内田
◆だんじりの姿

 唐破風の屋根は、丸みを帯びる。鬼板に瑞雲をかたどり、上に鳥衾を伸ばす。破風の下の懸魚は、白い眼、長い髭、頭から顎にかけて逆立つ髪をもつ龍の顔の真ん中に置く。頭の回りを胴体が大きくくねり、尻尾は左端また右端に延びる。前足の指までしっかりと玉をつかむ。懸魚の端、空間に瑞雲を彫る。懸魚の奥、屋根と梁の間の束にも瑞雲が刻まれている。また、軒下には17本の疎垂木を用いている。
 車台の幕板は、組んだ格子の内側中央に、内田を示す金色のマークをつけている。それは「田」の字を真ん中に置き、その左右に「内」の字を配している。4輪の内輪。

だんじりの歴史
 町内の口承によると、初代だんじりは安政年間の末ごろに、通称「庄大工」と呼ばれる人の手によって製作されたとされる。安政末期とすると、製作年は安政5年(1858)から安政7年(1860)ごろであろうか。
 ところで、山車(だんじり)収納庫に以前使われていた懸魚が2枚保管されている。1枚は二見浦で、しめ縄を張った二つの大きい岩、その間から朝陽が顔を出している。足元に大きい波を足立てている様子が彫り出されている。長さ72p、幅は21pである。もう1枚は、羽を広げて飛ぶ鶴と松の木をあしらうもの。鶴の優雅な姿に目を惹きつけられる。(長さ73p、幅19p)

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