邂逅(沙夜 & くらき)
【Szene Zwei】
自室へと戻って来た沙夜を,大輔が待ち構えていた。
沙夜「まぁ,ぬし様。どうなされたのです?」
大輔「うん……ちょっといいかな?」
沙夜「もちろんですわ。さ,どうぞ」
大輔がわざわざ待ち構えていたことを怪訝に思いながらも,それでも安堵している自分が居る事に,沙夜は途惑いを感じていた。
大輔「さっきの話だけどさ……」
部屋に入り,勧められた椅子に腰を下ろすと,大輔はやや躊躇〔ためら〕いながらも,そう切り出した。
沙夜「いやですわ,ぬし様。そのような……」
大輔「……イヤなの?」
食堂でのあの様子は,(沙夜とくらきの普段の関係からすれば)珍しくくらきの方が優勢だった事に対する気はずかしさからのものなのだろう,程度にしか思っていなかった大輔にしてみれば,何故沙夜がここまで言いよどむのかということがすぐには理解できなかった。
さすがの大輔も,事ここに至って,遅まきながら実はかなり複雑な状況だったのだという事を理解し始めていた。
が,『覆水盆に返らず』という諺〔ことわざ〕は伊達ではなく,既に口にした言葉もなかった事にはできないのである。
なかった事にはできないが……話はここまでにして,部屋に帰った方がいいのかも。と思い始めたとき,沙夜が口を開いた。
沙夜「ぬし様と二人きりになってしまってから何百年かは後のことですわ。くらきに出遇〔であ〕ったのは……」
大輔「あの……沙夜」
沙夜「はい?」
大輔「ごめん。喋りたくない事だったんなら……」
沙夜「いえ。いいのですわ。ぬし様」
そう言って微笑むと,沙夜は言葉を繋げた。
沙夜「当時私は,ぬし様をお腹に抱えたまま,人間たちの目を避けて各地を流離〔さすら〕っておりました。そんなある年の,夏も盛りの頃でしたわ」
その時の情景は数百年の時を経た今でも,脳裏に鮮明に描き出す事ができる。
人間たちが余り立ち入らぬ山間〔やまあい〕の向日葵〔ひまわり〕畑で……その一面の向日葵の中で,突然現われた自分を両目を見開いて見ているくらきの姿を。
大輔「仲間に出会えて,よっぽど嬉しかったんだろうなぁ」
大はしゃぎしたんだろう?
だが,大輔の予想に反して,沙夜は表情を曇らせると小さく頭〔かぶり〕を振った。
沙夜「いいえ……怖がっていたのですわ。常に邪神の傍らに居た,冷徹な女を……」
そう告げる沙夜の表情は,大輔がこれまでに見た事もないような,哀しみを帯びたものだった。
沙夜「私は……神の軍勢だけではなく,ぬし様の為にならぬと判断したものは,例え軍団のものであっても冷酷に処断してきました。恐れられても………当然ですわ…」
大輔「……」
大輔は無言のまま立ち上がると,沙夜の傍らに立って,そっとその肩を抱きよせた。
予想もしなかった沙夜の話に,大輔は何を言ったらいいのか,まったく見当が付けられなかった。
沙夜「くらきは,私を見てこう言ったんですのよ。『去年取れた向日葵の種を全部あげるから,虐〔いじ〕めないで』って」
今にも泣き出しそうな顔で……。
大輔「……」
なんと声を掛けたらいいのかまったく分からないまま,それでも何か声を掛けようと言葉を探していた大輔にとって,続いた沙夜の言葉は再び予想だにしないものだった。
沙夜「私……思わず笑ってしまいましたわ」
大輔「ぇ?」
大輔を見上げる沙夜の瞳には,もはや哀しみの色は見えない。
沙夜「……ぬし様のお顔,あの時のくらきとそっくりですわよ」
大輔「え……え〜と…沙夜?」
余りにも予想外の話の展開に,大輔は先ほどまでとは別の意味でなんと言ったらいいのか分からなくなってしまっていた。
沙夜「あんまりおかしくて,なかなか笑いが止まりませんでしたわ。気がついたら,くらきも一緒に大笑いしていましたわ」
大輔「……くらきらしいなぁ」
沙夜「暫く二人して大笑いして……それでようやく思い出したんですわ。笑ったのなんて,数百年ぶりだったって」
それはつまり,大輔−邪神が神との戦いに破れてから,ずっと,という事である。
沙夜「それからですわ。くらきと一緒に過ごすようになったのは」
大輔「そうか……」
沙夜の言葉が途切れた後,いくばくかの間をおいて,大輔はそう小さく息を吐いた。
大輔「じゃぁ……今の沙夜があるのは,くらきのおかげだな」
沙夜「まぁ……どういう意味ですの?」
大輔「ん〜〜〜,多分なんだけど……くらきと会ってなかったらさ,沙夜って今みたいに笑ってないんじゃないかな?」
沙夜「あ……」
大輔「怒った顔もいいけど,やっぱり沙夜は笑ってる方が素敵だよ」
沙夜「ぬし様……」
この場では思いもよらなかった大輔の言葉に,沙夜の頬が朱に染まる。
やがて,どちらからともなく唇が重ねられた……。
それから暫く後。
ひとしきり沙夜との情事を楽しんだ大輔が自室に戻るために沙夜の部屋を出たところで,今日も今日とて大輔の夜這い阻止に燃えてトラップを仕掛けていた夢見と鉢合わせしてしまい,トラップに使う予定だった弾薬類で追いかけ回されたのは……まったくの余談である。
Das Ende.