通算12日目
2004.3.16(火) 晴れ
内妻海岸 〜 鯖大師 〜 東洋町生見
4:10けたたましい鶏の鳴き声で目が覚めた、洗濯物が乾いていない 昨夜両手で一生懸命搾ったり振り回したりしたがやはり駄目だった脱水機があればとっくに乾いているのに・・・
相変わらずトンネルが多い昨日は5つだった今日は出発するとすぐ2つ、3つ目の福良トンネルの手前で旧へんろ道の立て札があったので狭い急な山道に入って行った足元は悪いが国道に比べれば心がいやされる。
谷底みたいな峠(馬ひき坂)を下った所が鯖大師だった。
お参りを済ませ納経印を貰うとき「鯖大師」とはちょっと変わった名前ですね、なぜ鯖?
「本堂へ上がって見て下さい詳しく書いてありますから」
やはり番外は親切だ88ケ寺の内でこんな事で本堂へ上げてくれる所は絶対にないだろう。
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馬曳き坂 | 鯖大師内部 | 遥かあの岬をすぎて | ミカン売りのおばちゃん |
本堂の長押の上に紙芝居の絵10数枚横に並べたように掛けてあり説明があった。
「昔々、松の木陰で弘法大師が野宿したことがあってな、あくる朝馬の背中に鯖をいっぱい乗せて通る一人の馬子に出会った。
「これ、その鯖を一尾わけてくれぬか」
大師が頼むと、馬子は、「おめみたな〈おまえみたいな〉乞食坊主にやか、(やれるけ)
と言うて断ったんよ。
ほいたら〈そうすると〉大師は馬子に向かってこんな歌を詠んだ。
〜 大坂や八坂坂中 鯖一つ
大師にくれで 馬の腹痛む 〜
やがて馬子が馬をひいて坂道にかかると、馬は急に腹痛を起こし動かんようになってしもた。
ほんではじめて気がついたんよ。
「さては、あの坊主、弘法大師やったんか」
馬子は大師の後を追うて、無礼を詫び、一尾の鯖をさしあげた。
〜 大坂や八坂坂中 鯖一つ
大師にくれて 馬の腹止む 〜
こう大師が歌に詠むと、たちまち馬は元気になった。
大師がもろた鯖を海に投げ込むと、不思議なことに鯖は海の彼方へ泳いでいってしもたっちゅう話や。
村人がこのときの弘法大師の姿を石に彫ってまつったんが鯖瀬の大師堂で、馬子が弘法大師に出会うたところは、今も「馬曳(うまひ)き坂」と呼んびょる。
以後鯖大師は鯖断ちの願を掛けると願い事が叶うようになった
石津さんどう思う?
「杖杉庵に祀ってある衛門三郎は断っても断っても何度も托鉢に来る坊さんに業を煮やし鉢を取り上げ投げつけて割ったその罰があたり8人の子供が次々に死んでしまった。
鯖を与えなかった馬子の馬は腹痛を起こした」
呉れないからと言ってそんな事を弘法大師がする?
しない! 強盗じゃあるまいし・・・まあ容姿に関わらず人には親切にと言うことでしょう。
登り坂の道の広くなった所でおばさんが3人露天でみかんを売っている接待だと言って3人がそれぞれみかんをくれた今回は忘れないようにお札を渡した。もらったお札の数が多いだけ功徳を積んだことになるらしい。
海南町から海部町を通りすぎ宍喰町に入ったところで軽四トラックが止まりおばさんが降りてきた
お接待させてもらいます、と言って飴を10ケ程と蛍光たすきをくれた、たすきには「無事でお遍路、祈ります 牟岐警察署」 と印刷されていた。
警察から頼まれているらしい、以後黒いリュックに巻きつけて歩く事にした。
国道べりの民宿谷口に4時前到着・・・洗濯
右足に豆が出来た入浴後針に通した糸に消毒剤をたっぷりしみ込ませ豆の中を通した、左足のすねも痛い消炎剤を貼る。
歩数 36800歩 距離 23.6km。
民宿やさか | 6,820 |
鯖大師納経料 | 300 |
寿司うドん定食 | 945 |
文旦地方発送 | 4,150 |
本日計 | 8,065 |
累 計 | 110,590 |
文旦代金は合計に含まず(へんろに直接関係なきため)