役所),寺院などが造営されました。また、古代の山陽道が東西に走り吉備の津(港)から瀬戸内海への海上交通も至便であり、まさに政治、経済、交通上の要地を一望できます。
鬼ノ城の山容は擂鉢(すりばち)を伏せたような形状をし、山頂付近はなだらかな斜面となっていますが、山の八−九合目以下は著しく傾斜しています。この山頂部との傾斜が変化する部位に城壁が築かれ、全周約2.8kmに及んでいます。
城壁は版築(はんちく)工法により築かれた土塁が主体をなし、城門が四ケ所、排水機能をもつ水門が六ケ所、また石垣などにより構成されています。
特に復元整備を実施している角楼(かくろう)から第0水門までの城壁は、巨大な西門や、ゆるぎなく突き固められた土塁が復元され、当時の雄大な姿や精緻(せいち)な築城技術を窺うことができます。
城内はよそ30haという広大な面積があり、これまでに礎石建物跡、溜井(ためい)(水汲場)、土取場などが見つかっていますが、今後の調査によりさらに新たな発見が期待されます。
築城の時期については諸説ありますが、大和朝廷が朝鮮半島の百済軍救援のため出兵した白村江(はくすきのえ)の海戦(663年)において大敗した後、唐、新羅連合軍の日本侵攻を恐れ、急ぎ西日本各地に築城した城の一つと考えられています。鬼の城は当時の東アジア情勢を鋭敏に反映した遺跡と言えます。
平成16年1月 総社市教育委員会
*7)中国自然歩道案内図(古代山城を訪ねるみち)
中国自然歩道とは
中国自然歩道は、中国5県を一周し、それぞれの地方に残された美しい自然のなかを歩いて、豊かな自然に親しみ、また、郷土の歴史や又化にふれて、私たちのふるさとを見直すための長距離自然歩道です。
岡山県では、自然歩道を5つのルートに大別し、さらに各ルートを1日で楽しめるよう、合計43のコースに区分しています、主な見どころ
砂川公園
鬼城山の山裾を流れる砂川沿いに整備された公園。炊事棟やトイレが完備されたキャンプ場のほか、ウォータースライダーなどの親水施設がある。
鬼ノ城
温羅伝説の発祥地といわれる古代山城。標高400mの鬼城山の山頂に3−にわたって続く石垣や土塁はわが国最大級の規模を誇る。
皇の墓
岩屋寺の開祖、善通大師の墓と伝えられる.善通大師は文武天皇の皇子で、7歳のとき、岩屋山に登って僧侶となり、岩屋寺を建立した。
総社のふるさと自然のみち
北の吉備路に整備された遊歩道で、自らの足で歩<ことを通して自然とのふれあいやふるさとの歴史などに親しみ、自然教育の効果を高めることを目的としたみちである。(写真は棚田の風景)
*8)総社のふるさと自然のみち総合案内図
この一帯は、國指定史跡鬼城山をはじめ貴重な文化財と豊な自然環境が残ると共に、人の暮らしと自然が調和した里山が広がり、「自然と歴史あふれるフィールドミュージアム」として位置づけられます。
いつもと同様の時刻だがまだ暗い中、倉敷を出発 雲で太陽光が遮られているようだ 車載温度3℃ 吉備路429を走る ここに来ても空はまだ薄暗く山並みも見えない 天気予報では晴れとの事だったが、ラジオから濃霧注意報が吉備・総社などの出ていると伝える もやーっとしているのは霧なのだろうか? 180号を横断し県道211に進む JRの踏み切りを抜け 道なりに右にカーブ 次の交差点で砂川公園の案内を確認して左折 そのまま山に向かって走って行く 砂川公園を抜けると自動車道は狭くなる 対向車に留意しながら登って行き鬼ノ城駐車場に まだ駐車している車は無い 車載温度2℃だった 陽射しは得られないものの霧が出ている感じはなかった