砂川公園7:13−7:37鉄塔#353入口−7:40鉄塔#352入口−8:04鉄塔#352−8:11鉄塔#351_8:12−8:14経山山頂−8:24分岐−8:27自動車道−8:33鬼の釜−8:45鬼城山ビジターセンター−9:00北門ルート入口ー9:11北門ー9:18分岐3−9:21礎石建物跡ー9:26分岐林間コースー9:39鬼城山山頂−9:41角楼ー9:46展望台入口ー9:48鍵岩ー10:02_334mピークー10:11交差−10:22高丸山10:28ー10:49分岐ー11:08分岐−11:09自動車道−11:18砂川公園
今日は経山(きょうやま373m)・鬼城山(きのじょうさん397m)・高丸山(たかまるやま311m)を訪ねる
前回(3/8)に334mピーク経由で鬼城山に登るルートを知った その時高丸山へのルートと思われるルートにも気づいた ネットで調べると高丸山を経由して赤坂池に降りれるルートがあるようなのでそのルートを訪ねてみた
登山支度をして出発する 砂川公園に入り水路に沿って進む 園の桜が咲いていた
園地から自動車道に出る ヤマザクラが花を咲かせていた 鬼ノ城駐車場まで3000mと書いた標識を見て道路を登って行く ルート脇にオオバヤシャブシ アセビを見て 赤坂池に出る 池の対角線にこれから登るルートにあたる鉄塔を確認出来るまたその右手には高丸山を見る事が出来る
自動車道を登って行く ヤマザクラ ヒサカキ イヌツゲ*(*は実を意味する)など見つけながら登って行く 鬼ノ城駐車場まで2000mの標識を過ぎるとまもなく右手に鉄塔#353巡視ルート入口があるが、ここを過ぎて1,2分登った位置、左手に鉄塔#352巡視ルートがあり そこへ入る ルート入口右手に十五番と刻された石像がある ヤブツバキが花を咲かせ楽しませてくれる
鉄塔#352巡視ルートを行く コシダやシダが多いルートを登って行く ヒサカキが花を咲かせておりいつもとは違い目立つ 次々と顔を見せてくれる アセビは白い花を咲かせ コバノミツバツツジも咲き出した 山にも春がやってきた 春一番に楽しませてくれるタムシバはどうだろうと留意しながら登って行く 高度を稼いでゆくと高丸山の方面の山肌が見えてくる 欲目かも知れないが白っぽい固まりが見える タムシバに期待が高まる 今日は残念ながら青空は見られず薄ぼんやりした空模様 ルート脇に咲いていないかキョロキョロ探しながら登ったが見つけられないまま鉄塔#352に出る
ルートは左に折れその前方に#351鉄塔が見える なだらかな登り 山を右に見て、トラバースする感じで登ってゆき鉄塔#351に出る 鉄塔から少し登ったところに経山の展望スポットがある そこに立つ前に鉄塔#350の山肌が見える位置へ行く そこにも白い固まりがあるのを確認出来た
展望スポットに立ち、景観を一望する そして三角点のある山頂標識を経由して鬼城山へ向かう 山頂標識のあるところからは眺望は得られない 少し行くと経山城跡*1)と書いた標識がある
標識を後に、ルートを降りて行く このルートはタムシバの木が多く、タムシバを楽しませてくれるスポット 樹間に白い花が咲いているのが伺える ルートの傍で咲いている木があったが枝先に咲いておりカメラは背景と花との判別出来ないようでピントを合わせられない 青空でないのが残念だ それでも幾つも花を楽しみながらルートを行く そして、分岐に出る 分岐を右に折れ鬼城山へ向かう
数分で自動車道に出る 暫くは自動車道を登って行く 自動車道を少し歩いたところで振り返ると経山の山肌に白い固まりを幾つも見る事が出来る 自動車道では野辺の花に期待していたが、この数日の冷え込みがきいたのか花を咲かせているのを見つけられないまま鬼の釜*2)に出る
鬼の釜のところで自動車道を斜め横断し遊歩道に入る ここも野辺の花は見られずウツギ*に出会えただけ ため池の脇を抜け ビジターセンターの裏手に出る ここのタムシバも花を咲かせていた
鬼城ビジターセンターを抜ける センター入口には国指定史跡 鬼城山(鬼ノ城)*3) 中国自然歩道案内図*4) 総社のふるさと自然のみち総合案内図*5)が設置されている
今日は展望台の脇道から334mピーク経由で高丸山を狙う計画 そちらに行く前に北の吉備路を行き北門ルートなどのタムシバを楽しむ事とし、駐車場を横切り北の吉備路 学習見本園*6)へ向かう もう木道修繕工事は終わったようで、立ち入り禁止の表示は無かった
いつもと逆ルートを歩く 見えてくる雰囲気が違うのもちょっと面白い 見本園ではショウジョウバカマを期待して探したがその気配は見られなかった タムシバは花を咲かせていたが数は少なく少し寂しげだった
北門ルートを登って行く ロープが設置されているところもあるがお世話にならずに登って行く ここでも幾つも花をつけていた 青空の下で咲いているのとは違い写真には取れなかった
北門跡*7)に出る ここには近づいて楽しめるタムシバの木があり撮影を楽しむ そして岩屋方面の山肌を見ながらルートを行く 山肌には幾つも白い固まりを見る事が出来た 同時に足元の山肌にも白い固まりが顔を見せてくれた
3と書いた標識のところに出て幅広の遊歩道を横断し管理棟跡へ向かう 管理棟跡*8)そしてその少し先の倉庫群跡*9)もタムシバの木が近くにある そこに寄りタムシバを楽しむ 樹間に幾つもタムシバの木を伺う事が出来る 林間ルートを経由し鬼城山山頂に出たが林間ルートではタムシバが咲いているのを見つけられなかった
鬼城山山頂からも展望は得られるが今日はいずこもぼんやりとした景観 すぐに角楼へ向かう いつものところでコウヤボウキが綿毛を残しているのを見る またオオバヤシャブシが花を咲かせているのをみて角楼跡*10)に出る
角楼からは犬墓山の山肌に白い固まりを見る 眼を左に移し経山やこれから下りて行く334mピークや高丸山の山並みを追う 景観をカメラに収め高丸山へ向かう
遊歩道を降り、展望台へ向かう木道の脇にやっと人が通れる隙間がありそこに入って行く 木道の下を潜ったりしながらルートを行く ここでもタムシバが咲いているのを見て鍵岩に出る 丁度展望台の下になる 展望台から見えるのと少し違うものの西門と城壁を伺う事が出来る
そしてルートを降りて行く しっかりしたルート コバノミツバツツジ ヒメヤシャブシ ヒサカキ アセビ タムシバ ヤブツバキなどの花を見つけルンルン気分 経山の山肌も樹間から伺う事が出来る 記録を見ると鍵岩から14分で334mピークに出 そこから9分で鉄塔巡視路と交差する所に出る
交差する直前は急斜面になっており正面に高丸山が 左手に鉄塔#354 右手に鉄塔#353を伺う事が出来る 高丸山の山肌にも白い固まりを伺う事が出来る
急斜面を足を滑らさないよう留意して降りる 鉄塔巡視路を横断するようにルートがついているのでそのまま降りて行く すぐに登り返す しっかりしたルートがついておりそれを追って行く 足元にタムシバの花弁が散っていた 見上げるとタムシバが咲いていた 鉄塔巡視路の交差点から10分少々登ったところに高丸山311mKHCと書いた板が木にくくられていた どうやらここが山頂らしい 樹林の中で眺望は得られない 初めて訪ねたピークなのでここで記念写真を撮る
ルートはその先にも続いている 案内標識は見られなかった このルートを追ってゆけば赤坂池に降りる事が出来るのではと考えルートを追って行く シダが茂った中にもしっかりしたルートが出来ておりメンテナンスが大変だろうと思いながらルートを行く 高丸山・鬼城山と書いた比較的新しいルート標識もあった
緩やかなアップダウンを行き高丸山山頂から20分程歩いたところでちょっとした広場に出て そこが分岐になっており標識が設置されていた 赤坂池・砂川公園を示す方向に向かう
ここからルートの整備状態が違ってきて草が茂りこれでいいのかと思うようなところもあったがなんとかルートを追う事が出来た 時々赤坂池が見えた 左に折れ急斜面を降りる位置にはロープがあった 掴まる枝など無かったのでロープを持ちながら降りた わーこんなところを抜けるのかとシダが茂った所を抜けた 今度は分岐があり一方にはテープナビがあり確か赤坂山・・・とあったのでそちらへ行くのは遠慮して右手に降りた 分岐からすぐに自動車道に出た
あとは自動車道を降りて駐車場に 駐車場には4台増えていた 車載温度は13℃だった−−−−−−−−−−−−−ここから−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
*1)経山城跡
経山城は、守護大名の大内氏が天文年間に築いたといわれる山城です。天文十二年(1543)に赤松春政、元亀二年(1571)に尼子晴久の城攻めがあり、天正十年(1582)の高松の役後に廃城となったと考えられます。
城は、山頂の主郭を囲むように壇や郭、曲輪を配し、さらに石垣や石塁、堀切を備えるなど、城の形状がよく残されている山城です。*2)鬼の釜
口径約185cm、深さ約105cmの大きな鉄の釜です。底の一部が欠けています。
釜は鋳物で制作されたもので、鋳型のつぎ合わせた痕が明瞭に残されています。
そのむかし、鬼ノ城に住んでいた温羅(うら)と呼ばれる鬼神がいけにえをゆでたと言い伝えられていますが、江戸時代に近くの湯釜谷から出土したという事実からも、山岳寺院であった、ここ新山寺の湯屋に使用された湯釜と考えられています。*3)国指定史跡 鬼城山(鬼ノ城) 昭和61年3月25日 指定
鬼ノ城は標高約430mの鬼城山に築かれた壮大で堅固な古代山城です。吉備高原の南端に位置しており、眼下の総社平野には集落が営まれ官衙(かんが役所),寺院などが造営されました。また、古代の山陽道が東西に走り吉備の津(港)から瀬戸内海への海上交通も至便であり、まさに政治、経済、交通上の要地を一望できます。
鬼ノ城の山容は擂鉢(すりばち)を伏せたような形状をし、山頂付近はなだらかな斜面となっていますが、山の八−九合目以下は著しく傾斜しています。この山頂部との傾斜が変化する部位に城壁が築かれ、全周約2.8kmに及んでいます。
城壁は版築(はんちく)工法のより築かれた土塁が主体をなし、城門が四ケ所、排水機能をもつ水門が六ケ所、また石垣などにより構成されています。
特に復元整備を実施している角楼(かくろう)から第0水門までの城壁は、巨大な西門や、ゆるぎなく突き固められた土塁が復元され、当時の雄大な姿や精緻(せいち)な築城技術を窺うことができます。
城内はよそ30haという広大な面積があり、これまでに礎石建物跡、溜井(ためい水汲場)、土取場などが見つかっていますが、今後の調査によりさらに新たな発見が期待されます。
築城の時期については諸説ありますが、大和朝廷が朝鮮半島の百済軍救援のため出兵した白村江(はくすきのえ)の海戦(663年)において大敗した後、唐、新羅連合軍の日本侵攻を恐れ、急ぎ西日本各地に築城した城の一つと考えられています。鬼の城は当時の東アジア情勢を鋭敏に反映した遺跡と言えます。
平成16年1月 総社市教育委員会
*4)中国自然歩道案内図(古代山城を訪ねるみち)
中国自然歩道とは
中国自然歩道は、中国5県を一周し、それぞれの地方に残された美しい自然のなかを歩いて、豊かな自然に親しみ、また、郷土の歴史や又化にふれて、私たちのふるさとを見直すための長距離自然歩道です。
岡山県では、自然歩道を5つのルートに大別し、さらに各ルートを1日で楽しめるよう、合計43のコースに区分しています、主な見どころ
砂川公園
鬼城山の山裾を流れる砂川沿いに整備された公園。炊事棟やトイレが完備されたキャンプ場のほか、ウォータースライダーなどの親水施設がある。
鬼ノ城
温羅伝説の発祥地といわれる古代山城。標高400mの鬼城山の山頂に3−にわたって続く石垣や土塁はわが国最大級の規模を誇る。
皇の墓
岩屋寺の開祖、善通大師の墓と伝えられる.善通大師は文武天皇の皇子で、7歳のとき、岩屋山に登って僧侶となり、岩屋寺を建立した。
総社のふるさと自然のみち
北の吉備路に整備された遊歩道で、自らの足で歩<ことを通して自然とのふれあいやふるさとの歴史などに親しみ、自然教育の効果を高めることを目的としたみちである。(写真は棚田の風景)
*5)総社のふるさと自然のみち総合案内図
この一帯は、國指定史跡鬼城山をはじめ貴重な文化財と豊な自然環境が残ると共に、人の暮らしと自然が調和した里山が広がり、「自然と歴史あふれるフィールドミュージアム」として位置づけられます。
*6)北の吉備路 学習見本園
【北の吉備路学習見本園】は、北の吉備路一帯に現在自生している植物・あるいはかつて自生していた植物を集約し、だれでも手軽にこの一帯の自然に『触れ・学び・感じる』ことができる環境学習の拠点施設として平成16年、「総社ふるさと自然のみち」の開設にあわせて、棚田の跡地を活用して整備されたちのです。
この北の吉備路学習見本園をご覧になり、時間に余裕があれば「総社ふるさと自然のみち」をぜひ散策してみてください。自然と歴史ロマンあふれるフイールドミュージアム「北の吉備路」か四季折々に豊かな表情をみせ、みなさまをきつと歓迎してくれることと思います。 総社市環境課
*7)北門跡
唯一背面側にある城門です。
基本的な構造は他の西門・南門・東門と同じ掘立柱城門で、通路床面には大きな石を敷いています。規模的には大型の西門・南門の対し、東門とともにやや小型の城門です。
通路床面とその前面の地面に1.7−2.3mの段差があり、こうした城門を朝鮮半島では「懸門(けんもん)」と呼んでいます。
門柱は本柱のみ角柱で、他は丸柱であり、柱間の寸法も異なるなど、特異な組合せです。
通路床面下には「排水溝」が設けられており、これは日本の古代山城では初の発見例です。類例に高松市の屋島城があります。
上屋(うわや)については検討中であり、柱の高さは仮のものです。
平成20年3月 総社市教育委員会
*8)管理棟跡
鬼ノ城の中央部分には、柱の基礎に石を置いている7棟の建物(礎石建物)が発見されています。
礎石建物5・6は、建物の外側に沿った柱の基礎に石を置く建物(側柱(がわばしら)建物)で、6間×2間の細長い建物になります。建物の構造や周辺から須恵器(すえき)を再利用た硯(すずり)も出土していることから、役人が駐在した管理・運営に必要な施設であったと考えられます。
なお、一部の礎石には直径45−50cmの丸柱を載せていた痕跡が残-、ていまLた。
平成26年3月 総社市教育委員会
*9)倉庫群跡
鬼ノ城の中央部分には、柱の基礎に石を置いている7棟の建物(礎石建物)が発見されています。
礎石建物1−4・7は、床を支える柱のすべてに礎石を置く建物(総柱(そうばしら)建物)であることから、相当な重量を支えたものと考えられます。おそらく城内で必要な穀物や武器などを収めた高床の倉庫群であったと考えられます。
なお、一部の礎石には直径45−50cmの丸柱を載せていた痕跡が残っていました。
平成26年3月 総社市教育委員会
*10)角楼跡
日本の古代山城では、初めて具体的に確認された特殊な施設です。中国の城郭でいう「馬面(ばめん)」、朝鮮半島での「雉(ち)」に当たります。
ここは、尾根つづきで攻められやすいため、城壁の死角を補い防御力を高めることを目的として、城壁の一部を長方形(13X4m)に張り出しています。
角楼の下半部は、両側の石垣と同じように石垣積みで、ほぼ4m間隔で一辺50cmの6本の角柱が石垣の間に建っていたことがわかりました。また城内側には、この施設への昇降のための石段も設けられています。
しかし、この上に建物などがあったかどうかは不明です。
最高所の鬼城山・西門と一体となって、強固は防御ゾーンを形成しています。
平成19年3月 総社市教育委員会
朝食を終え倉敷を出発、車載温度4℃ 429吉備路を行く 180号そして総社バイパスを横断し県道271に進む JRの踏み切りを抜け 道なりに右カーブ 道路工事で交互通行停止信号を待って抜ける 次の交差点を左折 砂川公園へ向かう 公園一番奥の第7駐車場に駐車させて頂く 車載温度は3℃ 駐車している車は無かった