◆だんじりの姿
両端がはね上がり気味の唐破風、その上に横に長い鬼面の鬼板。頭上に鳥衾が長く突出している。破風下の懸魚は、だんじりの正面に鷹と瑞雲と老いた松を、後部は鳳凰に蔦を彫りつけている。懸魚の奥の梁の上には大瓶束(たいへいづか)はなく、瑞雲のような笈形状のものを置いている。
軒の下に二重繁垂木を用いる。また両側面の瑞雲の蟇股に白線が加えらていて目をひく。柱の上は一手先の組み物で屋根を受けている。車輪は内輪となっている。(4輪)
◆だんじりの歴史
たんじりを持たない当町内は、戦前は東隣りの三協へ男の子が引き子に出掛けていた。戦後になっても、秋祭りになると他町内のだんじりの姿を、羨望の眼で眺めて過ごす時代が続いた。
昭和62年(1987)に入ると、そうした地区民の永年の夢であった「だんじりの建造を」という声が、今までになく高まってきた。町内会役員会でもこの議が俎上に上り、地区民の要望を汲んで、いよいよだんじりの製作に踏み切ることになった。
棟梁は、児島上の町1丁目「難波建築工房」。田の口の奥だんじりの関係者によると、難波棟梁がたびたび訪れて、実地にだんじりを観察または調査して製作に役立てたという。作業は同工房で行われ、棟梁の手仕事で約半年ほど日数を要した。