熊山



標高 508m    難易度 ☆     登り74分(大滝山福生寺ルート) 下り54分  岡山県
倉敷からの距離    45Km        登頂日 2020/02/09    ガイドブック  F写真 山の音 動画

駐車場7:35−7:41フェンス7:44−7:58渓流別れ−8:07標識−8:10鉄塔#43−電波塔見ゆ−8:26合流−8:33油滝神社−8:40山頂駐車場−8:52山頂9:00−9:09山頂駐車場−9:14油滝神社−9:19分岐−9:30鉄塔#43−9:33標識−9:38渓流−9:49フェンス9:51−9:56駐車場

登山
 今日は熊山(くまやま508m)大滝山福生寺ルートを訪ねる

 登山支度をして出発する 0℃と肌寒く感じるがウインドウブレーカはリュックに入れる このルートを登るのは2010/12/08以来 10年振りである 駐車場に大滝山福生寺*1)と書いた案内板がある この機会に案内板を撮ってOCR変換 文字にしておこう 大滝山福生寺にも本堂*2) 経蔵*3) 大師堂*4)がある 境内を抜けて坂道を登って行くのだが 坂道にネットが設置されている あれ? 通れないのだろうかと戸惑っていると 坂の上から車が降りてきてネットを開けていた こうしておかないと猪に入られてしまう このまま開けておいていいです と走って行かれた ネットの脇には 獣被害防止のため、夜間は網を張っています・・・・と説明書きがあった ここにも大きな変化が見られた
 
 坂の右手にはナンテン*(*は実を意味する) マンリョウ*が赤い実を沢山つけていた 西法院の第一駐車場のすぐ脇の庭先のような所を登って行くと柵がある 柵を開閉して抜けて行く すぐに鉄塔巡視路の分岐標識がある No43の標識へ進む

 渓流の岩の中のルート 岩の上を歩き 渓流を渡り対岸のルートに進む ルートは渓流に沿っており渓流の音を聞きながら登って行く 落ち葉に埋もれたルートを行き、また渓流を渡る 今度は渓流を左手に見ながら登り 大きな岩を左に見て過ぎてから再度渡り返し 左手に登って行くルートを見つけそこを登って行く ここを過ぎればあとは一本道 樹林の中のルートとなる

 結構急な登りではあるがそう長くはない 右にカーブし傾斜がなだらかになり再度急な登りを行くと鉄塔No43に出る 視界が開け片上湾の眺望が得られるが逆光となり片上湾らしいものがわかる程度しか見えない

 鉄塔を過ぎると右手に熊山山頂に繋がる尾根筋が見え電波塔が見えて来る 軽いアップダウンを3度ほどこなすと香登ルートに合流する 狭いルートから広いルートに出る 出たところには、鉄塔巡視路No43の標識がある

 香登ルートは道幅が広い ヒサカキの花芽を見つけルートを行くと、数分で油滝神社の鳥居の所に出る 鳥居をくぐり石段を登って行くと 熊山油滝神社上の宮に出る お宮を見てルートを行くと登山道と合流する 更に数分登ると山頂駐車場に出る

 自動車道を右に進み NTT電波塔への取り付け道路を登り チェーンを跨ぎ、電波塔裏手の位置にある三角点に向かう 以前は、電波塔正面から県北の方角を望めたが、樹木が育ち眺望は得られない 柿の木がたわわに実を稔らせていた 鳥にやられていないのは渋柿なのだろうか?
 
 電波塔の脇から三角点に出る 周辺の木が切られたのか雰囲気が少し違った感じがした 周辺にはヤブツバキが咲き ソヨゴ*が赤い実をつけていた 三角点のところで記念写真を撮り 下山する

 下山は登ってきたルートを戻る 鉄塔No43からは片上湾ならびに小豆島を伺う事が出来た

 車のところまで戻り リュックを置いて三重塔*5)*6)を訪ねる 三重塔の周辺には消火銃など消火設備が設置されていた

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*1)大滝山福生寺
大滝山は、平安時代初期に管原道真によりて編纂された「類聚国史」の寺田他の項に法隆寺や唐招提寺等の中央の大寺院と並んで「天長五年六月(八二八)備前国墾田四町六反大滝の寺田となす」と記されており、史書に名を留める寺として県下でも最古の寺院の一つである。
 元録十四年(一七〇一)こに書かれた緑起書には「天平勝宝六年(七五四)に鑑真和尚により創建され、報恩大師が備前四十八か寺を整備するにあたりその一つに加えられた。後年真言宗に属し、寺観壮麗を極めたが、万寿元年(一〇二四)火災によリ一山ほとんど焼失し、その後観応年間(一三五〇)に足利尊氏の発願により再興され、僧院三十三坊を数えた」とある。明治までは十三坊が残っていた。
 現在寺域には、嘉吉元年(一四四一)足利義教の再建といわれる三重塔(国指定重要文化財)応永四年(一三九八)足利義満の建立とされる仁王門(市指定文化財)、天和二年(一六八二)藩主池田綱政が大願主となり再建し、本堂などを中心に大師堂、経蔵、鐘楼、実相院、西法院、福寿院がある。ちなみに、三重塔の本尊は大日如来であり、本堂の本尊に十一面千手観世音菩薩である。
 大滝山福生寺周辺から熊山にかけては、昭和四十八年十一月岡山県自然保護条例により「大滝山郷土自然保護地域」に指定されており、さらに大滝山福生寺一帯と伊部屏風岩付近は特則保護地区に指定されている。
 みんなで、建造物、史跡、自然環境などを大切にして、先人の残した文化遺産を後世に伝えましょう。
昭和六十二年三月 備前市教育委員会
 

*2)本堂
唐僧鑑真和尚の門基にして本尊十一面千手観世音菩薩、天和二年(昭和五十三年より二百九十五年前)国主池田綱政公願主となりて再建す。
昭和四十六年備前市重要文化財に指定される 御縁日、毎月十八日一山僧侶総出仕して御法楽祈願を捧ぐ。
 

*3)経蔵
寂應律師延享三年(昭和五十三年より二百三十一年前)の建立にて内部の輪転式八角形の書庫は全国稀有のものなり、一切経を所蔵する。
 

*4)大師堂
弘法大師奉安の堂にて、建立年号は本堂に同じ、毎月二十一日の御縁日には、一山僧侶総出仕して御法楽祈願を捧ぐ。
 

*5)国指定重要文化財(建造物)
大滝山三重塔 大正十五年四月十九日指定
 方三間本瓦葺の三重塔、鋳鉄製の相輪を立て、総高一九・七ニm(うち相輪高六・一二m)である。輪郭の柱は総円柱、軒先の反転が目立ち、軒の出を深くし二重繁(しげ)垂木(たるき)にしてある・和様の斗きょうを三手先に組み尾垂木を出し、四隅に青銅の風鐸を吊り、中備には形のよい蓑束を用いている。塔全体の姿に、室町時代の特微かよく出ている。
 元禄十四年(一七〇一)に書かれた縁起書には「鑑真和尚が大滝山を修業の道場とし、報恩大師が備前四八か寺を整備するにあたり、そのひとつに加えられ、後年真言宗に属した。その後、万寿元年(一〇二四)に全焼したが、観応年間(一三五〇−一三五二)に足利尊氏の発願により再興され、一時は、三三寺坊を数えた。」とある。
 この三重塔は足利義教が嘉吉元年(一四四一)に建立したものと伝えられている
 

*6)重要文化財
三重塔
嘉吉元年(昭和五十三年より五百三十七年前)足利義教将軍願主となり建立する。室町時代の代表的優秀なる建築物にて、大正十五年四月国宝に指定され昭和二十六年四月解体修理す 宝塔そのものが大日如来の尊形である。



アプローチ
 今日も明るくなりかけた頃倉敷を出発 車載温度2℃ 日曜日でもあり2号線の流れはスムーズ 東の空が朝焼けで色づいているのを楽しみながら車を走らす 信号待ちはあるものの渋滞はなく岡山バイパスを抜ける 吉井川を渡り 香登駅前の交差点を左折し新幹線をくぐる 突き当たりを右折し道なりに進み、大滝山福生寺の案内標識を左折し道なりに進む クレー射撃場を右に見てと書こうとしたが射撃場は閉鎖されたようで、それらしいものは見られなかった 山道を登ってゆく 数Km走ると右手に山門が見え、次いで大滝山福生寺に出る トイレの先の駐車場に駐車させて戴く トイレも駐車場の中に設置されていた 駐車場での車載温度0℃