護国神社7:37−7:40登山口−7:43クスの森−7:55分岐−8:00旗振台・旗振台古墳8:02−8:09三畳岩展望所−8:12沢田裏山古墳−8:15八畳岩古墳−8:21二股古墳−8:25分岐−8:39里山センター−8:50分岐(つばきの森)−8:56萩の塚古墳−9:01操山山頂−9:05展望所(操山小屋)9:07−9:23登山口−9:24駐車場
今日は岡山市の操山(みさおやま169m)を訪ねる 操山を訪ねるのは13年振りだ登山支度をする リュックを置いてゆこうか迷ったが背中にあると暖にもなるし スリップ時の防御にもなる やはり持って行こう 猪対策の鈴もセットして 低山とは言え 他の山と同様にして出発 護国神社を背に右の方へ向かう 自由の男神の像があり顕彰碑と説明碑*1)がある 今度は右手にソロモン諸島戦没者慰霊碑などがある 左手にはグラウンドが見える グラウンドの3塁側ベンチを過ぎた辺りの右手に登山口がある 入口はさほど目立たないが入ったところに 操山 自然休養林 大阪営林局 と書いた石碑とようこそ操山*2)へと書いた案内板がある
ルートは3本ある 一番右手のルートを行く ルートは幅広で良く整備されている 右手樹間に護国神社の建屋がちらちら見える 神社を取り巻くようにしたルートで、ほぼ平坦 クスの森と書いた標識があり クスの木が眼に入る 樹肌に特徴がある 分岐に出る 旗振台を目指す 前回ここを訪ねたのは2013/03/09でかれこれ13年になる 旗振台を目指した記憶はあるがどこを歩いたか記憶が怪しい 分岐には行き先案内があるのでそれに従い旗振台を目指す
前回の記録にはつばきの森を経由したようだ どうやら この分岐を左に登っていったのだろう 標識を見ると アルコール温度計がセットされている 近づいて見ると -2℃ 駐車場では0℃だったがちょっと低すぎる感じがしないでもない 歩ているせいか寒さを感じていない ルートは神社を回り込み登山口と対角するような位置から左にカーブして登りとなる 登って行くと数分で旗振台100mを示す標識のある分岐に出る 分岐を右に行き旗振台に出る旗振台には休憩舎があるがどなたもいない 太陽を正面にして瀬戸内海方面の景観が見える 俯瞰図も設置されており 八丈岩山などの山並みがシルエットのように見えているのがわかる 右の方に進むと旗振台古墳*3)がある 説明板の近くにイノシシ出没注意の標識があった
古墳を一覧しルートを戻り 八畳岩古墳の方へ向かう 今日も前回歩いたルートを行くつもり その後里山センターに降りて 操山に登り返す予定 標識に従い 曹源寺とか八畳岩古墳と書いてある方へ向かう アップダウンの少ないルート 朝のウオーキングの調子でぐんぐんと歩く 土の上 樹林に囲まれた中を歩くのは気持ちがいい 鉄塔があり そのすぐ先に三畳岩展望所30mと書いた標識があったのでそちらに寄る 旗振台と似たような(いくぶん東方向の視界が広がる)景観が見えるルートに戻り幅広のルートをっ行く ヒサカキが花芽をつけているのを見つける この山は樹木の背が高く、眼の高さに見えるものが少なく花や実をみつけにくい ルート左に沢田裏山古墳が顔を見せる 他の古墳のような説明板は無く 17号古墳 古墳後期 とだけ表示されていた また鉄塔がありそれを過ぎると 八畳岩古墳*4)に出る ここは人が多くいたように思い出されるが、今日はここでもどなたとも出会わない
写真を撮り、八畳岩古墳を後にルートを行く またまた鉄塔があり すぐに二股古墳70mと書いた標識があるのでそこに寄り二股古墳*5)を見る 古墳に入れるようだったが遠慮した 覗いて二股になっているところを確認すれば良かった 写真を撮ってすぐに後にする
ルートを行く 里山センター700mと書いた標識を見て 左に折れ尾根を降りてゆく 右手には竹林 ここで初めて男性の方とすれ違い 挨拶を交わす 5分程降りたところから簡易舗装になり里山センターが見えてくる おや ヤマハゼだ 眼のすぐ前に 今日の数少ない花や実の写真が1枚増えた
里山センターに向かう途中左手に沢田大池がある 池にはかもが数羽見られた 水面には一部ではあるが薄氷が見られた 里山センターには随分車が駐車している 宿泊設備でもあるのかとたまたま歩いてきた人に聞いてみたが いや無いとの事 ちらほらと作業している人も見られるが どのような方が来られているのか不思議だった センターの前には操山里山センター案内図*6)があった(宿泊の案内は無かった)
里山センターを後に操山へ向かう 舗装が切れ土のルートとなる 左手に国有林からのお願い*7)と書いた案内板が設置されている 木の上に書かれておりとても読む気にならない ひょっとしたらAIが読めるかもしれないと思い写真に撮る 写真をこうしてじっくり見れば読めた 驚いた事にAIミスなく解読した ちなみにいつも使っているOCRでやってみたが一字も解読出来なかったルートを登って行く ヤツデが特徴ある花芽をつけていた あそこにもと幾つか頭を出しているのが伺える 少し登ったところに 操山公園で見られる樹木*8)と書いた大きな標識があり アベマキなどの紹介が記載されていた ルート脇の木に名札をつけたものを幾つも目にする事が出来る
ルートを登ってゆくとつばきの森に出る 分岐を右にとり操山山頂を目指す 数分登ると分岐があり萩の塚古墳*9)に寄る 古墳の脇に萩の塚古墳命名の由来*10)と書いた説明があった この説明も光線の加減で判読しにくいところがあったがAIは推測したのだろう埋めてくれた
萩の塚古墳を見て操山山頂に向かう 平坦なルート やや盛り上がったところがある そこが操山の山頂らしい 三角点がある だが樹林に囲まれ眺望は得られない
すぐに山頂を後にする 護国寺へ向かう西の方角には、美しい樹林が伺える ルートを行くと カナメモチのトンネル道と書いた標識がある 操山の説明*2)の中に650mに及ぶ との紹介があった そんなにあったのかなと思うがなかなかいい雰囲気だ そのさきに展望所が見えてくる 操山小屋とも書いてあった 男性がお一人おられ挨拶を交わす 小屋の中を見ると箒目がついている 箒目がある! と驚いて声を出すと 男性の方が”そう毎朝来てやってくれる人がいる”とうかがう
そこからは岡山の市街地を伺う事が出来る ここにも温度計があり1℃を示していた お先にと声をかけ下山ルートを探す 岡山市街地を正面に見て左の方向へ降りて行く ルートには護国寺へと書いた札が何か所かあった この下りはこの山で一番傾斜がある 途中分岐がある どちらに行こうかと思っていたところにお年を重ねた男性の方が来られたので伺う その方は手にプラスチックの熊手を持っておられた 毎朝来られるという方だったかも知れない 熊手を何に使うのかな?とは思ったがそこまでは思いつかなかった ”この先滑りやすいから注意して” とも声をかけて頂いた
足元に留意しながら降りて行く 登りの時のルートに出 ルートを追って降りて行くと 護国神社参拝者駐車場のところに出た ここにも登り口があったのかと新たな発見 そして車のところに 車載温度は3℃だった
AIのテキスト抽出機能についてもう一つ追加しておきたい 二股古墳の案内図 よく見るとピンボケでとても読めそうもない それでも読んでくれた 驚いて、ピンボケも修正出来るのかとAIに聞いたが 流石まだそこまでは出来ない これまでの資料の流れで古墳の説明と理解が出来ており 古墳を説明する文言と ピンボケだがそこから得られる情報とを合わせて推測し出力したものだとの事 テキスト抽出には相当役に立ちそうだ それと 顕彰碑*1)の漢文 読み下し文と訳を書いてもらった これも助かる
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AIと創った詩は葉陰に眠るものたち
カナメモチの道に入ると
世界はひとつ音を減らし
葉のざわめきだけが
案内役になる
古墳の入口は
闇ではなく
静かな呼吸のようで
わたしを拒まない
遠くの東屋から
町の気配がかすかに届く
けれどこの道では
すべてが遠い昔のようだ
葉陰に眠るものたちは
語らず、求めず
ただ、そこに在り続け
わたしの歩みを見守っている
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*1)自由の男神
歩兵第五十四聯隊顕彰碑
題顕彰碑
拝跪岡山護國宮(はいきす おかやまごこくぐう)
幾千戦友幻胸中(いくせんのせんゆう むねのうちにまぼろしなり)
春天索敵険山北(しゅんてん てきをさくす けんざんのきた)
秋夜露営灘水東(しゅうや ろえいす だんすいのひがし)
想起異郷征路難(そうきす いきょう せいろのなん)
感銘自里和平躬(かんめいす きょうりより わへいのみにおよぶを)
建碑景仰忠良士(ひをたてて けいぎょうす ちゅうりょうのし)
萬世称揚義烈功(ばんせい しょうようす ぎれつのいさお)AIによる訳
題顕彰碑 拝跪岡山護國宮 (岡山の護國神社に跪き拝めば)
幾千戦友幻胸中 (幾千の戦友の姿が胸中に浮かぶ)
春天索敵険山北 (春の空の下、険しい山の北で敵を捜し)
秋夜露営灘水東 (秋の夜、大きな川の東で露営した)
想起異郷征路難 (異郷での征途の難渋を思い起こし)
感銘自里和平躬 (故郷で平和をこの身に受けられることに深く感銘する)
建碑景仰忠良士 (碑を建てて忠義な兵士たちを仰ぎ慕い)
萬世称揚義烈功 (その義烈な功績を永遠に称えよう)解説碑
「自由の男神像」は、岡山の郷土部隊が 中支・北支および南西太平洋方面で活 躍し、その際散華した二千余名の遺魂 を託したものである。 そして、平和への希求を万世に伝える ことを念願している。平成七年七月十四日 歩兵第五十四聯隊戦友会 (詳細は裏面板へ記した)
*2)ようこそ操山へ
自然休養林は、四季折々の自然美や森林浴を楽しんだり、植物や野鳥を観察していただくために国が設けた“いこいの森林”です。
この森林は、主にクス、ナナミノキ、カシ類など暖帯性の常緑広葉樹からなる天然林で、一部に植えたものもあります。
中でも約650mにおよぶカナメモチのトンネル道は、山火事の延焼を防ぐため昭和20年頃に植えられた防火帯で、すばらしい散策路となっています。 また、約700本からなるクスの森も、純林としては珍しい森林です。 その他ヤマモモ、ツバキ、サクラなどが各所に植えられ季節の花を咲かせます。
この操山は昔は岡山藩の藩林で、明治2年の版籍奉還で国有林となりました。 今も藩林の境界を示す“御林(おはやし)”の二字を刻んだ自然石が各所に残っています。 更に、萩の塚古墳を始め、多数の古墳や明禅寺城跡などの史跡もあり、岡山の自然、歴史、文化を知る上で貴重な森林で風致保安林にもなっています。
平成5年3月 岡山森林管理署*3)旗振台古墳
古代の瀬戸内海沿岸航路を前面に望む尾根頂部に築かれている方墳で、一辺27m、高さ4mを測り、墳丘には葺石を施して、形象埴輪や円墳埴輪を設置している。埋葬施設は、墳丘頂部の中央に尾根筋の方向に沿って、竪穴式石室とその両脇に粘土槨が設けてあり、石室から短甲・剣・刀・鉄鏃などが、両粘土槨から冑・短甲・剣・刀・鉄鏃・ガラス小玉・メノウ小玉・勾玉などが出土している。
築造時期は5世紀前半に推定される。この古墳は、中型規模の本格的な形状の方墳で、当時の吉備国の一部を治めた豪族の有力な構成員が葬られたと考えられる。*4)八畳岩古墳
操山山塊の主稜線上に築かれている横穴式石室墳の一つで、墳丘の大部分が流失しているが、本来は直径15m・高さ3m程の本格的な円墳であったと推定される。遺骸を葬った石室は左袖形で全長9mを測り、遺骸を安置した玄室が長さ5.5m・幅1.6m・高さ1.6mであり、中型規模といえる。築造時期は6世紀後半に推定され、山塊の北に住んでいた当時の有力者の家族墓と考えられる。石室の天井石に巨大な石材を使用しており、露出したその大きさが古墳の呼称となった。*5)二股古墳
山腹の谷側の小腹に小型の横穴式石室墳7基からなる小古墳群が築かれていて、古墳群の盟主であるこの古墳は、遺骸を安置する玄室が二股に別れていることから二股古墳と呼ばれている。墳丘は山寄せ造り(斜面への築造)で直径10m・高さ3m程の円墳であったと推定され、石室は左(主)室が長さ5m・幅1.2m・高さ1.7m、右(脇)室が長さ4.5m・幅1.2m・高さ1.3mを測る。
古墳群は築造時期が6世紀後半から7世紀初頭に推定され、当時の有力家族(大家族)の構成を反映するものとして注目されている。*6)操山里山センター案内図
開館時間: 8:30 − 17:00
休館日: 毎週 火曜日(祝日の場合はその翌日)
入館料: 無料(どうぞご自由にお入りください)
センターの機能
・操山のインフォメーション
・ふれあいスペースでの操山の展示
・自然に関する本を集めた情報コーナー
注意事項
・山火事防止のため公園敷地内では火を使わないでください。
・喫煙は指定された場所でお願いします。
・フェンスを越えて外へ出ないでください。危険箇所もあります。
・センターの施設・設備を大切に使ってください。
・センター周辺の樹木を傷つけないようにしてください。
・ゴミは各自でお持ち帰りください。
・マムシやスズメバチ等の危険な生きものに注意してください。
・その他係員の指示に従ってください。*7)国有林からのお願い
・ここは国有林です。動植物の保護にご協力ください。
・歩道、広場等の区域外への立ち入りはお控えください。
・悪天候のときは、入林をお控えください。
・ゴミの持帰りにご協力ください。
・タバコなどの火の始末にご協力ください。
・保安林内では、樹木の損傷、下草の採取等が禁止されています。
・樹木を損傷したり、林産物を持ち帰った場合は、法により罰せられます。
・立入制限の表示がある区域には、絶対には立ち入らないでください。
・休息などで、立ち止まる場合には、落下する枝がないか、落石の危険がないかなど、安全な場所であることを十分にご確認ください。
林野庁 岡山森林管理署 連絡先:050-3160-6135*8)操山公園で見られる樹木
この森は、かつての新炭林(しんたんりん)の面影をのこす雑木を中心に、常緑樹のアラカシやカナメモチなども混ざる林です。下には代表的な樹種をあげてみました。1. アベマキ(ブナ科)
クヌギに似ていますが、樹皮が著しいコルク質になります。葉の裏が白いことから、クヌギと区別できます。2. コナラ(ブナ科)
クヌギとともに、雑木林を代表する木です。材は、シイタケをつくる原木にすることで有名です。3. アラカシ(ブナ科)
枝葉が全体に荒っぽい感じがすることからついた名前です。実(ドングリ)は秋に熟して落ちます。4. クスノキ(クスノキ科)
寿命が長く、大木になる樹木のひとつです。虫よけの樟脳(しょうのう)をとる木として有名です。5. アカマツ(マツ科)
葉はやわらかく、枝の曲線が美しい木です。クロマツにくらべて女性的な感じがするので、メマツとも呼ばれます。6. ナナミノキ(モチノキ科)
雌株と雄株のある常緑樹です。初夏に淡紫色の小さな花がたくさん咲き、雌株には秋に赤い果実がつきます。7. カナメモチ(バラ科)
西日本では生垣として使われます。新芽が赤いことから、一名をアカメモチといいます。白色の花を咲かせます。8. シャシャンボ(ツツジ科)
関東南部より西に自生する、常緑低木です。ブルーベリーなどと同じ仲間で、秋に黒熟する実は食べられます。9. クロガネモチ(モチノキ科)
和名は、枝や葉が黒みがかった色をしていることからつきました。木の皮から、染料や鳥もちがつくられます。10. カクレミノ(ウコギ科)
浅く三つに裂けた幼葉の形が、蓑(みの)にそっくりなのでこの名前がつきました。暖地の日に自生します。*9)萩の塚古墳
操山山頂から東に延びた稜線の先端に築かれている円墳で、現状では小振りな墳丘であるが、本来は直径10m、高さ2.5m程の規模であったと推定される。遺骸を葬る施設は左袖形の横穴式石室で、全長8.2m・幅1.9m・高さ1.9mを測り、中型の石室では大振りの規模といえる。築造時期は6世紀後半に推定でき、操山北山麓に住んでいた当時の有力者の家族墓と考えられる。*10)萩の塚古墳命名の由来
萩の塚という名称は、現在公的な地図にも書かれるようになっていますが、もともとはこの古墳周辺に萩の花が多く咲いていたことから名付けられたものです。 命名者は聖人弁護士と言われた家本為一(1886−1972)です。
この萩の塚は戦前から早暁に茶会が開かれ、半世紀以上の間、市井人・文化人・為政者問わず参集した場です。 現在では文化財保護の観点から行われなくなりました。
薄っすらと明るくなってきた頃倉敷を出発 車載温度1℃ 倉敷川沿いを走り国道2号線にのり岡山へ向かう この時間帯でもかなりの車 信号待ち渋滞は無かったものののろのろ運転 岡山バイパスに乗っても幾らか改善された程度 でも次々とバイパスから降りてゆき 最後の旭川大橋に向かうころはまあまあの流れ 大橋を越えたところで降りる 県道45を右折して八丈岩山に向かった事はあるが 左折するのは久しぶり 殆どの車が左折をせずに直進するので間違ってしまったかなと心配するが 見覚えのあるところが見えてきてほっとする 市電と交差する門田屋敷の交差点を右折し県道28を西大寺方面に向かう 市電の終点を過ぎ坂を登ると、すぐに護国神社の鳥居が左手に見えてくる 鳥居を潜り神社前の広場に駐車させて戴く 車載温度0℃