4日目
03年4月18日(金) 晴

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   12番 焼山寺 〜 建治寺


焼山寺宿坊7:20出発細く急なへんろ道をしばらく下ると杖杉庵、去年自転車で来た時は通過したので今回はお詫びを兼ねゆっくりとお参りをした。
それからまた細い細いへんろ道に入り杉の林の中を上へ上へと行く 、急な岩場や小さな滝の音を聞きながら・・・六根清浄、六根清浄一歩づつ進む。

焼山寺の夜明け 焼山寺の朝 衛門三郎杖杉庵 岡本さん石津さん


鍋岩を通過玉ケ峠を下り広い舗装道に出た、急な傾斜地、道から垂直に5m程下の畑では爺ちゃん婆ちゃんお嫁さんが花の苗を植えている、そばで小さな孫もご機嫌いい「やーご苦労さんです お天気も良くて・・・」と石津さん。

しばらく歩いていたら後ろから軽トラックが来た「やーどーも」石津さんが杖を持った手を上げた車は止まった。
止まってくれ・・・と勘違いしたのでは・・・?
どこの寺へ? 建治寺です! ああ、あそこはいい寺です、なんと言っても住職がいい・・・。途中私の会社がありますから寄って行って下さい・・・岡本石材の会長さんだった。
天気は良い鮎喰川北岸の道をどんどん下る・・・深い川原へ降りて行き焼山寺特製のおにぎりの包みを岩の上で広げる、青い空、 急峻な新緑の山 うぐいすの声 せせらぎの音 清く澄んだ川  なんと素晴らしい・・・心が洗われる思いがした。
昔勤めていた頃は接待したり されたり  随分贅沢なものをも口にした、しかし今日ほど心から美味しいとか幸せだなあ・・・とか思ったことは無かったように思う。

途中無人の良心店で石津さんは温州みかん、私はハッサクを買った。温州を食べたら腹一杯になった八朔が荷物になる。
学校帰りの小学生が気持ちよい挨拶をしてくれる・・・みかん要らない?あげるよ!・・・貰ってくれない。
何人か子供に声をかけたが駄目だった教育が徹底しているようだ。
岡本石材に着いた広い事務所には会長と美しくてスリムな事務員さんがいた、息子さんのお嫁さんだろう、笑顔でお茶を入れてくれた石津さんはお礼に竹とんぼを渡した、私は、そうだ八朔を・・・要らない!。

石津さんと私 鮎喰川原で昼食 岡本石材 長者の橋


建治寺までの道を教えてもらって出発、これがまずかった歩きへんろの道は地元の人さえ知らない細い細いへんろ道があったのだ、地図も確認せず安易に寺を尋ねた我々がいけなかった。
もし、方子(ほうこ)へは?・・・と聞いていたらここから約5km下って時計で云えば12時から11,10、9と行きそこからへんろ道を1km余り山に入れば2時ごろには着けた筈だ。
ところが車道は12時から1.2.3と順に6時まで行き更に真下(直線12時から6時の延長上) に数キロ下り大きく弧を描くように迂回して9時方向へ行く事になった。

建治寺への道は急な長い坂道、寺までもう少しという所でダウン道路の隅にシートを敷いて寝転がった、熱い血の吐息、心臓が早鐘を打つ、全身汗まみれ こんなに疲れたことはここ数十年なかった、このまま30分ほど休みたい。
しかし連れがいる元気を振り絞ってよろよろと立ち上がる「あと400歩で着くと思いますよ」と石津さん、もうろうとした感じで聞き流す。
1つ・2つと数え始めた・・・言葉を交わす元気はない黙ってまだか、まだかと痛くて重い足を一歩づつ運んだ450数歩目にやっと着いた。
建治寺の庭の砂はきれいに波状に手入れしている踏んで壊すのが惜しい、若い女性が笑顔で迎えてくれた・・・。

「あれが和顔施と云うものですかなあ いい笑顔でした 来た甲斐がありましたなあ」石津さんは云った。
風呂へ入る気力もなく部屋へ倒れこんだ30分以上横になっていただろうか寒くなってきて入浴、トイレは温水シャワーつき、全自動洗濯機、乾燥機ありの良い宿坊だ。
夕食は先ほどの女性が用意してくれた、あなたはこのお寺の娘さん?お嫁さん?
「私はここまでへんろに来て和尚さんに、もし良ければ暫らく居てはと云われて・・・もう一年になります」。
で・・そのまま?
「いいえ一度帰りました、福島へ」・・・ご両親はなんと・・・?
「明るくなった、良かったねって・・・」そうか悩みがあってへんろに出て・・・こんないい出会いがあって本当に良かった・・・いい話を聞いて我々も嬉しくなった。
後日分かった事であるがへんろでこの寺まで来た青年が僧侶になったり、修行を積んで帰って行ったり・・・和尚さんはいろんな悩める人を受け入れているらしい。
分かった・・・だから岡本石材の会長がほめたのだ。

              歩行距離   21.6km
              歩  数 32000歩

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 スポーツドリンク   150
八朔みかん 100
建治寺宿坊 7,300
本日計 7,550
累 計 36,325