広島から帰った次の日から、キムラはベレットを迎え入れる準備に追われた。
  まずは駐車場探しである。
「愛しのベレを雨ざらしにするわけにはいかん!」
  キムラは“屋根付き”という課題を自らにつきつけた。
  駐車場はベレットが羽根を休める安息の場、つまりベレットのためのスペースである。賃料が少々高額になろうとも“屋根付き”という条件において、キムラは決して妥協しなかった。
  不動産屋めぐりとロケハンをくりかえしおこなって、キムラはついに屋根付の月極駐車場を探し当てた。アスファルト舗装された駐車場をすっぽりと覆う屋根の大きさは、すなわちベレットに対するキムラの愛の大きさでもあった。
  車庫証明の段取りも全て自分でおこなった。広島のショップと連絡をとりあっての作業だった。
  仕事の合間をぬってのこうした手続きも、ベレットのためと思えば苦労とも思わなかった。
  夜になればベレットの写真を手に「もうすぐおれの……」とトロケ眼になるキムラ。往年のGTスタイルに思いを馳せつつ、どんなステッカーを貼ろうかと夢想にふけり、ついにはステッカーだけ先に手に入れ、どこに貼ろうかとまた夢想にふける、そんな夜を過ごした。
  幸せだった。
  思えばこの時期が、彼とベレットのいちばん幸せな関係だったのかもしれない。


  やがて2週間が過ぎ、いよいよ納車の朝がやってきた。
  ベレットを迎えにいくため、ぼくとキムラは再び山陽自動車道を広島へと向かった。
  前回と同じく、ミジェットでの寒風高速走行を敢行する我々。ぼくは好きこのんでやってるからつらくはないが(寒いのは寒い)、助手席でつきあわされるキムラにしてみればハタ迷惑な話である。
  激しく吹きつける寒風、そして時に猛烈な勢いで降り込んでくる雪に奥歯をガタガタ鳴らし、観光バスからのこれまた冷めきった視線にさらされつつ、しかしキムラは笑顔だった。
  なんせもうすぐベレットに会えるのだ。
  今日はベレットの納車日。
  彼とベレットのサラダ記念日である。
  ベレットのシートに座っている数時間後の自分の姿を想像しつつバラ色のLOVE光線を体中から放射し、キムラは極寒のオープン高速走行を笑顔(ただしややヒキツリ気味)でじっと耐えていた。
  愛の力は偉大なのだ。


  寒空の強行軍に3時間耐えたのち、我々は広島へ不時着した。
「さあベレットだベレットベレット!!」
  さっそくショップへ直行だ!  ヒキツリ笑顔の変態オープン野郎2人組(ぼくらのことね)を見て、出迎えたショップの人もややヒキツリ笑顔だ。
  果たしてベレットはショップの軒先にズジャーンと鎮座してキムラを待っていた(BGM “SAY YES /CHAGE & ASKA”) 。
「ベレットベレット早く早くンーモウー早く!!」
  激しく迫るキムラをショップの人はひとまずなだめ、契約に関するさまざまな確認をおこなったのち、ベレットを前に「このスイッチをこーするとあーなるからどーだ」とコクピットドリルをひと通り説明していった。
  しかしそんな説明などうわの空だった。
  ベレットのシートに腰を落ちつかせたキムラは、念願叶って恍惚状態である。

「ついに!  ついにベレットを手に入れたんだ!」

  今日という日にたどりつくまでの出来事が、キムラの脳裏を走馬燈のように駆けめぐった。
  憧れのベレット。
  夢にまでみたベレット。
  夜ごと星空にその姿を思い描きつづけてきたベレット。
  それがいま、こうして自分の目の前にたたずむさまに、キムラは言いしれぬ満足感と幸せをかみしめていた。
「おーし、香川まで凱旋じゃー!!」
  ショップの人に見送られつつ、アホ1号はミジェットに、アホ2号はベレットに乗り込んだ。目指すは200km彼方の香川県。ベレットとの処女走行にはうってつけのドライブだ。

  キュルルルヴォッウウガヴォオオオン!!

  すでに暖機運転を済ませていたG161W型エンジンに再び火を入れるキムラ。この瞬間から、ベレットとキムラのスウィートでメロウな生活がはじまった。
  しかし……。
  試練はいきなりやってきた。



  山陽自動車道に入るべく広島インターチェンジに入り、料金所からゆるやかなカーブを進むベレット。合流車線から本線に入ろうとアクセルを踏み込み、加速態勢に入ったそのとき──。

「ななななんじゃこりゃ!?」

  ズガガガガガガガガガガガガガガ。

  振動である。
  ベレットが振動していた。
  しかもスピードが上がるにつれ、振動は尋常でないまでに激しさを増していった。
  キムラは愕然とした。
  振動はボディを震わせ、ダッシュボードはビリビリと間断なく音を発している。ステアリングを握る手に、ペダルに添えた足に、そしてシートに預けた身体に、小刻みだが激しい振動が伝わってくる。
  B-17爆撃機もかくやという激しい振動に、「これはタダゴトではない」とキムラは恐怖した。
  ベレットの前方を走行していたぼくは、ベレットがなかなかスピードを上げてこないことをミラーで確認した。この日、2台でのランデブー走行に備えて、我々は簡易トランシーバーを用意していた。FM電波を利用し、それぞれの車のステレオで受信するものである。
  ベレットの挙動にいぶかしがるぼくのもとに、この“異常事態”がトランシーバーでまもなく伝えられた。
「……ットが……ごい……動……。すご……ガタガ……」
  途切れ途切れで飛び込んでくるキムラの声。被弾した爆撃機からのメーデー通信にも似たその悲痛な声は、すこし震えているような気がした。それは気のせいではなかった。本当に震えていたのだ。ベレットの振動に共鳴して……。
  事のあらましを確認したぼくは、路肩に停止するかどうかキムラに問い合わせた。
  トランシーバーが、しばらく沈黙した。
  普通ならアクセルをゆるめるだろう。高速走行中に尋常でない振動を起こすなんて、どう考えても異常事態にほかならない。
  しかしキムラは、もはや普通ではなかった。
  彼はベレットを愛していたのだ。
  愛とは信じること。

「ま、古い車だし」

  キムラはズガガガ振動に「あり」の判定を下した。
  愛の力は偉大だった。
  しかしその愛を試すかのように、キムラをさらなる恐怖が襲った。


  ミジェットとベレットによる草の根エンスー飛行隊は、山陽自動車道をひたすら東へ向かっていた。激しい振動による不測の事態に備えて、ベレットの後ろをミジェットが走るという編成だ。
  トンネルに入った時のことだった。
  あいかわらずの振動のさなか、キムラのヒザになにかが落ちてきた。
  軽いものだ。
  ヒザに当たった後、それは「チャリン」という金属音とともに床に落ちた。
「ん?  なんだ?」
  キムラはその物体を確かめようとするが、なんせトンネルの中だからよく見えない。しかも高速走行のまっ最中だからして、屈んで探すわけにもいかなかった。
  なにかが床に落ちた。
  それだけは確かだが、しかし何が落ちたのか、キムラに知る術はなかった。

「なにが落ちたんだろう……」

  キムラはだんだん不安になってきた。
  それが落ちる前と後でベレットに劇的な変化が起きたわけではない。振動はあいかわらず激しいが、ベレット自体は順調に走りつづけている。
  しかし正体がわからぬ不安ほどイヤなものはない。

「なんだろうなんだろうなんだろう!?」

  たまりかねたキムラは片手を伸ばしてジタバタと床を探った。
  指に触れた。
  拾い上げる。
  見る。
  ベレットのキーだ。


  

  え?


「どしぇえええええええっ!!」

  走行中に抜け落ちた物体、それはイグニッションキーだった!
  キムラ、ピーンチ!
  次の瞬間、キムラの脳裏にこんな図式がよぎった。

  キーが抜ける  →  ハンドルロックがかかる

  時速100km巡航中にはあまり考えたくない事態である。

「うわうわ、もうそれあわうわわあふ……」

  完全にパニックである。
  が、しかし。
  あわてふためくキムラをよそに、ベレットは何事もなかったように走りつづけていた。
  ハンドルロックがかかる気配もない。
「…………?」
  キムラは考えた。
  落ちついて考えれば、ロックがかからなくて当然だ。いくらキーが抜け落ちたとはいえ、イグニッションはオンのままなのである。ハンドルロックはオフのポジションでかかるもんだ。さらにいえば、30年も前の車にハンドルロックなどという装備がついてるはずもなかった。
  おそらくキーかキーシリンダーのどちらかが経年劣化でガバガバになってたのだろう。だからイグニッションをオフからオンに切り換えた時点でキーはその役目を終え、「もうあとは差し込んどくなり抜いて飾っとくなり好きにして……」と力なく落下したというわけである。

  キムラはキーを差し込んでみた。
  振動でまたすぐに落ちてきた。

  差し込む。
  ズガガガ。
  チャリーン。

  差し込む。
  ズガガガ。
  チャリーン。

  差し込む。
  ズガガガ。
  チャリーン。

「…………」

  3回試してキムラはあきらめた。
  キーがないまま、ものすごい振動とともに走りつづけるベレットの運転席で、キムラはしみじみと考えた。
「これがエンスーってやつ……?」


  休憩に入ったサービスエリアの駐車場で、ベレットはまたもや我々をおののかせた。
  エンジンがかからなかった。
「どは……エンジンがあふぁわわ……」
  再びパニックになるキムラだったが、10分ほどほうっておくと何事もなかったように始動した。首をひねりながらも「とりあえず動いてるうちに帰るべし」という結論に達し、我々は先を急いだ。
  夕暮れの頃、キムラとベレット、そしてワタクシとミジェットというエンスー漫才カルテットは瀬戸大橋を渡った。
  右手に輝く夕映えの海を眺めながら、キムラは上機嫌だった。
  ベレットはひとまず順調に走行を続けている。振動はやまないし、キーは抜けっぱなしではあったが、そんなことはキムラにとってもはやとるに足らないものだった。広島からの200kmに及ぶ帰投が終わりに近づくにつれ、キムラの心は再び軽やかに躍りはじめていたのだ。
  高速道路を降りた我々は、そのままショップ(ミジェットを買ったほうの)に向かった。ショップの社長にベレット購入を報告するためだ。今後ベレットのメンテ(というか修理)はこのショップにお願いするつもりだった。

  がおーん!!  がおがお!!

  けたたましいエグゾーストノートを撒き散らしながら駐車場に入ってくるベレットを見て、社長は一瞬だが「ああ、なんてものを買っちまったんだ」という顔になった。
「いやー、買ってしまいましたよハッハッハッハッハ」
  うれしくてたまらないキムラは、自慢のG161W型エンジンを社長に見せるべくボンネットをガバチョと開け放った。
  ヒョイとエンジンルームをのぞきこんだ社長の眉間に、たちまちシワが寄った。

「あれ?  なんでこんなモンがついてんだ?」

  キムラの背中を冷たい汗が流れ落ちた。

「ななななにがついてるんですかかかあわわ?」
  本日4度目となる動揺モードに突入するキムラ。納車されたばっかりのベレットに、早くもプロのチェックが入ってしまったのだ。
  ふーむ、という顔つきでエンジンルームをのぞきこんでいた社長はキムラのほうへクルリときびすを返すや、こう言い放った。

「バッテリーが軽四のヤツっすよ」

  ガーン!!

「しかもかなりヘタってますね」

  ガーンガーン!!

「これじゃ電気足りないっスね」

  ガーンガーンガーン!!!

「エンジンちゃんとかかりました?」

  かかりませんでした!  ガーン!!!!

  たしかにそのとおりだった。プラグコードはBOSCHのエエ感じのヤツを使ってるのに、肝心のバッテリーというと、どう考えてもふた回りぐらい小さい軽四サイズのものが収まっている。試しにエンジンをかけようとしたが、案の定ウンともスンともいわない。
  寒い話だ。
  キムラはその場にシナシナと崩れ落ちた。
  さっそく軽四のバッテリーは取り去られ、代わりにBOSCHのバッテリーが鎮座することとなった。ほかの店で買った以上、さすがに保証などあるはずもなく、キムラの財布からはたちまち札束が飛び去っていった。
  高速走行時の謎の振動。
  走行中に抜け落ちるキー。
  ここまではまあ笑って許せたキムラであったが、さすがにバッテリーの件についてはガックリと肩を落とすしかなかった。見かねて「おれのミジェットも買って3日目でバッテリーあがったから」と慰めの言葉をかけてやったが、キムラはただ小さくため息をつくばかりであった。


  その夜、かねてから用意していた駐車場へとベレットを導くキムラ。
  センターコンソールに置いていたキーを取り上げ、それを差し込み、エンジンをオフにする。
  途端に静寂がキムラが包み込んだ。
  昔ながらの住宅地と田んぼに囲まれた月極駐車場は、夜の早い時間だというのにあっけないほど静まりかえっている。
「はぁ……」
  キムラは疲れていた。
  納車当日の度重なる試練を思い起こしては、「これがエンスーなのか?」と首をうなだれるしかなかった。

  チリチリ、とマフラーが熱を放射する音が聞こえてくる。
  常夜灯の明かりに、黒一色のスパルタンなダッシュボードが直線的に縁取られ、奥行きのあるメーターナセルの影が浮かび上がっていた。

「なかなかどうして厳しいぜエンスー道……」
  行く末にかすかな不安をおぼえながら、それでもやはりキムラは、これからはじまるベレットとの生活に胸を躍らせずにはいられなかった。
「今日からよろしくな」
  大径のウッドステアリングを手の中でつるりと滑らせ、ベレットを手に入れた喜びをキムラはあらためてかみしめた。

  しかし。
  この日の出来事はまだ序の口だったのだと、キムラはまもなく思い知ることになる。



  1週間後の日曜日。
  いつもより早起きしたキムラは、バタバタと着替えを済ませるや、ドタドタと駐車場へ走った。
  この1週間、仕事が忙しくてぜんぜんベレットに乗れなかった。
  あいつに乗りたいという欲望を押し殺して仕事に忙殺された、長い6日間だった。
  キムラは、朝っぱらから欲望噴火寸前だったのである。
  あの角を曲がれば……あの角を曲がれば……。
  息を切らして走るキムラの視界に、オレンジ色のボディが飛び込んできた。
「うおおおお会いたかったぜベレットォォォォッ!!」
  勢いよく月極駐車場に飛び込んだキムラ。
  彼がそこで見たものは、アスファルトに黒々としみついたオイル漏れの跡だった。


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