憂鬱な日
第4幕:二人で過ごす時間
夕食後,ミラルカの入浴に関して多少のドタバタはあったものの,糾もミラルカもそれぞれに汗を流してさっぱりした気分で夜の穏やかな時間を迎えていた。
糾が帰って来たことで気分的には朝方よりも数段いい状態になっているミラルカではあるが,それでも生理痛やら全身の脱力感がいきなり完全回復したりするわけではない。時折ぶり返す痛みに顔を顰〔しか〕めることもあるし,気だるさの抜けない身体の動きは精彩を欠いている。
いつもであれば入浴後にはフロアや食堂で皆と歓談したり,書斎で本を読んだり(あるいは読んでもらったり)ということもあるのだが,ミラルカの体調を気遣った糾は早目に休むことを提案した。
実を言えば,自分も長時間山道を歩いてきて疲れているので早く休みたいという本音も合っての提案なのだが,部屋で二人きりの時間を過ごすことにミラルカも否のあるはずはない。
いつものように綺麗にメイクされたベッドへ横になると,その側にミラルカが同じように身体を寄せてくる。
互いに抱き合い,唇を重ねるのも,これもいつもの事。
とは言え,ミラルカが身に纏っている寝間着が,いつもとの違いを意識させる。
いや,そもそもミラルカが生理というこれまでに経験したことのない状態にあるという時点で既にいつも通りとは言えない。
「ミ…ミラルカさん?」
それが証拠に,と言うわけでもないが,ミラルカは糾に抱きつくと言うよりはしがみいている。
そうでなくても糾が館に帰って来た日の夜は感情が亢〔たかぶ〕りがちなミラルカではあるのだが,それにしてもここまでしがみつく,あるいは縋〔すが〕りつくようなことは珍しい。
「糾……」
「! ! !」
胸元に掛る吐息の熱さに,糾の全身がビクリと震える。
「ミ…ミラルカさん?」
「糾……」
見上げるその瞳はいつにもまして艶やかで,吐息の熱さと相まって,かなり……か〜な〜り色っぽいもので……危うく理性が飛びそうになった糾だが,ミラルカを強く抱きしめて,キスをすることで何とかそれを押し留めた。
いや,今更二人の仲を恥ずかしがっているというわけではなく,ミラルカの身体を気遣っての事である。
保健体育の授業で習った程度の事しか知らないし,それとても完璧に覚えているわけでもないが,少なくとも生理というものそれ自体が女性の身体にとっては少なからぬ負担を強いるものであることは知っている。
本心を言えば,暫くぶりに再会した最愛の恋人との夜を抱きしめて,キスをして,それで終わり……にはしたくない。が,だからと言ってミラルカに無理をさせるわけにはいかない。
となれば,自分が我慢するしかない。
と,辛うじて自分を抑えつけることには成功していたものの,残念なことにそれは糾の側の心理状況であって,ミラルカの心理状況は考慮されていなかった。
「ずっと独りで…夜は寂しかった……」
「ぅ……」
直前のキスがまずかったと言うべきだろう。互いの顔が目の前にあるようなこの状況で,潤んだ目で見つめられ,こんなセリフを言われて,平気でいられるほど糾の神経は太くはない。
「ぃや,だけど……」
「糾……」
「ぅ……」
正に陥落寸前の糾を救ったのは,ぶり返して来たミラルカの生理痛だった。
「この辺り?」
二人並んでベッドに横になり,ミラルカが求めるままに手を添える。
「ん…」
そのままどれほどの時間が過ぎたのか,正直糾に覚えはないが,ふと気付いた時にはミラルカは安らかな表情で眠りについていた。
「おやすみなさい」
そう囁いて口づけると,それで気が緩んだのか今更ながらのように疲労感が全身に広がってくる。
それに抗〔あらが〕おうなどという意識は露ほども浮かばず,糾はそのまま引き摺り込まれるようにして眠りについた。
fin.
おまけ
数箇月後 ── 館への里帰り前にドラッグストアの生理用品コーナーで周囲の目線を気にしつつ,生理用品を買い物籠に入れている糾の姿がありましたとさ。