熊山



標高 508m    難易度 ☆     登り99分(城山ルート) 下り60分(中尾鉄塔ルート)  岡山県
倉敷からの距離    42Km        登頂日 2025/01/13   ガイドブック  F写真 動画

駐車位置7:28−7:31城山池堰堤(登山口)−7:38鉄塔#16−7:42鉄塔#15−7:58鉄塔#14−8:05三角点−8:17城山8:20−8:31鉄塔#39−8:48鉄塔#208−9:00遊歩道−9:10展望台9:12−9:17遊歩道−9:27鉄塔#208−9:36分岐−9:48中尾岩9:57−9:58鉄塔#38−10:12分岐−10:18城山池堰堤−10:21駐車位置

登山
 今日は熊山(くまやま508m)を訪ねる

 登山支度をする 着ていたウインドウブレーカ―はそのまま 猪対策の鈴をセットし出発する 城山児童公園を左に見て舗装道路を行く 道路を登って行くと城山池の堰堤に出る 堰堤にも駐車可能だがまだ一台も駐車していない
 
 ここが城山ルート入口である 城山池登山口との記載がある 標識を見てルートに入る 鉄塔巡視路がルートになっており鉄塔番号を示す標識もある ルートはすぐに急な登りとなる 5,6分登るとルートは右にカーブする
 
 すぐに鉄塔#16に出、緩やかなアップダウンを行くと鉄塔#15に出る 正面から陽射しを受けまぶしい 鉄塔を潜り、少し下る いつものところにヒサカキの花芽 ソヨゴ*(*は実を示す)が顔を見せてくれる 山を左に巻くようにしてしばらく行き、また登りとなる 傾斜がきつくなり 流紋岩の岩肌を登って行く やがて鉄塔#14が見えてくる 振り返ると、登ってきた鉄塔ルートが 右に眼をやると朝の陽射しを受けた城山のピークが見える
 
 鉄塔#14に出る ここを左に曲がるようにして、城山へ向かう ネズ*が顔を見せる ソヨゴの木も幾つもあるのだが赤い実は見つからない ひとつピークを超えたところに三角点がある 三角点を過ぎ少し下ってから城山への登りにかかる
 
 ルートは急な登り、ルートを失ったかと周辺を見回し、テープナビを見つけ最後の急傾斜を抜ける 途中振り返ると、足元に見える樹林が美しい そして、城山の山頂台地に出る 台地を行くとケルンがある この辺りが山頂だろう 標識があった筈だが気づかなかった 身体が暖かくなってきたのでウインドウブレーカはリュックにしまう
 
 城山を後に、緩やかな尾根歩きを楽しむ 左手後方には下山ルートとして考えている中尾鉄塔ルートを伺う事が出来る ここではネジキ*を見つける そして鉄塔#39に出る
 
 鉄塔#39から50m程行くと、中尾鉄塔ルートと合流する 帰路はここから中尾鉄塔ルートへ降りる計画 分岐を右にとり熊山へ向かう 暫くは樹林帯の中のルート 緩やかな登り 景観は得られない やがて、右手が開け、向かいの尾根が見え、前方に鉄塔か見えてきて、鉄塔#208に出る
 
 ここで権現道コースと合流 ルートの幅が広くなる ゆるやかなアップダウンを行く ヒサカキ*が顔を見せてくれる 丸太の階段がありそれを登って行くと、遊歩道に出る 遊歩道を横断し、引き続き丸太の階段を登って行く ヤブツバキやヒメモチの木のところに出る ヤブツバキは花芽をつけていた そして熊山遺跡の裏手に出る 正面に回り遺跡を見る そこには説明板*1)が設置されている

 遺跡を後に 展望台へ向かう 朝の景観が広がる 陽射しがまぶしく薄っすらと山並みが伺える 光っているところは片上湾だろう 吉井川の川筋も見えるが遠景ははっきりしない 展望台の登り口に 熊山遺跡*2)と記したが設置されていた
 
 下山は登ってきたルートを鉄塔#208 そして鉄塔#39手前の分岐まで戻り そこから中尾鉄塔ルートへ降りる 分岐にはルート標識が設置されている 尾根を降りて行く 松の枝ぶりや前方に見える吉井川を見ながら降りて行く 鉄塔が見えてきて中尾岩に出る 今日もここで記念写真を撮る 中尾岩を過ぎると すぐに鉄塔#38(中尾鉄塔)に出る 鉄塔を潜り降りて行く 流紋岩の尾根が続き 城山池が見えてくる
 
 権現道ルートと合流し、城山池を右に見ておりて行く いつもの所にオオバヤシャブシ*を確認する 城山堰堤の城山ルート入口付近には6台駐車していた 朝確認出来なかったヤマハゼ*を確認し車のところに 車載温度は7℃を示していた
 
 ジオスポットを掲載している赤磐市jGnetのホームページにアクセスし情報を得る この記事で花崗岩と書いたものは流紋岩と呼んだ方が妥当のようで修正した(流紋岩は噴火したものが冷えて固まったもの 花崗岩は地下深部で長時間かかって固まったもの とAIの説明があった)

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
*1)国指定史跡 熊山遺跡 管理団体 岡山県赤磐市 指定年月日 昭和31年9月27日

 この遺跡は、熊山山頂(508メートル)に在って、全国に類をみない石積みの遺構である。ほぼ、方形の墓壇の上に、割石をもって三段に築城している。第一段は南面が狭く、北面が広い台形、第二段は、南面が広く、北面あ狭い台形になっている。第二段の四側面の中央に龕(がん)が設けてある。第三段は、方形であるが、中央部分に大石で竪穴の蓋がしてある。
 石積の中央には、竪穴の石室(約2メートル)が作られていて、その石室に陶製の筒形(五部分に分けられる)の容器(高さ1.6メートル)が収められていた。この陶製の筒の中に、三彩釉の小壺と文字が書かれた皮の巻き物が収められていた。と伝えられている。
 陶製の筒形容器と三彩釉の小壺からみて、本石積遺構の築成年代は,奈良時代前期で、三段の石積の仏塔と考えられる。
 また、熊山山塊には、現在大小32基の石積の跡が確認されている。国指定の石積遺構に類似しているが、築成の目的、年代、築成者などは異なるものと思われる。
 
*2)熊山遺跡
流紋岩(りゆうもんがん)の石積
 熊山遺跡は奈良時代の仏塔と考えられていて、昭和31年に国の史跡に指定されました。
積み重ねられている石は、ここ熊山から切り出された流紋岩質の溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)です。
 流紋岩とは、粘り気の強い、ドロドロしたマグマが地上へ噴き出して固まった火山岩のことです。
 流紋岩を作る火山は、今から約8000万年前に大量の火山灰を放出し、火砕流を発生させました。その火砕流が固まってできたものが遺跡に積まれた溶結凝灰岩です。
 熊山遺跡は、この地の歴史と信仰を知る手掛かりとなるだけでなく、かつてこの地に大規模な火山活動が起こったことも教えてくれます。(赤磐市・NPO法人jGnet)



アプローチ
 薄っすらと明るくなり始めた頃倉敷を出発 車載温度0℃ 2号線を岡山へ向かう 流れはスムーズ バイパスを抜け吉井川を渡る おさふねサービスエリアの建物はすっかり撤去され更地となっているのを左に見て抜けて行く 陸橋のある信号(香登駅前)で左折 NTN社宅裏手の墓地駐車場に置かせて頂く 駐車している車は無い 車載温度は1℃