草の根ハシラ

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2.12.wed 

 掲示板に書いたミジェットの値段の件で古い CAR GRAPHIC のミジェットの記事を読み返していたら、記事の最後に「イギリスの自動車雑誌に載っているMGミジェットの素晴らしい広告コピー」というものが掲載されていた。それを以下に記してみよう。(注:句読点と漢字の表記を一部ぼく好みに変えてみた)


 いつの日にか君は、
 美しく聡明な女性と、気のきいた家と、
 常識的なファミリーサルーンを手に入れて、
 すっかり落ち着いてしまうかもしれない。
 そう、いつの日にか。
 けれどもいまは、髪の乱れを気にせず、
 フードを降ろして、スロットルを強く踏み込みたまえ。
 誰も君をスローダウンさせることなんかできやしない。
 顔いっぱいに陽光を浴び、耳もとを過ぎ去る風の音を感じるのだ。
 カントリーロードにギアボックスの唸りを響かせながら。
 そう、こいつは2シーター。
 まさか大型バスが必要だなんて思っちゃいまい?
 いまは楽しめばいいのだ。
 スポーツカーとともにある君の日々は、永遠に終わりはしない。



 オープン2シーターを駆るすべての人に捧げたい言葉だ。


2.11.tue 

 ひっさびさの休日! 本能のおもむくままに午後2時起床という自堕落な建国記念日だった。

 「フレッシュモーニング岡山を“フレモニ”と略すのやめろ」と書いて何日か後、いつものように通勤途中で聴いてたら「FM岡山ではただいま番組モニター募集中でごわす」との告知。
『モニターへのお申し込みはメールでお願いいたします。アドレスはモニターということで“モニ、アットマーク──”』

 そんなに“モニ”って言葉使いたいんか!


 『マイノリティ・リポート』を観てて、「はて、50年後の世界ってどうなってるんだろう?」と思った(映画は2054年が舞台)。50年後というと中途半端な未来だ。そんなに遠い先でもないし、かといって近い将来でもない。このまま何事もなく天寿を全うすれば、かろうじてまだぼくが生きているはずの世界だから、できるものならこの目でしかと見届けたいような気がする。
 ところで今から50年前の世界はどうだったんだろう、とちょっと考えてみる。50年前というと1953年、昭和28年だ。いま現在にあって、その頃になかったものといえば……。

 携帯電話、インターネット、Eメール、パソコン、自動ドア、デジタル時計、液晶、太陽電池、壁掛けテレビ、ビデオデッキ、DVD、CD、MD、ウォークマン、リモコン、炊飯ジャー、電子レンジ、全自動皿洗い機、ファックス、コピー機、カーナビ、ハイブリッドカー、駅前の巨大画面、新幹線、自動改札、自動販売機、整髪ムース、電動歯ブラシ、ドアホン、ウォシュレット、エアコン、セニアカー、テレビショッピング、使い捨てコンタクト、飛行機の自動操縦、スペースシャトル、ステルス戦闘機、100円ライター、高速道路、新交通システム(モノレールの類)、翼船、瀬戸大橋、青函トンネル、コンコルド、リニア技術、コンビニ、CG、クレジットカード、テレビゲーム、カラオケ、電動アシスト自転車、インスタントラーメン、銀行のATM、デジカメ、UFOキャッチャー、ゲームセンター、ジェットコースター、ディズニーランド、マクドナルド、ケーブルテレビ、衛星放送、スノーボード、紙おむつ、個人情報の管理、テレビ中継される戦争──

 挙げればまだまだキリがないけど、たかが50年ぐらいで物質的な面でみてもかなりの変化があるもんだ。これにソフト的なものまで加えたら、50年前の世界と現在の世界、変わってないようでかなり変わっているんだろう。たとえばいま自分がいる場所の風景、50年前は……と想像しただけでも、その変わりようは大きいと実感できるってもの。50年前の人が現代に迷い込んだら、やっぱりそうとうビックリするんだろうなあ。

 その一方で、それほど変わってないものもある。ハードなものでいえば自動車。あいもかわらずガソリンで動いてるし、エンジンの構造もおなじ。タイヤが4つあって、それを動かすのは円いステアリング。ドアは手動開閉だし、足元には2つ、あるいは3つのペダルが並んでるし、サスペンションはダンパーとバネの組み合わせでできている。50年前の人が現代に迷い込んだとして、携帯電話にびっくりしたりインターネットにおののいたりしても、自動車はなんなく運転できるはずだ。スタイリングだって多少洗練されたもの(というかその時代に即したもの)になってるけど、基本的には同一線上のもので、ミニバンタイプが主流になっているのがせいぜいの変化。変わったといえば、エアコンがついて、窓が電動で上下して、ステアリングがパワーアシストになって、エアバッグがついて……といった補助的な装置ぐらい。自動車の世界に大きなブレイクスルーが訪れる時、それはエンジンが内燃機関から完全にシフトするか、基本操作が全自動になるか、あるいはタイヤがなくなるか……。近未来カーの定番の姿が現実のものになる時なんだろうな、きっと。
 でもオープンカーは50年後にもあるはず。これまで100年以上にわたる歴史でオープンカーはいつの時代にも生き残りつづけてきたし、そもそも自動車って生まれたときからしてオープンカーだったし。


2.4.tue 

 日曜日にやっとこさ「マイノリティ・リポート」を観た。仕事(泣)が終わってから最終上映に駆け込んでの鑑賞だ。これまで幾度となく「満席」に泣かされてきたのに、日曜の最終上映ということもあってかガ〜ラガラ。20人もいない。あの混みようは何だったんだ?(まあすでに2ヶ月以上ロードショーしてるから空いてても不思議じゃないけど)
 ともかくやっと観ることができた「マイノリティ・リポート」。率直な感想は「まあまあ」といったところ。とにかく大画面で観ておかねばという強迫観念からずっと劇場で観るチャンスをうかがってきたけど、内容自体にはそれほど期待してなかったから、むしろ「けっこうおもしろかった」というお得な気分にさせられた。少なくとも劇場で観た甲斐はあったと思う。ストーリー的にはSFというよりもサスペンス(謎解き)の要素が強く、そこに飽きない程度にアクションが盛り込まれていて、2時間半はわりとあっという間だった。
 こういう近未来映画って、「こうなるかもしれない」と思わせるだけの説得力のある未来社会を描けるか否かで、その魅力は大きく変わるものだ。そういう点で、I.L.M.が描き出した2054年の世界はわりと成功だと思う。街中いたる所で勝手におこなわれる網膜スキャンと、それによる個人管理社会、あふれかえる立体動画の広告、空飛ぶ警官、両手の動作がインターフェイスのコンピュータ、クリスタルディスクに保存されたホログラム映像、仮想現実を売るショップ、水平垂直縦横無尽に移動して住宅とリンクした新交通システム……。どれも目新しい発想ではなく、むしろこれまでの近未来映画の常套手段ともいえる演出(フィリップ・K・ディックっぽいとも言う)ばかりだけど、最新のVFXを駆使したそれらは「50年後はもしかしたらこうなのかも」という説得力がそこはかとなくあって、絵的にすんなり受け入れることができた。フィルム・ノワールばりに青みがかってザラついた画面もいい雰囲気。「明るい“ブレードランナー”」って感じかな。
 それにしても劇中に出てくる街角の広告は、実現するとかなりうっとうしいだろうな。なんせ街角を歩いてたら網膜を勝手にスキャンして、広告が自分だけに突然呼びかけてくるのだ。
「やあKAZさん、ミジェットの調子どう? 新型MG出ましたよ。一台いっとく?」
 みたいに。
 だー! よけいなお世話じゃ!

 「岡山弁には鼻濁音がない」という話を聞いた。鼻濁音っていうのはアレですね、言葉の中に出てくる「が・ぎ・ぐ・げ・ご」の発音が鼻に抜けるやつ。ぼくもいまいちよくわかっておらず、その話をきいた人(椎葉戯文堂の椎葉たけしさん)の“実演”で「ああ、それかー」とようやく理解できたぐらいだから、文字で表現するのはちと難しい。誤解を恐れずに書けば「が」の音を「がっ」と切れ味鋭く発音するのではなく「んが」みたいにちょっと東北弁っぽくなるって感じだろうか。その鼻濁音が岡山弁にはなく、関東の人は逆に鼻濁音になる、ということで、たとえば「昨日観た映画」と無意識に言うと「えいが」の「が」をぼくは「が」とはっきり発音している。決して「えいんが」とは言わない。うーん、「えいんが」って表現、なんかちがうなあ。あ、こういうのはどうだろう。
「慣れない人がわざと鼻濁音にすると水前寺清子もしくは美空ひばりっぽくなってしまう発音」
 ますますわかんないか。




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