獲 ら ぬ タ ヌ キ 算 用 
  

 「あのときのタヌキの骨,拾っといたらよかったなー。」 
何を思ったのか,今回の言いだしっぺは私でなく主人の方だった。一瞬耳を疑ったが,そういえば彼は理科の教師。頭骨なんかはいい教材になるのだろう。 
「じゃあ,決まり!今度の休みにはタヌキの骨拾いね。」 
今思えば,私が簡単に乗ってきてこう出ることを予測しての発言のような気がする。 

 事の始まりは1998年11月上旬にさかのぼる。前話の御津の泥状河原にはまだ堰があり水が満ちていた。現場は泥状河原の上部ガードレールの道沿い。 
 双眼鏡で川を覗いているうちに異臭が漂ってきた。 
「何だかケモノ臭くない?」 
私の嗅覚は人より腐ったモノに敏感らしい。冷蔵庫の中の物など腐りかけの物は,早々と当てることができる。家族の健康管理に一役買っている自慢の嗅覚だ。その嗅覚が何かを関知した。 
「おかしいなあ,どこかなあ。」 
今まで双眼鏡で遠くばかり見ていた。灯台もと暗し,ふと足下のガードレールわきに目をやる。それは手の届く程近くにあった。 
「おー,何か転がってる」 
「このお尻の毛色はタヌキ?」 
「うーん,足とお尻は見えても草で頭が隠れてる,何か棒でもあったらなあ」 
「ないねえ,ひっくり返してじっくり顔も見られるのにね,残念!」 
交通事故死のタヌキを前にこんなシュールな夫婦の会話ができてしまう。異臭漂い腐りかけて虫でも湧いているだろうタヌキは素手で触る気になれない。観察は断念して現場を引き上げた。 

 さてそれから2カ月,年は変わって1999年1月4日,といえば,そう,泥状河原の第2日目のことである。 
「この辺だったよね,タヌキを見たの」 
あちこち枯れ草をかき分ける。 
「あったあった!」 
まず毛の固まりが見え,主人が毛を棒でほじる。 
「足だ,キレイに骨になってる」 
肉の部分はなくなり白く足の骨が浮き出ていた。 
「小さいところまで残ってるね」 
「案外足の骨って小さくって細いもんだねえ」 
主人は足の骨を分解している。私は足跡に心を奪われていたので,そこそこにして河原に降りていった。 
 主人はその時の骨だけになったタヌキを拾わなかった事を残念がっていた。乗せられた私はつい拾いに行く決心をしてしまい,図書館で骨の本をあさり,骨格標本を作ったときのタヌキのポーズはどうしようかなあと想像までしていた。 

 1999年1月15日,その場所は道路わき,家族4人で輪になってしゃがんで骨を拾っている図を想像するとやっぱり変だ。ここは速攻でいこう。まず,大きいスコップで骨を崩さぬようザザッと周りの土ごとすくって箱に詰めよう。まだ異臭漂っている可能性も考えてそのままゴミ袋で密閉する。後は暖かいわが家に戻ってゆっくりと骨拾いだ。 
 緊張と期待の中,現場に到着。 
「あ,あるある,この毛の固まり」 
「これ,あの時の骨だね」 
でも,骨があるにしては何だかくぼんでいて,毛皮の量も少ないのが気になる。いつの間に用意したのか主人はピンセットで毛をめくりはじめる。ところがである。めくってもめくってもその先にあるはずの骨がない!土まで露出してきた。 
「・・・。この間見たのもそういえばこの足だけだった。」 
「これだけ? 足がのぞいていたら,その先が続いてると思っちゃうじゃない,普通は。」 
 子供には”いいもの拾いに行く”とだけしか言ってなかったので,気の抜けた親とは対照的に足の骨を珍しそうに見つめて騒いでいる。 
「本体はトンビに持って行かれたか?」 
「案外,タヌキにだったりして。共食いよ」 
 正月にこの河原で拾った糞の中に毛の固まりだけのがあった。ベランダに置いていたが,先日の強風で乾燥したヌートリアの糞と共に飛んでいって,大慌てで拾いに走った記憶も新しいあの糞だ。拾った時に「タヌキの毛かな」と思っていた。衛生上分析は控えていたが,その必要が出てきたようだ。うーん,点と点がつながって線になるかも知れない。この推理の過程がたまらない。(この話の終わりに付録があります) 
 ピンセットに続いていつの間に用意していたのか,採集瓶に主人はわずかの足の骨と毛を詰めている。当初の予定とはずいぶん違うが我が家への土産ができた。 

 やっぱり拾ったままというのはためらわれる。気分的にすっきりするために漂白しよう。台所用漂白剤に浸けること半日,白っぽく清潔になった気がする。 
 骨の本を開いて,さあ,タヌキの足骨パズル開始というとき,主人から忠告が・・・。 
「足の骨全部揃ってないのにどうすんの?」 
「はあ? どういうこと?」 
 主人の説明はこうだった。1月4日に足の骨を見つけたときに分解してみた。つまり,今回の拾った骨はその残骸であって,バラバラにした部分は全部見つかっているわけはないだろう,ご覧なさい,目の前の骨は数が足りないのは目に見えて明らかだ,そんなことも解らず観察していたのか,しかも組み立てようと思っていただなんて,早合点の母さんのやりそうなこと,獲らぬタヌキの皮算用とはまさにこのことだ,今回は骨だけど・・・。この言い分の前半20%は実際に口から出たが,後半80%の推測もほぼ当たっているだろうと思われる。。 

 どうしようかと考えていたところに,クリスマスでもないのに何故か”チキンの丸焼き”をもらってしまった。家族で食べるだけ食べた後,鳥がらでスープでもと鍋で煮込む。おおー,これも正真正銘の骨ではないか。鳥全体と言えば大がかりになってくるし,すでに我が家にやってきたときには頭骨と足先は落とされている。簡単にタヌキとの比較で手羽だけにしよう。別鍋で煮込むこと2時間,おいしいスープと共にご存じ手羽の骨がポロリと肉から離れて出てきた。 

 さて,今一度タヌキとニワトリの手羽の骨を前にする。借り物の本にはそのものの骨は載っていないので,参考にライオンとオウムの骨の頁を開く。張り切る子供と一緒に3人がかりで骨パズル開始。先ずタヌキ, 
「爪はこれ,ん?一体この骨は前足?後ろ足? 小さい骨がつながらないぞ」 
子供はまじまじと骨を手に取ったり並び替えたりと,いろんなことをやってくれるが,私も似たようなことしかできない。 
「やっぱりパーツが揃ってないとよくわからないなあ,手羽からやろうか?」 
ニワトリの登場だ。次男などは匂って「いい匂い」などと言っている。 
「インコとは違うんだろうけど,鳥どうし,そんなに変わりっこないよね」 
本を見ながら,いざ組み立ててみるとなぜか骨が余ってしまう。それに接続部も変てこりんだ。小さな骨の扱いに至っては困り果ててしまった。 
「手羽なんて簡単と思ったけど,何でつながらないの?」 
 ここで大切なことを思い出す。わたしは凝り性なのだが,実はいじましがりやでもあった。ラップが巻き付き取り出し口がわからなくなるともうお手上げだし,ジグゾーパズルだって1人で完成できない。 
 くやしまぎれに「タヌキの骨VSニワトリの骨」の見たとこ勝負を子供とする。 
「タヌキは茶色っぽい白で,ニワトリはグレーっぽい白」 
「タヌキの方が小さくって,ニワトリはおおきい」 
なかなかよく見ているぞ。 
「じゃあ,母さんね。よく見てごらん,タヌキの骨は小さいけど,その割にはズッシリ重くない?ニワトリは大きいけどなんだかすかすかして軽いよ。」 
うなずく子供達。この意見でちょっと尊敬されたみたいだ。 
 実際陶器などを両者の骨の先端で叩くと音色がずいぶん違う。澄んだキレイな音のタヌキ,ちょっと低い音のニワトリー密度で音色が変わる。鳥類は飛ぶために骨が軽くできているときいていた。実際に目前で比べてみると顕著な違いがわかって面白い。何だか生き物の進化の神秘を手に取るように感じられる。 

 だが,せっかくのタヌキの骨,そのまま戸棚にしまってはタヌキに申し訳が立たない。もっと分かりやすい骨格の本を手に入れねば自力では進めない。何とか知恵を絞り,さりげなく骨を主人の書斎の机の上に置く。几帳面で片づけ上手な主人ならこの分野得意なはず。「しかたないなあ,一丁まかしとき!」といってくれないかなあ,などともくろんでいるところだ。 
  
 また気になる分野ができてしまった。通園路だけでも今までにこの分野に関していろいろと目撃した。次男が「しっぽに骨ってあるんじゃー」と感動していたミイラのネズミ,長男と約3週間もの間見守っていた用水路に落っこちて白骨化していくカラス,息絶えた数々のヘビ達・・・。その気になって人目を気にしないなら少しずつは骨のコレクションは可能だろう。 
 今,目下の興味は用水路に捨てられた4匹のドブネズミ。1月14日に発見して以来,日が経つにつれ徐々に毛が抜け落ちていっている。前述のカラスのように白骨化していって,そのうちに頭骨でも出てこないかなあと思っていた。が,そうは問屋がおろさない。流れゆく水のため先日3匹が流されて消えていた。あと1匹しかいない,どうしよう,ここは勝負をかけるか? でも,相手はペスト大流行の引き金となったドブネズミだ。しかし後悔はしたくない。うーん・・・。 
 こんな母の葛藤を繰り返しながら,今日も小橋家の一日が終わってゆくのであった。 

  

  
   (付録)思い切って「毛だらけ糞」への挑戦 
           
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