草の根ハシラ

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10.23.wed 

 いやはや、光陰矢の如し……。エンスー日記vol.09の公開から3カ月も経ってるじゃーありませんか! このコーナーも12日ぶりの更新……。そろそろvol.10を更新しないといけないとは思いつつ、実際のところ仕事その他もろもろで身動きがとれない状態が続いてます。もうこの際だから開き直っちゃいますけど、vol.10、しばらく更新は無理っぽいです。そう、たぶん11月か12月になりそうな予感……。なんてこと言ってるうちに「ああ師走だ忙しい忙しい」なんてバタバタしてるうちに年が明け……いやいや、それだけはなんとか避けよう。とにもかくにも更新遅滞、すみません。

 いやはやしかし、光陰矢の如し……。10月も後半に突入して以来、かなり冷えてくるようになってきた。朝晩のオープンドライブはもうすでに「寒い」の域に達してるし、夏場はフニャフニャだった幌がギシギシと硬い。もちろんヒーターバルブはとっくにオンへ切り替わっている。あ〜、オープンカーに絶好の季節って、ほんと短いものなんだね……。とはいいつつ、じつはオープンカーが本領を発揮するのは冬だと思っているぼくとしては、これからが本当のオープンカーシーズン。がっちり着込んで寒風突いて、伊達と根性の権化と化しつつ走る季節が、もうそこまでやってきているのだ。とりあえずカゼひかないようにしないとね……。

 やばいことにユーノス・ロードスターが無性に欲しい今日この頃。ミジェットある身でありながら、どうにも欲しくてたまらないのだ。10年前、23歳の若き美少年だったぼく(一部誇張あり)が心を奪われた車、それがロードスター。あのとき以来、ぼくの心の中にはいつもどこかにロードスターが「うふふ……」と微笑んでいる。もちろんぼくにとってはミジェットが「おまえだけだよ」な存在なわけだけど、それとは別に、なにかこう、永遠の思い出というか憧れというかプラトニックな恋というか……(なに言ってんだろね)、まあとにかくそういう存在なのである。そんな胸に秘めたる思いに、ここ最近どうもポッと小さな火がついてしまったようなのだ。
 ロードスター。ああ、いま財布に50万ぐらい入ってたら速攻で買いにいくのに……。いやほんとに。だって、なんだかんだ言っても古い車になってしまったしね。ぼくが欲しいのは初代、しかも1,600ccの後期型で色はシルバーもしくはグリーン(Vスペ)とかなり絞り込まれてるのだけど、それってもう10年前の車になってしまうのだ。この年式のロードスターだとそろそろ10万kmを迎えている個体が多くなってきていて、程度的に「上」を望むのはかなり厳しくなってきている。そしてその程度というのは、これから時が経つにつれてどんどん悪くなっていく一方。だったらいまのうちに程度のいい個体をおさえておくほうがいいのでは……なんてことをチラチラと考えてしまうのである。
 初代1,600ccの後期型、シルバーかグリーンのVスペシャル。できれば完全どノーマル仕様(鉄チンホイール歓迎)で、できれば走行5万kmぐらい。慣らし運転でエンジンとギアを丹念に立ち上げたやつで、できれば2速ギアへのエンゲージが固くなってないやつで、日頃の整備をきっちりやってきたやつで、できれば30万ぐらい……ってないよなあ、そんな売り物。あったらほんとに買ってしまいそうだから、いまはまだぼくの前に現れないでおいてね……。ミジェットもいるし。


10.11.fri 

 『海辺のカフカ』を読んでから、しばらく眠っていた読書欲がにわかにうずきだしてきた。うーむ、なんてったって、いまは読書の秋。これはぼくに「本を読め」と言ってるのだ。エンスー日記vol.10はまだ書きかけでほっぽりだしたままだけど、ええい、いまは書くより読む時期なのだ! とにかくそういうことなのだ! なにやらひとり鼻息を荒くしつつ、さっそく仕事帰りに書店へ。背表紙がぎっしりと並ぶ文庫コーナーを端から順に眺めていくぼくの目が、ふと止まった。その1冊を引き抜いて、あらすじに目を通してみる。テーマとしては、まんざらでもなさそうだ。いままで読んだことのない作家(というかその作家の名前を知ったのも初めて)なので不安はあったけど、「目に止まったのもなにかの縁。きっとおもしろいにちがいない」とあまり深く考えずにその小説を買った。
 そして今日。昼休みにわくわくしながら読みはじめたところ──。
「うーむ」
 ものの3〜4ページも読まないうちに、どうも怪しい雰囲気になってきた。いやいや、もうちょっと読んでいけばもっとなにかこう、心に響いてくるものがあるにちがいない、そう言い聞かせてページをめくっていくものの、気がつけば行を斜め読みしている。そしてどうやら物語の最初の山場らしきシーンがひと区切りついたところで、パタンと本を閉じた。
 できそこないのトレンディドラマでアイドルが棒読み演技しているのをそのまま文字に書き起こしたような内容ペラペラの小説だった。うーん、まだ物語の10分の1ぐらいしか読んでないんだけど、いまここで「〜だった」と締めくくってしまうあたり、「この先読みすすんでいく気なんかないもんね」というぼくの気持ちが如実に表れている。
 プロフィールに目を通すと、著者は劇団員、放送作家、フリーライターを経て小説やエッセイを書くようになったらしい。そういえばその小説、構成がどこか台本チックだし、舞台の台詞回しを思わせる表現があるような気がする(プロフィールを知ったあとだから、なおさらそう思えるのかもしれない)。納得したような、しないような思いで、ひとまずその本はバッグの奥深くにしまいこまれた。とりあえずブックオフで200円(税別)で買ったというのが唯一の救いか(定価で買ってたらちょっと暴れたかも)。
 うーむ、いやしかし「これぞ!」とヒザを叩く本に出会う確率ってやっぱりすごく低いんだなとつくづく思い知りつつ、またぞろ書店へと足が向かう秋の夜だったりしたりなんかしちゃったりして(広川太一郎風に)。


10.10.thu 

 ほとんど同じタイミングで、ふたりの人から『海辺のカフカ』という本をすすめられた。村上春樹の最新長編小説だ。本屋に行くと、平積みの台に「どさっ」といった様子でその本が大量に積まれていた。しかもどうやら、それでもかなり売れてしまったあとらしい。『海辺のカフカ』は上・下巻にわかれていて、それぞれ1,600円(税別)と記されている。2冊いちどに買えば3,200円(税別)。「高い」と正直思った。
 ぼくはこれまで村上春樹が書いた本をまともに読んだことがなかった。大昔、たぶん7〜8年ぐらい前に文庫本で何かを読んだ記憶があるぐらいだ。その本はたぶん書棚を探せば出てくるんだろうけど、その本がどんなタイトルでどんな内容だったかおぼえてないし、そもそも最後まで読んだかどうかもあやふやだ。きっとその頃のぼくの心には何も響かなかったんだろう。そんなことがあったから、書店で村上春樹の著作を見かけても、手にとることさえなかった。村上春樹はぼくの中で「あわない作家」の烙印を押されてしまったわけだ。
 そんなわけだから、大量に平積みされた『海辺のカフカ』の前で、ぼくはしばらく迷った。おもしろいんだろうか? 文庫本さえ読破できたかどうか怪しいのに、上・下巻にわかれた長編小説なんか読み通せるんだろうか? なんにしても1冊1,600円(税別)というのは危険な投資のような気がするし、ブックオフに中古本が出てからでも遅くはないかもしれない。
 迷いに迷い、新刊コーナーと雑誌コーナーを2往復してから、結局ぼくは上巻だけをレジに持っていった。ふたりの人からほぼ同時にすすめられたということは、きっと何かの縁があるにちがいない。ひとまず上巻だけ読んで、それでおもしろければ下巻を買って読もう。なにより、この物語の舞台が四国・香川県の高松市で、そこにロードスターが登場しているということに興味をひかれた。かつて住んでいた町と、かつて運転したことがある車。好きな町と、好きな車。本を読もうと思うきっかけなんて、そんなものかもしれない。これが土曜の夜のことだ。

 結果から言うと、ぼくは火曜の夜には下巻を買っていた。そして木曜の昼休みにすべて読み終えた。
 「感想は?」と聞かれたなら、「たぶんおもしろかった」かな? 上下2巻、都合800ページ以上の物語を飽きることなく読ませたぐらいだから、きっとおもしろかったんだと思う。抽象的でとらえどころのない展開だったらどうしよう、と心配してたけど、一筋の流れはたしかにあったし、おりにふれて現れる比喩的あるいは抽象的、内省的なくだりも、それほど難解とは思えず、わりと素直に読み進むことができた。村上春樹の他の作品を知らないから、いま自分が読んでいるのがいわゆる村上春樹ワールドなのかどうか、その色合いが濃い作品なのか、薄い作品なのか、らしいのか、らしくないのか、そんなことはぜんぜんわからなかった。でもだからこそ、ページをめくっていくことだけに集中できたのかもしれない。
 高松が舞台ではあったけど登場する場所のほとんどは架空だし、ロードスターも「マツダ・ロードスター」と書かれていたからパカパカライトの初代じゃなくてガッカリではあったけど、すくなくとも物語を読むうえでそれはさしたる問題にはならなかった。読後にはそこはかとなくほろ苦い爽快感みたいものもあって、「ああ、これはけっこうよかったかも」とさえ思えた。
 ただ、すべてをすんなりと受け入れることができたわけじゃなく、いくつか引っかかるものが残ったのも事実。だから感想にも「たぶん」なんていう、あいまいな言葉がくっついてしまう。いまひとつ腑に落ちない部分、それがなんであるか確かめるために、とりあえずもう一度最初から読もうかと思う。2度読みして、はじめてすべての流れが一致するのかもしれないし。


10.8.tue 

 遅ればせながら『ビューティフル・マインド』を観た。2001年度アカデミー賞で作品賞、監督賞など主要部門でオスカーを手にした作品だ。「天才数学者が精神を病みながらも真理を追究しつづけ、最後はノーベル賞を得る」という、ありがちといえばありがちなストーリーだけど、ありがちじゃないのはこれが実話に基づいている物語だということ。登場するジョン・ナッシュなる数学者も、その妻アリシアも実在する人で、実際に1994年のノーベル賞を手にしている。
 「天才と狂気は紙一重」とよくいわれるけど、この『ビューティフル・マインド』を観るとまさしくそうなんだな、と思わせるところがある。主人公のジョンは数学に対して天才的なひらめきをもっていて、もちろんそのひらめきを開花させるだけの努力を惜しまない、真の“天才”数学者だ。実際のジョン・ナッシュ氏もそのとおりの人らしく、21歳の若さで「非協力ゲーム理論」をまとめあげ、150年ものあいだ数学・哲学・経済学の世界を支えていたマルクス経済学を覆す驚異的な理論として世の賞賛を得たらしい。この「非協力ゲーム理論」を打ち立てるきっかけとなるエピソードは映画の中にも紹介されている。この部分はNHKドキュメンタリーも思わずうなってしまうぐらいの巧みな映像で展開されていて、経済音痴なぼくにも「なるほど」とうなずかせるぐらいの説得力がある。天才のひらめきとはこういうところからも生まれるんだな、とうなってしまった(実際のきっかけと同じかどうかは知らないけど)。
 映画の前半は、主にジョンの“天才”の部分が語られるのだけど、中盤からは“狂気”の影が物語のうえに暗くのしかかってくる。その“狂気”とはなにか。それはネタバレにもなるのでここでは伏せておこう。ただひとつ言えるのは、その“狂気”はとても痛ましいものだということ。天賦の才能と努力の果てにあるもの、それが“狂気”だという運命はあまりにつらい。
 というわけで決して明るいテーマではない『ビューティフル・マインド』。しかし観終わったあとには、なにかこう、清々しささえ感じられるポジティブな印象だけが残った。このあたり、けれん味を抑えて描くべきところはどっしりと描くロン・ハワード監督の手腕なのかもしれない。「この監督の作品にハズレはない」というぼくのなかのひとつの基準が、この映画でまた確かなものになった。アカデミー賞に輝いたという事実、それはそれでおいとくとして、少なくとも良作だと断言できる。
 もうひとつ、この映画で印象的だったのが、ジョンの妻アリシア役のジェニファー・コネリー。80年代に一世を風靡したアイドル女優(少なくとも映画業界はそう扱っていた)の彼女、1990年代は引退しちゃったのかと思うぐらい影が薄かったけど、この映画で見事にカムバックを果たしている。それもアイドルではなく、自分の足でしっかりと立つ女優・女性として。ずいぶん年をとったなあ、と思いながら観てたけど、調べてみればまだ32歳! 生まれでいえばぼくより年下だということを知ってびっくりだ。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』で踊っていた彼女は14歳で、『ラビリンス-魔王の迷宮-』でデビット・ボウイと共演していた彼女は16歳だったんだなあ……。ちなみにジェニファー・コネリーは、この『ビューティフル・マインド』で助演女優賞に輝いている。なにはともあれ、よかったねー。

 『ビューティフル・マインド』を観終わったあと、テレビのニュースが「日本人がノーベル物理学賞に輝いた」と伝えていた。日本人としては11人目の受賞者。パッと見はフツーのじいさんみたいだけど、ニュートリノ天文学を切り開き、素粒子理論に多大な影響を与えたという。しかしジョン・ナッシュ氏の非協力ゲーム理論といい、今回の小柴氏のニュートリノといい、たぶん一般の人にとってはまったく縁のない世界の話でしかない。仮に自分の生活にどこかで影響しているとしても、それを実感することはまずないはずだ。ごく普通に暮らしていて「ああ、こうして自分が○×できるのも、ジョン・ナッシュが非協力ゲーム理論を打ち立てたからなんだなあ。ありがとう」と思うことって、まずない。でも彼らの考えていること、やっていることは世界のどこかの部分で必ず役立っているはず。世間一般に感謝されなくとも、ノーベル賞でももらわないかぎり世界に認知されることがなくても、それを地道にコツコツと研究している彼らというのは、やっぱり尊敬に値する人たちなんだろうなあ。ぼくもごくフツーの人なので、「ありがたい」とか「すごい」と実感することはまずないんだけどね。


10.1.tue 

 今日のぼくを一言で表現するなら



 ハ、ハラが痛い



 お昼に食べたフィッシュフライパンが怪しいと思う、絶対。




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