★ タイ (アユタヤ編) ★  2006/5/14

 [アユタヤ編]です。

2006年5月14日 11時00分

世界遺産のアユタヤへ向かってツアーのバスで出発です。










12時00分

スコールが止んで、いい観光が出来そうです。














13時00分
バンパイン離宮です。


アユタヤ時代に作られた離宮。

カートを借りました。
400バーツでした。高いです。









現在も使用されているようで
離宮の中には、軍人さんが小銃を持って
警備していました。
川の中に建立されたおとぎの国のような,儀式用の非常に美しい小さな離宮

















離宮内に在る迎賓館には、外国の賓客が宿泊する。

日本の皇族もここに宿泊される。



























中国から贈られた王妃の離宮
入り口を入ると王の謁見の間
建物も調度品も全て中国様式




























庭園内の川に噴水。
この部分は、西洋様式の庭園だ。










14時20分

アユタヤ到着です。





















このバスに15名のツアーです。








30分ほど、象に乗りました。
























歩くたびに身体が左右にゆれます。
2人も乗って、象さんが可愛そうでした。















ワット・ロカヤスタの涅槃仏です。
袈裟の大きさもすごいものです。






















全長28m、かっては天井のある仏堂に安置されていたというが、破壊され
現在の姿は風雨にさらされ、痛々しい。







14世紀から約400年続いたアユタヤ王朝。18世紀にビルマ軍との戦いに敗れ滅亡、寺院や美術品を覆っていた黄金は持ち去られ、現在は痛々しい痕跡が残るのみだ。




















放置されたため、木の根に取り込まれてしまった仏像の頭部










アユタヤで見かけた鳥です。
ハッカチョウの仲間のCommn Myna (カバイロハッカ)だろうと教えて貰いました。




17世紀初頭には1000〜2000人の日本人が暮らしていたという。日本人部隊を率いてビルマ戦で活躍した
山田長政はとても有名で、ソンタム王から最高の爵位を与えられ、シャムの重臣にまでなった。しかし1630年彼は暗殺され、徳川幕府の鎖国政策もあって日本人町は衰退し、やがて消滅した。










アユタヤの市内で、タイ式足マッサージをした後、夕食を頂き
再度、アユタヤ遺跡のライトアップを見に来ました。
とても幻想的でした。

ワットプラシーサンペット








ワット・プラ・マハタート

















ワット・チャイワタナラム









                          
パタヤへ続く