駐車場=太閤腰掛岩7:15−7:21龍王池−7:22身代地蔵−7:32分岐−7:41山頂7:44−7:51分岐:最上稲荷800m−7:53ラジオ塔−8:00分岐=8:03八畳岩=8:09分岐−8:12題目岩−8:24旧本殿8:29−8:32最上稲荷8:34−8:37妙見堂−8:41秀吉本陣跡8:46−8:52洗心閣−題目岩−9:21大鳥居分岐−身代地蔵−9:32龍王池9:38−9:43駐車場
今日は龍王山(りゅうおうざん287m)を訪ね、高松稲荷に寄る登山支度をして出発する ウインドウブレーカは着たまま、手袋も着用する 龍王池へ向かう ルートは右へカーブする 畑が広がり霜が降りている 右手にカエデが色づいているのが見える 昨年はもっと色が良かったように思う 特徴のあるカエデの実すら伺える 足元にはまだ色が残っている落ち葉が広場を覆っている 落ち葉には霜が降りている 山影になるのだろうまだ陽射しは得られず寒々としている サギソウ湿地*2) こい岩湿地と書いた案内標識が見られるトキソウ(5月下旬)サギソウ(8月中旬)の記載があった
交差点を直進し、ルートをゆくと八大龍王の大きな石碑が見えてくる その前面に龍王池が見え、龍王池と八大龍王の説明*3)がある そしてすぐに身代地蔵 鯉岩 六道地蔵*4)がある 六道地蔵は沢山のお地蔵さんが並んでいる 説明によると "地獄、餓鬼、畜生、修羅、入間、天上 六道の衆生を救済して下さる菩薩" との事龍泉寺境内から奥の院へ向かう 石柱を抜け、幅広のルートを登って行く タニウツギ*(*は実を意味する)を見つけ数分で三差路に出る これを左にとる 右へ行けば最上稲荷
石の鳥居があり石段が続く 石段が終わったところにも石の鳥居があり、丁度陽が射してき、青空も見えてきた いろいろな形をした大きな石碑がルート両側に設置されており その間を抜ける 社務所ならびに奥の院祈祷所を右に見て進む 大きな石碑が林立している ここを龍王山の山頂と判断し 高いところを目指す そこから周辺の景観を伺う事が出来る
景観を一望し 釣鐘に沿った階段を降り 本殿に 本殿から社務所に向かう通路脇にツワブキが咲いていた
今度は最上稲荷を目指す 登ってきたルートを三差路の少し手前まで戻る そこを左に折れると大きな鳥居があり 先ほどの三差路からの道と合流する
ルートを行く 最上稲荷境内ラジオ塔があり中國稲荷山鋼索鉄道(ケーブルカー)・奥ノ院駅跡*5)という説明がある そこを過ぎ 幅広の緩やかなルートを降りて行く 八畳岩への案内標識がある 今日もそちらに寄る
巌開明王*6)には寄らず 八畳岩の岩窟に向かう そして戻って最上尊降臨の霊地・ハ畳岩*7)と書いた説明パネルを見て八畳岩の上に出る 大きな岩の上に小さな石造りの社がある そしてルートを戻る 左手方向に展望が得られるようなので踏み込み展望を楽しむ ここでは陽射しも良くアキノキリンソウ ハゼノキ* ソヨゴ* ツバキ*に出会えた
ルートに戻り最上稲荷へ降りて行く 今度は石段のルートとなりこれまでより傾斜がきつくなる 右手に題目岩・鬼子母神*8)と書いた説明があり 山肌に大きな岩があり鳥居が並んでいる 分岐に出る ここを右手方向に降りてゆくと旧本殿の脇道に出る 先に旧本殿に寄ってからルートを戻り本殿に向かう 本殿の背にあたる位置に紅葉した木が青空を背に朝の陽ざしを受けていた
大きな本殿 左手に幾つもの社務所やテントなどあり 早朝とはいえお参りしている人や作業をしている人が伺える 境内から仁王門を一瞥し、前回訪ねた秀吉本陣へ向かう 秀吉が最初に陣を構えた地(一の丸)*9)と書いた案内パネルを左に見てルートを登って行く 妙見堂に出る そこにも備中高松城の守護神を祀る妙見堂*10)とした説明パネルがある
妙見堂を後に更に登って行く 分岐を案内に従い右へ行く 妙見堂から3分程登ったところに秀吉本陣跡という石碑がありすぐに展望が得られる場所に出る そこには水攻めの戦いの陣構えのイラストがあり秀吉が最初に陣を構えた地(一の丸)*11)と書かれた説明がある イラストを参考に高松城址の場所を探す 最上寺の大鳥居の右手辺りのようだ あの辺りかとズームで撮る 城跡には高松城址記念公園が出来ているのが伺える また、ここには日本の柱と書いた台座に立っている大きな日蓮聖人像がある
ルートを戻る 妙見堂には降りず手前の分岐を直進し洗心閣へ向かう 脇道から広いルートに出る 坂道で左下には旧本殿がある そちらには降りずに右方向を登って行き洗心閣に出る 洗心閣の左奥にルートがあり ルートを行くと題目岩から降りてきた分岐に出る 途中カキ* ユズ*を見つけた
ここからは来たルートを戻る すなわち降りてきたルートを登ってゆく 来るときには気づかなかった実を見つける ガマズミ* コムラサキ* ウメモドキ?と思われる赤い実 ソヨゴ*も顔を見せる 分岐から約20分で大鳥居の分岐に出る ここを左にとる ここをピークにして下ってゆく ここではサルトリイバラ*を見つけた
今日は龍王池に降りて記念写真を撮る 池の周りには霜柱が立っておりサクサクと霜柱を踏む音を楽しんだ 写真を撮りルートに戻り駐車場へ向かう カエデ広場は陽射しを受け明るくなっていたが昨年のような鮮やかさは見られなかった 車載温度は8℃を示していた
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AIと創った詩は石の声を聴く道
山影に沈む朝の口
凍てつく空気が頬を刺す
龍王池のふちに降りれば
霜柱が足元でささやく
ここから先は、祈りの道並ぶ地蔵の静けさに
六道の声が重なり合う
生も死も、ここを通る
凍る息が白く揺れ
過去と未来が交わる場所苔むす階を踏みしめて
ひとつ、またひとつ、記憶を刻む
石は語る、忘れるな
陽の届かぬ道のりに
心の灯がともるやがて辿り着いた稲荷の奥
赤き鳥居が光を裂き
背にした影が長く伸びる
石も水も、すべてが
この一歩を祝福していた
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*1)太閤腰掛岩
天正10年5月 高松城の水攻めの際足守川をせきとめ注水する為 馬をかりて、この山城一帯を検分せし時 馬を止めて一休せし処と伝う
*2)龍泉寺の自然マップ
龍王池周辺の湿地は、現在では見かけることが少なくなった野草が自生し、ハッチョウトンボなど多くのトンボも生息しています。
龍泉去の自然を守る会は、龍泉寺の豊かな湿地の自然を守り、後世に残す活動をしています。野草の開花時期 緑色 湿地の野草
4月 ショウジョウハカマ シハイスミレ
5月、トキソウ ゴウソ ヒメハギ
6月 オニスケ ヒメミクリ ノハナショウフ ジュンサイ モウセンコケ オカトラノオ ミヤコグサ
7月 ホザキノミミカキグサ ヌマトラノオ カモノハシ チゴザサ ノギラン ネジバナ
8月 サギソウ アギナシ ヒメオトキリ シカクイ コイヌノハナヒケ イヌタヌキモ コマツナギ
9月 ミズトンホ サワギキョウ サワヒヨドリ ミミカキグサ シロイヌノヒケ イトイヌノヒゲ ヒメシロネ ムカゴニンジン キセ1レアザミ コマツカサススキ オミナエシ オトコエシ アキノタムラソウ イタドリ シラヤマギク
10月 スイラン シロヨメナ サイヨウシャジン ススキ アキノキリンソウ コウヤポウキトンボの出現時期
以下省略龍泉寺の自然を守る会
https://ryusenji-ncc.org
*3)龍王池
龍王池を八大龍王の御神体としてお祭りしています
吉備津彦命の軍奉行であった楽々森舎人(ささもりとねり)(桃太郎伝説の猿のモデル)が水を湧き出させたといわれています。八大龍王
生命の源泉である水の神様です。
人々の願いにあわせて、八つの異なる姿に変化(へんげ)し、人々をお救いになります。
最上時御滝 龍泉寺
*4)六道地蔵
寸べての衆生が生前の善悪の行いによって、死後に生まれかわって佳むという六つの迷いの世界。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、入間、天上 六道の衆生を救済して下さる菩薩。
*5)中國稲荷山鋼索鉄道(ケーブルカー)・奥ノ院駅跡
1929年2月9日、最上稲荷境内の山下駅(現:旧本殿付近)と当地を結ぶ中国地力唯一のケーブルカーが開通しました。総延長は約390m、所要時間は4分、20分間隔で運行していました、川別業以来大勢の参拝
a・に利Jljされ親しまれましたが、太平洋戦争の局面の悪化により鉄材供出のため1944年に廃止となりました。レールは軍需用に転用されたそうです。
2016年に相次いで発見された営業当時の2本の映像によると、喫ノ院駅前広場にはシーソーやプランコ などの遊具やうどんなどを提供する茶店があり、ケーブルカーに乗ることも参拝の楽しみだったことが分かります。当時の面影は、乗降場や巻上機の台座などの一部からうかがえます。最上稲荷境内ラジオ塔
戦前に高級品であったラジオ普及のために全国各地に450基ほど建てられたラジオ塔ですが、現存するものは20基程度と言われています。
数少ないこの貴重な当山のラジオ塔は、1939年に建てられました。当時は、この広場を利用してラジオ体操が行われたほか、音楽や落語などの番組が放送され、ケーブルカーの利用者を楽しませたのでしょう。戦前から戦後という激動の時代を見届けた貴重な近代遺産です。
奥ノ院駅跡地は、崩落の危険があるため立入禁止です
ラジオ塔には、願掛けなどの石を置くのはお止めください
2017年 最上稲荷
*6)巌開明王という名称は、報恩大師がご修行の際に端座された岩(巌)の一つが割れ、清水がわき出したという伝承に由来します。
かたわらの岩に囲まれた泉をさしますが、飲用ではありません。
飲用は同じ水源の水「御神水」が大客殿にてお汲みいただけますので、そちらをご利用下さい。
最上稲荷総本山
*7)最上尊降臨の霊地・ハ畳岩
天平勝宝四年(七五二)、開山・報恩大師が、孝謙天皇の病気平癒のため八畳岩の岩窟に籍もり、観世音菩薩普門品の呪を唱えて祈願されたところ、二十一日目の早暁に最上位経王大菩薩(最上尊)を感得。そのお姿を自ら刻み祈願を続けると、天皇は快癒されたと伝えられています。
八畳岩は、最上尊が最初にお姿を現わされた聖域・最上稲荷総本山の根本霊場として、篤い信仰を集めています。また龍王山も吉備史跡県立自然公園および保安林に指定されています・当地においては、尊崇の念を持ち清浄護持を心がけて下さい。
*8)題目岩・鬼子母神
題目 という名称は、高さ釣八メートル 巨岩に刻まれた「南無妙法蓮華経」の文字に由来します。
その隣に刻まれているのは法華経の守護神・鬼子母神のお姿で、共に妙教寺十五世日方聖人により19世紀半ばに彫られたものです。
最上稲荷総本山
*9)秀吉が最初に陣を構えた地(一の丸)
天正10年(1582)4月、中国平定のため西進する羽柴秀吉軍は毛利氏手勢の備中七城を攻めるため、備中高松にたどりつき、備中高松城を見下ろす龍玉山に本陣を構え、砦を築きます。当山一の丸は秀吉が軍議を行った古跡と伝わります。
開戦後、沼地の要害に守られた備中高松城を攻めあぐね本陣で悩む秀吉に、軍師黒田宮兵衛が「水攻め」を献策します。この献策を取り入れた秀吉は、指揮するのに都合のよい石井山に本陣を移し、築堤工事を開始。
足守川の水取口より東方向の蛙ケ鼻(かわずかはな,)まで3kmの堤防をわずか12回日間で作ったと伝えられています。
水攻め後、城兵5000の命と引き替えに切腹した清水宗治の死により開城となり中国大返し・山崎の戦いを経て、秀吉は天下人への道を駆け上がっていきます。
当山はこの戦いの際に堂宇を失いましたが、ご本尊だけは別の場所に安置されたため、慶長6年(1601)に日蓮宗寺院として再興され、現在に至ります。
*画像は、最上稲荷に保管されている戦前の作品 「備中高松城水攻絵物語」の場面です
ここ、境内からーの丸への途上に建つ妙見堂には、備中高松城の守護神と伝わる「妙見さま」がお祀りされています(6月第二日曜日に[妙見祭]
が執行され、ご開帳されます)。
最上稲荷総本山
*10)
備中高松城水攻めの戦
備中高松城の守護神を祀る妙見堂
天正10年(1582)4月、中国平定のため西進する羽柴秀軍は毛利氏手勢の備中七城を攻めるため、備中高松にたどりつき、備中高松城を見下ろす龍王に本陣を構え、砦を築きます。
当山一の丸は秀吉が軍議を行った古跡と伝わります。
開戦後、沼地の要害に守られた備中高松城を攻めあぐね本陣で悩む秀吉に、軍師・黒田官兵衛が「水攻め」を献策します。
この献策を取り入れた秀吉は、指揮するのに都合の良い石井山に本陣を移し、築堤工事を開始するのです。
*画像は、最上稲荷に保管されている戦前の作品 「備中高松城水攻絵物語」の場面です
ここ、境内からーの丸への途上に建つ妙見堂には、備中高松城の守護神と伝わる「妙見さま」がお祀りされています(6月第二日曜日に[妙見祭]
が執行され、ご開帳されます)。
最上稲荷総本山
*11)秀吉が最初に陣を構えた地(一の丸)
天正10年(1582)4月、中国平定のため西進する羽柴秀吉軍は毛利氏手勢の備中七城を攻めるため、備中高松にたどりつき、備中高松城を見下ろす龍玉山に本陣を構え、砦を築きます。当山一の丸は秀吉が軍議を行った古跡と伝わります。
開戦後、沼地の要害に守られた備中高松城を攻めあぐね本陣で悩む秀吉に、軍師黒田宮兵衛が「水攻め」を献策します。この献策を取り入れた秀吉は、指揮するのに都合のよい石井山に本陣を移し、築堤工事を開始。
足守川の水取口より東方向の蛙ケ鼻(かわずかはな,)まで3kmの堤防をわずか12回日間で作ったと伝えられています。
水攻め後、城兵5000の命と引き替えに切腹した清水宗治の死により開城となり中国大返し・山崎の戦いを経て、秀吉は天下人への道を駆け上がっていきます。
当山はこの戦いの際に堂宇を失いましたが、ご本尊だけは別の場所に安置されたため、慶長6年(1601)に日蓮宗寺院として再興され、現在に至ります。
最上稲荷総本山
*12)龍王池を八大龍王様の御神体としてお祭りしています
龍王池伝説
平安時代に転記された鬼城縁起によれば..
吉備津彦命の軍搴行であった楽々森舎人(ささもリとねり)は、超能力を持つて いて、芦守山の山頂の岩をうがって、水を涌き出させ、地域の人々をうるおしました。湧き出た水は、山の中腹の池となりました。
その後、優鉢羅龍神(うはつらりゅうしん)が芦守山に飛来し、地域の人々を護ったので、いつしか芦守山を龍王山、池は竜王池と呼ぶようになりました。
楽々森舎人は足守の豪族で桃太郎伝説の猿のモデルと言われています。優鉢羅龍神は八大龍王の変化(へんげ)の一つで、青い蓮の花が咲く池に住むと言われています。
慈悲深いお姿を思い浮かべ優鉢羅龍神を具象化しました。愛称は優羅姫(ゆらひめ)です。
最上本山 龍泉寺
薄っすらと明るくなりだした頃倉敷を出発 車載温度0℃ 吉備路429を走る 180号を横断し県道271を行き、再度429に合流する そして足守の手前岡山空港の標識を右折し空港の方向へ進む カ−ブする道を登って行くと大きくカ−ブをとる位置に大きな龍泉寺の標識がある 標識を見て右折 境内に入り駐車場に駐車させて戴く 太閤腰掛岩*1)のすぐそばである 車載温度は-1℃