古鷹山の由来

秀峰古鷹山は標高(392メートル)波静かなる江田島湾を眼下に見下ろし 晴天には遠く四国の連山と望むことができ 四季おりおりの眺めはまた格別である。

古鷹山の由来は、その昔一葉の小舟が荒くるう暴風雨のため難破寸前にせまった時、いづくよりか一羽の大鷹があらわれ、波静かな入江に導きたる後、この山中に姿を消したので、この鷹の霊を祭るため山上の大松の下に一字の堂を建立し、鷹宮大明神と称し旧暦9月19日には盛大な祭りが行われていた(現在は八幡神社に合併)その祭神に因んで古鷹山という。

かつては海軍兵学校生徒の心身の鍛練の場であった。広瀬中佐は在学中百回以上登山されたと伝えられている。

昭和5年10月24日 天皇陛下海軍学校行幸のみぎり、御登山予定のところ、雨天のため中止された。

昭和17年10月12日 赫々たる戦果をあげ、サボ島海戦で戦没した巡洋艦古鷹は、この山に因で命名されたものである。

昭和53年6月1日に発生した江田島町山林大火災の際、頂上付近の僅かを除き灰じんに帰したことはまことに遺憾である。

昭和54年3月       江田島町

五省訓の由来

五 省

1、至誠に悖(もと)るなかりしか

1、言行に恥(は)づるなかりしか

1、気力に缺(か)くるなかりしか

1、努力に憾(うら)みなかりしか

1、不精に亘(わた)るなかりしか

 この五省は東郷元帥の謹書であり昭和7年(西暦1932年)から旧海軍兵学校・海上自衛隊の生徒は自習が終わると五省を黙読し一日の行為を反省しています。

江田島町