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淀川小屋で朝食を戴く |
高山の湿地帯「花之江河」 |
深く掘れ侵食された登山道を登る |
登山口でタクシー(6000円)を降りると外は非常に寒く、雨具の上着を取り出し薄暗い中をヘッドランプを灯し登山準備をする。
淀川登山口から短い登り下りと数本の涸れ谷を渡り約40分歩き淀川小屋到着、先着の登山者が数名休憩をしている。お湯を沸かし簡単な朝食を食べ休憩を取る。
世界自然遺産の領域に入りながら木道とガレ場の登山道を登り、荒川の源流に開けた湿原「花江之河」に出る。ガスで曇る湿原に屋久杉の白骨化した立ち木が幻想的であった。
深く侵食された登山道を登り、「黒味岳」分岐を過ぎ「ヤクザサ」の茂る登山道を進む。少しずつ「宮之浦岳」山頂に近づくが依然として強風に乗ったガスが山肌を吹き上げ手袋をした指の感覚が無くなって来る。 |
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山頂付近の石楠花の木は氷が付着 |
「宮之浦岳」山頂に到着 |
古代杉に着生する木々 |
時折、ガスの切れ間に大きな岩が点在する山頂付近を眺め、未だ蕾の「屋久島シャクナゲ」の枝にはガス中の水分が凍り付きあたかも白い花を咲かせて要る様で不思議な光景であった。
山頂(1936m)に11時に到着し記念撮影を済ませ、お湯を沸かし昼食を準備するが、標高と強風、氷点下の気温で中々お湯が沸かない。寒さに震えながら昼食を済ませ足早に今夜の宿泊地「新高塚小屋」を目指し歩き始める。
「宮之浦岳」からは少しの登りが有るが総体的に下りで次第に「モミ・ツガ・リョウブ・ヒメシャラ」が古代杉に着生する光景が見え、他の地域の山に無い光景が点在する。 |
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「新高塚小屋」に到着 |
屋久鹿に歓迎される |
小屋横のデッキにテント泊 |
山頂を出発し2時間「屋久鹿」の歓迎を受け目指す宿泊地の「新高塚小屋」に到着、小屋の中を覗いて見ると先着の登山者が10名位休憩をしている。40人位(最大60人)が泊まる事が出来る山小屋(無人)だが、今日の登山者から見ると満員に成りそうなので、小屋横のデッキにテントを張り、夕食の準備をし、ヘッドランプを灯し持参の「般若湯」を戴きミニ宴会をする。次々とテントが増え5張りのテント村となり長時間の縦走の疲れから19時床に就く。 |
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外は霧雨 朝食を準備 |
木肌が綺麗な「ヒメシャラ」大木 |
縄文杉近くの高塚小屋 |
山小屋の朝は早く、4時過ぎから小屋に宿泊した人達がトイレや食事の準備で動き始める。我々も靴音が響き寝て居られないので、簡単な朝食を戴きテントを撤収する。夜中にテント内の食べ物を狙った訪問者(野ねずみ)が有りおつまみの袋に歯形が付いていた。
朝もやに煙り見事な木肌を見せる小屋横の「ヒメシャラ」の大木に分れを告げ、「新高塚小屋」を7時前に出発する。
古代杉の大木を眺めながら1時間歩き「高塚小屋」(15人位宿泊可能)に到着し休憩を取る。
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縄文杉に出逢う クリック→拡大 |
古代杉の中を下山 |
枝が絡まる「夫婦杉」 |
「高塚小屋」から約10分(8時20分)で目を見開く様な、オーラを感じさせる屋久島のシンボル「縄文杉」の展望デッキに到着。デッキにしばしたたずみ、累々と2000年以上の時間を生き抜いた縄文杉と同じ空間に同居する不思議な気分を味わった。展望デッキ下から円やかな清水が沸き出ているので縄文杉と同じ水を味わい下山する。
【縄文杉】
「樹高25.3m、根回り43.0m、胸高周囲16.4m、確認されている太さ最大の屋久杉。
背が低い、ずんぐりした樹形は、台風の常襲地帯に育つ屋久杉の特徴をよく表している。 凹凸の激しい幹は木材に不向きとされ、江戸時代に利用できない巨木として切り残された。
樹齢7200年という説もあるが、中心部が空洞になっており、その内側から採取した資料の科学的計測値は、2170年以上となっている。
」
階段状の急な木道を下り、清水の流れる小さな沢を数ヶ所渡り古代杉の林を抜け、「夫婦杉」「大王杉」を眺め10時30分「ウイルソン株」到着する。 |
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ウイルソン株の中に入る 写真にポイント |
大株歩道入り口の軌道 |
透き通った清流が流れる |
雑誌や写真で紹介されている「ウイルソン株」の巨大さは、「見ると聞く」とは大違いと言う言葉が其のまま当て嵌まる。株の中に入り奥の隅から湧き出る清水と祠を写真に収め、ぽっかり空に向け口を開けた頭上の穴から新緑の木々が日差しに映え、眩しく輝く様をしばらく見上げる。
【ウイルソン株】 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
「1586年(天正14年)、牧村の五郎七が足場を組み、豊臣秀吉の命令により大坂城築城(京都の方広寺建立とも)の為に切られたといわれる。胸高周囲13.8m。
日本を訪れたアメリカの植物学者アーネスト・ヘンリー・ウィルソン(Ernest Henry Wilson)博士により調査され、ソメイヨシノなど多くの桜などの収集とともに1914年に西洋文化圏に紹介され、後年この株の名前の由来となった。縄文杉発見の1966年の52年前の調査である。
株の中には清水が湧き出ている。 また祠がある。またこの杉は枝が多く、使い物にならなかった先端部分は、下の沢に放置され、今でも残っている。」
「ウイルソン株」から少し下った所の「翁杉」に挨拶をし、11時30分、森林鉄道(線路)が敷設されている「大株歩道入口」に下山し、安房川の瀬音を聴きながら、お湯を沸かし持参した最後の食料「棒ラーメン」と「アルファー米」の炊き込みご飯戴き昼食を取り休憩を取る。 |
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荒川登山口駐車場 |
焼肉「れんが亭」で夕食 |
「屋久どん」の庭から |
「大株歩道入口」から屋久杉運搬用の軌道敷の中に引かれた木道をひたすら歩き、13時「楠川分れ」「白谷雲水峡」に1時間30分で行ける分岐点)まで下山する。遥か右下に「小杉谷」の渓谷を眺め、「屋久鹿」の散歩と満開の「桜ツツジ」を見ながら「小杉谷休憩舎」を通過しゴールの「荒川登山口」に14時15分に下山した。
荒川登山口から「安房」方面行きのバスは、17時出発であり、タクシーの予約もしていないので適当に下山した登山者に便乗の声を掛け、秋田県から夫婦で登山に来られていた方(レンタカー)が幸運にも便乗を快く了解して頂き、安房の宿(森の陽だまり)まで同乗(少し謝礼をする)させて頂く。
宿に着き、二日間の汗をシャワーで流し、カロリーの少ない登山食ばかり食べていたので、焼肉が食べたくなり宿の主人に焼肉屋さんを尋ね、歩いて10分位の「れんが亭」に行く。17時前で未だ開店前であったが、バッグパッカーの交渉力を生かし、開店時間30分前に店に入れて頂き、美味しい焼肉で乾杯する。屋久島の地酒と焼肉で二日間の疲れを癒し、宿に帰り22時床に就く。(35名位宿泊可能だが、本日の宿泊客は10名程度)
一夜明け、昨夜のお酒が少し残りなんとなく体が重たいが、朝食の買出しに宿の向かいの「早朝弁当屋さん」(5時位から登山者向けに弁当を販売)に行き「おむすび弁当」を買い(お味噌汁をサービスして頂く)宿の電子レンジで温めて戴く。13時30分「安房」発の「トッピー」まで5時間近く有り、安房の町を2時間位散歩し情報収集する。10時に宿を出、安房港に行き荷物を置いて近くの観光物産販売所に行き時間を潰し、雑誌に載っていた「屋久どん」に行き「屋久島うどん」でお昼ご飯を頂、13時30分発の「トッピー」に乗船する。 |
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九州最南端「佐多岬」 |
晴れ渡った「桜島」 |
倉敷駅に帰着 |
海上は白波が立っていたが、「トッピー」は順調に航行し、1時間ばかりで、本州最南端の「佐多岬」沖を通過し、鹿児島湾に入る。出発時は山頂を雲に覆われていた「桜島」もその全容を表し、無事の帰還を歓迎してくれている様であった。鹿児島本港から福岡天神まで高速バスに乗り、福岡から岡山行き「夜行高速バス」で、長いながいバスの旅をを終え、翌朝6時無事に「倉敷駅北口」に到着する。
今回の「屋久島:宮之浦岳」登山は下山翌日半日の時間の使い方を工夫するともっと内容が充実した物と反省したが、全て計画通りの「格安登山」が出来満足の「屋久島」と成った。 |
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