経山 鬼城山 高丸山



標高 経山373m 鬼城山397m 高丸山311m     難易度 ☆
登り58分(経山) 45分(鬼城山縦走) 46分(高丸山縦走) 下山54分 全工程203分  岡山県
倉敷からの距離    16Km        登頂日 2026/01/07   ガイドブック  F写真 動画

砂川公園7:12−7:34鉄塔#353入口−7:37鉄塔#352入口−8:03鉄塔#352_8:11−8:17鉄塔#351_8:18−8:19経山山頂−8:30分岐−8:33自動車道−8:41鬼の釜−8:52鬼城山ビジターセンター−9:04鬼城山山頂ー9:14展望台入口ー9:17鍵岩ー9:31_334mピークー9:41交差−9:50高丸山ー10:14分岐ー10:30分岐−10:31自動車道−10:44砂川公園

登山
 今日は経山(きょうやま373m)・鬼城山(きのじょうさん397m)・高丸山(たかまるやま311m)を訪ねる
 
 登山支度をして出発する 砂川公園に入り水路に沿って進む まだ陽射しは得られず薄暗い
 
 園地から自動車道に出る 鬼ノ城駐車場まで3000mと書いた標識を見て道路を登って行く ルート脇にヌルデと思われる実が見えるが色は見えない 帰路には確認出来るだろう 赤坂池に出る 池の対角線にこれから登るルートにあたる鉄塔を確認出来る
 
 自動車道を登って行く 鬼ノ城駐車場まで2000mの標識を過ぎるとまもなく右手に鉄塔#353巡視ルート入口があるが、ここを過ぎて1,2分登った位置、左手に鉄塔#352巡視ルートがあり そこへ入る ルート入口右手に十五番と刻された石像がある ヤブツバキ#(#は花芽を意味する)が花芽を膨らませているのを確認する
 
 鉄塔#352巡視ルートを行く コシダやシダが多いルートを登って行く ソヨゴ*(*は実を意味する) ネズ* サルトリイバラ*が顔を見せてくれる 左手に眺望が得られるところに出る 日の出前の山並みを伺う事が出来る かすかに見える山並みはどこだろう 四国だろうか? ルートを行く 陽が射してくるようになり 明るくなる 急な登りに耐え、鉄塔#352に出る
 
 ルートは左に折れその前方に#351鉄塔が見える 今日はここで記念写真を撮る いつものところにソヨゴが赤い実を沢山つけていた 今年はソヨゴのあたり年かな? あちらこちらで見つける事が出来る 写真を撮り出発する なだらかな登り 山を右に見て、トラバースする感じで登ってゆき鉄塔#351に出る ここでもソヨゴ* サルトリイバラ*に出会った 鉄塔から少し登ったところに経山の展望スポットがある
 
 展望スポットに立ち、景観を一望する 展望スポットから倉敷市街地方面を伺う事が出来るが朝陽がまぶしい また手前の樹木が育ってきて視野が狭まれてきた 展望スポットを後に三角点のある山頂標識へ向かう 山頂標識のあるところからは眺望は得られない 少し行くと経山城跡*1)と書いた標識がある
 
 標識を後に、ルートを降りて行く コウヤボウキ*が綿毛をつけ2つ並んでいた そして、分岐に出る 分岐を右に折れ鬼城山へ向かう
 
 数分で自動車道に出る 暫くは自動車道を登って行く コセンダングサ* ノイバラ* セイタカアワダチソウ* ヘクソカズラ* ナンテン*などが顔を見せる ちょっと珍しい形の実を見つけたので写真に撮る GoogleLensで調べるとシラン*らしい そして鬼の釜*2)に出る
 
 鬼の釜のところで自動車道を斜め横断し遊歩道へ入る ここではイヌツゲ*を見つける 黒い実なのでその気になって探さないと見つけられない ため池の脇を抜け ビジターセンターの裏手に出る センターは閉まっており閑散としたもの
 
 鬼城ビジターセンターを抜ける センター入口には国指定史跡 鬼城山(鬼ノ城)*3) 中国自然歩道案内図*4) 総社のふるさと自然のみち総合案内図*5)が設置されている 左手に広い駐車場があるのだが、今日は珍しく一台も駐車していない
 
 山頂に向け登って行く ルートを少し行ったところに鬼城山(鬼ノ城)*6)と書いた説明板が設置されている 遊歩道入口にパンフレットが置いてある 遊歩道には"車椅子可"との表示があり車椅子で登れるよう配慮されている 今日は車椅子のルートでなく直登ルートを行く ルート右手に西門が見え そして、それが前面に見えてくる ルート脇にヒメヤシャブシ* ソヨゴ* サルトリイバラ*を見つける 右手には登ってきた経山そしてその左に眼を移すと高丸山に連なる尾根を伺う事が出来る
 
 景観を一望し分岐を左にとり角楼跡*7)に 角楼からは岩屋の山を伺える オオバヤシャブシ#* コウヤボウキ*を確認し山頂広場に出る
   
 鬼城山山頂からも展望は得られるがここも逆光でまぶしい すぐに西門へ降りて行く 西門の正面から門を通して経山が見える 丁度額縁にある絵を見る感じ 西門跡*8) 西門の復元*9)の説明を見て 門を潜り 振り返って西門を見上げたり城壁の景観を楽しむ そして高丸山を目指すべく登ってきた遊歩道の車椅子コースへ向かう ルートではヌルデ* アセビ# ソヨゴ* サルスベリ*に出会う サルスベリの実に出会うのは初めて GoogleLensがすぐ教えてくれた
 
 高丸山へは遊歩道から展望台へ向かう木道の脇にやっと人が通れる隙間がある 木道を左に見て、そこへ入って行く 木道の下を潜ったりしながらルートを行くと展望台の下に行ける そこから西門と城壁を伺う事が出来る また右手に鍵岩を見る事が出来る
 
 景観を一望しルートを行く 緩やかな下り 人一人通れる程度の狭いルートだが、しっかりしたルート 迷う事なく追ってゆける ここではネジキ*を見つける 木に特徴があり、枝先を見たら実がついていた 小さい実でカメラ泣かせだが今回はしっかり撮れた 右手が開けてきて経山の山肌も伺う事が出来る 記録を見ると鍵岩から14分で334mピークに出た
 
 334mピークはルートから1,2歩入ったところ そこから西門を伺う事が出来る 西門のところで撮った写真を拡大して確認すると、高丸山の手前にこのピークを確認出来る ルートに戻り降りて行く 記憶にある大きな岩のところを注意しながら降りてゆく 334mピークから9分で鉄塔巡視路と交差する所に出る
 
 交差する直前は急斜面になっており正面に高丸山が 左手に鉄塔#354 右手に鉄塔#353を伺う事が出来る 急斜面を足を滑らさないよう留意して降りる 鉄塔巡視路を横断するようにルートがついているのでそのまま降りて行く すぐに登り返す しっかりしたルートがついておりそれを追って行く 鉄塔巡視路の交差点から10分弱で高丸山311mKHCと書いた板が木にくくられているところに出る そこが山頂らしい 樹林の中で眺望は得られない 
 
 すぐにルートを行く シダが茂った中を行く しっかりしたルート 定期的にメンテナンスされているのだろう 放置しておいたらすぐ藪化しそうだ 高丸山・鬼城山と書いた比較的新しいルート標識もあった
 
 緩やかなアップダウンを行き高丸山山頂から20数分程歩いたところでちょっとした広場に出て そこが分岐になっており標識が設置されていた 赤坂池・砂川公園を示す方向へ向かう
 
 前回の記録を見るとここからルートは草が茂っていたとの記載があったが 今回は整備されており、随分感じが違った 左に折れ急斜面を降りる位置に見覚えのあるロープがあり このルートだったと確認出来た シダが多いルートを降りて行く また分岐があり一方にはテープナビがあったがここは右手に降りた記憶があるので右にとる シダのトンネルを潜り1,2分で分岐に出る 分岐を赤坂池へ右に折れるとすぐに自動車道に飛び出た 
 
 飛び出たところから5分で赤坂池に出た ヌルデ*の他 ヤマハゼ* ヘクソカズラ* トウコマツナギ*を見つけ駐車場に 駐車場には私の車だけだった 車載温度は7℃だった
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今日の山歩きをAIと詩に

三つの峰、ひとつの道

朝の霧が 経山を包む
静けさのなか 踏みしめる土
かつての城の名残は 苔の下
誰かが守り 誰かが奪い
今はただ 風が見張りをする

尾根を越えれば 鬼の城
石垣が空を裂き 門が口を開ける
温羅の影が 陽に透けて
伝説と史が 重なり合う
私はその狭間を そっと歩く

高丸山の道は 言葉を持たない
ただ 木々が揺れ 陽が差し
名もなき静寂が 心を洗う
何も語らぬ山ほどに
深く 何かを教えてくれる

三つの山は それぞれの声を持ち
歴史 神話 沈黙
それらが 私の足元に重なり
ひとつの道となって
背中を押してくれる

振り返れば 峰が連なり
歩いた時間が 空に溶ける
風が頬を撫で 陽が笑う
私は ただの旅人ではない
山に名を呼ばれた者だ

−−−−−−−−−−−−−ここから−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
*1)経山城跡
 経山城は、守護大名の大内氏が天文年間に築いたといわれる山城です。天文十二年(1543)に赤松春政、元亀二年(1571)に尼子晴久の城攻めがあり、天正十年(1582)の高松の役後に廃城となったと考えられます。
 城は、山頂の主郭を囲むように壇や郭、曲輪を配し、さらに石垣や石塁、堀切を備えるなど、城の形状がよく残されている山城です。

*2)鬼の釜
 口径約185cm、深さ約105cmの大きな鉄の釜です。底の一部が欠けています。
 釜は鋳物で制作されたもので、鋳型のつぎ合わせた痕が明瞭に残されています。
 そのむかし、鬼ノ城に住んでいた温羅(うら)と呼ばれる鬼神がいけにえをゆでたと言い伝えられていますが、江戸時代に近くの湯釜谷から出土したという事実からも、山岳寺院であった、ここ新山寺の湯屋に使用された湯釜と考えられています。

*3)国指定史跡 鬼城山(鬼ノ城) 昭和61年3月25日 指定
 鬼ノ城は標高約430mの鬼城山に築かれた壮大で堅固な古代山城です。吉備高原の南端に位置しており、眼下の総社平野には集落が営まれ官衙(かんが役所),寺院などが造営されました。また、古代の山陽道が東西に走り吉備の津(港)から瀬戸内海への海上交通も至便であり、まさに政治、経済、交通上の要地を一望できます。
 鬼ノ城の山容は擂鉢(すりばち)を伏せたような形状をし、山頂付近はなだらかな斜面となっていますが、山の八−九合目以下は著しく傾斜しています。この山頂部との傾斜が変化する部位に城壁が築かれ、全周約2.8kmに及んでいます。
 城壁は版築(はんちく)工法のより築かれた土塁が主体をなし、城門が四ケ所、排水機能をもつ水門が六ケ所、また石垣などにより構成されています。
 特に復元整備を実施している角楼(かくろう)から第0水門までの城壁は、巨大な西門や、ゆるぎなく突き固められた土塁が復元され、当時の雄大な姿や精緻(せいち)な築城技術を窺うことができます。
 城内はよそ30haという広大な面積があり、これまでに礎石建物跡、溜井(ためい水汲場)、土取場などが見つかっていますが、今後の調査によりさらに新たな発見が期待されます。
 築城の時期については諸説ありますが、大和朝廷が朝鮮半島の百済軍救援のため出兵した白村江(はくすきのえ)の海戦(663年)において大敗した後、唐、新羅連合軍の日本侵攻を恐れ、急ぎ西日本各地に築城した城の一つと考えられています。鬼の城は当時の東アジア情勢を鋭敏に反映した遺跡と言えます。
 平成16年1月 総社市教育委員会
 
*4)中国自然歩道案内図(古代山城を訪ねるみち)
中国自然歩道とは
 中国自然歩道は、中国5県を一周し、それぞれの地方に残された美しい自然のなかを歩いて、豊かな自然に親しみ、また、郷土の歴史や又化にふれて、私たちのふるさとを見直すための長距離自然歩道です。
 岡山県では、自然歩道を5つのルートに大別し、さらに各ルートを1日で楽しめるよう、合計43のコースに区分しています、

主な見どころ
砂川公園
 鬼城山の山裾を流れる砂川沿いに整備された公園。炊事棟やトイレが完備されたキャンプ場のほか、ウォータースライダーなどの親水施設がある。
鬼ノ城
 温羅伝説の発祥地といわれる古代山城。標高400mの鬼城山の山頂に3−にわたって続く石垣や土塁はわが国最大級の規模を誇る。
皇の墓
 岩屋寺の開祖、善通大師の墓と伝えられる.善通大師は文武天皇の皇子で、7歳のとき、岩屋山に登って僧侶となり、岩屋寺を建立した。
総社のふるさと自然のみち
 北の吉備路に整備された遊歩道で、自らの足で歩<ことを通して自然とのふれあいやふるさとの歴史などに親しみ、自然教育の効果を高めることを目的としたみちである。(写真は棚田の風景)
 
*5)総社のふるさと自然のみち総合案内図
 この一帯は、國指定史跡鬼城山をはじめ貴重な文化財と豊な自然環境が残ると共に、人の暮らしと自然が調和した里山が広がり、「自然と歴史あふれるフィールドミュージアム」として位置づけられます。
  
*6)鬼城山(鬼ノ城)
 ここ吉備地方には、大和朝廷が派遣した吉備津彦命が人々を苦しめた鬼神(温羅とも呼ばれる)を退治した伝説が残り、昔話「桃太郎」の原型になったとされています。
 伝説では、鬼ノ城は温羅の居城とされ、吉備津神社や吉備津彦神社のある「吉備の中山」に陣を構える吉備津彦命と、弓矢などで戦いました。
 標高400mのこの城は7世紀後半に築かれ、山頂の平坦地を石垣や土を固めた土塁が約2.8kmに渡って囲んでいました。築城当時は、南方面に海が広がっていたと考えられ、遠くに船が行き交う様子を見ることができたと思われます。近隣には、温羅が生贄を茹でたといわれる鬼の釜など、伝説ゆかりの地が多くあります。

*7)角楼跡
 日本の古代山城では、初めて具体的に確認された特殊な施設です。中国の城郭でいう「馬面(ばめん)」、朝鮮半島での「雉(ち)」に当たります。
 ここは、尾根つづきで攻められやすいため、城壁の死角を補い防御力を高めることを目的として、城壁の一部を長方形(13X4m)に張り出しています。
 角楼の下半部は、両側の石垣と同じように石垣積みで、ほぼ4m間隔で一辺50cmの6本の角柱が石垣の間に建っていたことがわかりました。また城内側には、この施設への昇降のための石段も設けられています。
 しかし、この上に建物などがあったかどうかは不明です。
 最高所の鬼城山・西門と一体となって、強固は防御ゾーンを形成しています。
 平成19年3月 総社市教育委員会
 
*8)西門跡
 鬼ノ城は、四ヵ所に城門を設けています。
 いずれも堀立柱の城門で、通路床面に大きな石を敷き、床面と城門前面に2m近い段差を持つ(懸門)ことを特徴としています。
 西門は、南門と同規模の大型の城門で開口3間(12.3m)、中央1間を通路とし、2間の奥行をもち、12本の柱で上屋を支えます。柱は一辺最大60cmの角柱を2mほども埋め込んでいます。
 本柱に合わせたくり込み、方立柱穴、軸摺穴、蹴放しがー体的に加エされた門礎をもつのは、鬼ノ城のもののみです。
 西門は日本最大の古代山城大野城の大宰府口城門(間口8.85m)をしのぐ、壮大堅固な城門です。
 平成19年3月 総社市教育委員会
 
*9)西門の復元
 西門跡は、きわめて良好な状態で残っていました。
 12本の柱の位置と太さ、埋め込まれた深さ、各柱間の寸法も正確に知ることができ、また通路床面の石敷や石段、敷石もよく残っていたので、城門の規模と構造を具体的に知ることができました。
 そこでこれらの資料をもとに、関連資料を参考にし、戦闘の場としての機能を考慮して三階建ての城門に復元しています。一階は通路、二階は城壁上の連絡路、三階は見張りや戦闘の場としての機能をもっものです。屋根は調査時にも瓦は出土していないので、板葺きにしています。
 古代山城の城門の復元例としては、日本で初の事例です。
 平成19年3月 総社市教育委員会 


アプローチ
 朝食を終え倉敷を出発、車載温度1℃ 429吉備路を行く 180号そして総社バイパスを横断し県道271に進む JRの踏み切りを抜け T字路を右折 次の信号のある交差点を左折 砂川公園へ向かう 公園一番奥の第7駐車場に駐車させて頂く 車載温度は-1℃ 駐車している車は無かった