通算47日目
平成17年11月13日 (日) 晴れ後曇り

目次 前頁 次頁

あずまや旅館〜88番大窪寺〜旅館八十窪



 あずまや旅館7:30出発 おかみさんが滋養飲料一本と500円接待してくれた、昨夜「石津」さんが竹とんぼをあげたお返しか・・・
一時間少々歩いて前山ダムを通り過ぎ「おへんろ交流館」へ寄った。
昔からのへんろ資料を展示したりお茶の 接待をしていた。

我々が歩いて回って今日が結願(けちがん)と知った館長がちょっと待ってくださいと言って我々の名前を記した来館ノートを持って事務所に入って行った。

そして再び出て来た館長が おめでとうございます と言って
 「四国八十八ケ所遍路大使任命書」とバッジをくれた
有難い何よりの励みと記念になる、有難くおし頂いた。

女体山越えの道を尋ねた 館長は遠回りなるが車道を行ったほうが・・・と勧める。
しかし男体山なら云う事を聞くが女体山と聞いては苦労してでも上りたい
・・・ならばと館長が昼寝城の標識を左に入り太郎兵衛館を経て・・・

女体山へ 女体山へ


県道3号線から昼寝城コースに入ると人も車も全く通らない静かなものだ

紅葉が美しい 道端の田んぼには昔懐かしい わら積み があった子供の頃この下を掘れば「縞みみず」が一杯いた 「ふな」や「はぜ」をよく釣りに行ったものだ。

「石津」さんは言った「いい名前の城ですなあ お殿様は腰元をはべらせて昼寝ばかりしていたのでしょうか・・・
まさか・・・それは・・・
女体山へ・・・


小春日和の日当たりのよい農家の軒先でのんびり干し柿の皮を剥いでいる初老の男がいた、女体山のいわれを聞いたがどうもはっきりしない 只昔は干ばつの時女体山 山頂の社の前で男達が下帯を取って雨乞い踊りをしたそうである。
「で雨は降りましたか?」
降ったり、降らなんだり 女は気まぐれだからのう・・・

暫らく歩いて行く内に全面通行止めの標識と車止めがあった その横をすり抜け更に坂道を上って行くとガードレールは崩落し或いは路上に土砂・岩石が崩れ落ちている所がいたるところに見られる。
理解に苦しむのは道路の舗装の下を怪獣が通りぬけでもしたように空洞が出来アスファルトが陥没している事だ。
巾20〜30cm長さ5m〜7m深さ15〜20cm直線であったり多少曲がっていたり・・・
去年の台風災害の爪あとだろう

さあ 女体山へ 女体山へ


昼寝城のいわれを書いた看板があった 
 「香川県の代表的な中世山城として、昼寝城は昼寝山(455.2メートル)山頂部にあった。そして、昼寝山の裾を矢筈山に源を発した太郎兵衛川と谷川が合流し・・・前山ダムへと注いでいる」

元亀元年(1570)阿波の三好氏や安富に攻められ引田城・虎丸城を明け渡し昼寝城に引きこもったとある、腰元?昼寝などとんでもない山の名前を取ってつけただけのものだった。

太郎兵衛館を過ぎ女体山へ足を踏み入れた細いへんろ道はいたるところで崩れかけていた一歩踏み外すと谷の底へ・・・危険を感じるところも何ヶ所かあった だから館長が・・・と思った
頂上が近づくにつれ道は一段と細く勾配は急になった砕けた岩石の上を鉄筋の手摺につかまりながら血の息を吐く思いで上って行った。
頂上のほんの僅かな場所に社があった ここではそんなに沢山の人は踊れまい。

女体山(774m)は名の如くやさしくふくよかな山かと思っていたが・・・どうして どうしてなかなか険しい急峻な山だった。
ボイ〜ンと飛び出しキュンと締まり起伏に富んだお山でございました。

女体山を下って矢筈山へそしてどんどん下ると八十八番大窪寺の屋根が目の下に見えてきた。
境内の銀杏の色と「もみ」の赤に映えてとても美しかった。
昨日のTVで大窪寺の紅葉が見ごろと放送されたとかで境内も食堂も大勢の人でごった返していた。
女体山 山頂 お社


八十八番 大窪寺境内 大窪寺にて


午後2時寺の下の食堂で打ち込みうどんを食べすぐ近くの旅館八十窪へ。
きれいな旅館で部屋数は沢山あるが今日の泊まりは我々だけ

結願のお祝いにと赤飯を用意してくれていた。

結願祝い膳 おへんろ交流館で頂きました


全て回り終えたが自転車で回った時以上に感慨も達成感も感じなかった。
「石津」さんについて回り疲れたらすぐに乗り物に乗ったからか。

そう云えば今年春伊予の西条で 名古屋から来て10回目を回っているという74才の女性歩きへんろ荒木さんに云われた事がある

「へんろは一人で歩かなきゃだめよ黙々と・・・携帯ラジオも駄目」
「道に迷う・・・それでいいのよ それがへんろなのよ」

云われてみれば勤めがあるわけじゃなし 予定通り回らなければならない理由はない
予定通りに回り帰ったとしても・・・「俺帰る 一番喜ぶ 家のポチ」・・・てところだ。

改めてもう一度回るか・・・一人で

目次 前頁 次頁


      歩行距離 12.3km  歩数 22300歩

 洗濯   100
 あずまや  6800
 お接待 △ 500
 納経料   300
打ち込みうどん   750
  合 計  7450
  累 計 485233

     
翌朝徳島県へ向け出発2日間かけて10番切幡寺から逆に1番霊山寺まで順に回り徳島駅前で「石津」さんと別れた。彼は徳島港からフェリーで和歌山港へ そして高野山へ。
私は特急バスで高松へ・・・。

来春四国での再会を約したが・・・いいかげんには独り立ちしなければ・・・