プラエトーリウム=ソムヌスのお正月(第5話)

§ゆく年,そして……

「それではいただきましょう」
「いただきま〜す」
 大晦日の夜。今年最後の晩ご飯となれば……やっぱり年越し蕎麦。
「お蕎麦って,初めてですけどおいしいんですね。ご主人様」
 マージの言葉にアメリアさんたちも頷いている。
「ちょっと変わった感じだけど悪くはないわよね」
「おいしいにゃー」
 やっぱり初めてなんだな,皆。
 買って来てよかったよ。
 和食,洋食,中華なんでもござれのフィンさんだけど,やっぱり揃えていない食材まではどうしようもないだろうし,前にここに来たときに和食もでてきたけれど,お蕎麦を見た憶えはなかったから,念の為にと思って買っておいたのが正解だった。
 そんな初めてのお蕎麦で盛り上がりながら,楽しい時間は過ぎていった。

「ご主人様,この度は色々とお気遣い頂きまして,ありがとうございました」
 お風呂上がりに部屋で寛〔くつろ〕いでいたところへ,洗濯物を持って来たフィンさんがあらたまってそう頭を下げた。
「そんな……何も特別な事はしてないよ」
 家族と過ごす初めての冬休みだから……これまでただ羨〔うらや〕ましかった,憧れていた『家族と過ごす冬休み』を過ごしたくて……ただ,それだけだった。
 誰かのためではなくて,実は僕自身がやりたかった事をやっていただけ。
 自分の我が侭なのにお礼なんて……。
「いいえ,ご主人様。だからですわ」
 にっこり笑ったままフィンさんは僕の言葉を遮った。
「御両親が亡くなられてご主人様がこの館を出られた後,私たちの一番の望みはご主人様と一緒にこの館で暮らす事だったんですのよ?
 ご主人様にお仕えして,ご主人様の為にお食事を作って,ご主人様と一緒に時を過ごして,ご主人様と愉しみを分かちあって……そう望んでおりました」
 そこで一度フィンさんは言葉を切った。

「でも……ご主人様はそれ以上の事を叶えて下さいました。
 私たちをご主人様の家族にして下さいましたわ」
 予想もしていなかったフィンさんの言葉に僕はびっくりした。
「今回皆が『日本の年越し』というものを経験できましたのは,間違いなく,ご主人様のおかげですわ」
「昔にはやってなかったの?」
 お爺さんが元気だった頃なら,やっていそうなものなんだけれど。
「もともと私たちは欧州の出ですから,日本的な行事というものはあまり……。それに,隆一郎様も無理にこちらの風習にあわせる必要はないと仰って下さっていたものですから」
「じゃぁ,フィンさんも初めて?」
「でもないんです。ご主人様が生まれたばかりの頃には承一郎さまがご主人様の為にと仰って用意するのをお手伝いさせて頂きましたから」
 それで色々と知ってたのかな。餅つきの道具が揃っていたのも,そう考えれば納得かも。

「それでは,ご主人様。そろそろお休みなさいませ」
 言われて時計を見れば確かに普段ならそろそろ寝る時間だ。
 けれど……。
「ねぇフィンさん」
「はい?」
「あのね……」
 ・
 ・
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 それから暫くして,僕は皆に玄関前に集まってもらった。
「どうなさったんですか,ご主人様?」
 これまでこんな夜中に集まってもらう事なんてなかったから,皆怪訝そうな顔をしている。ただ一人,理由を知ってるフィンさんを除いて。
「ごめんね,こんな遅くに」
「遅いわよ」
 言いながらもフォニームも普段と変わらない様子で来てくれている。
「やっぱり,一年の締めくくりだからさ。どうしても皆にも一緒にいてほしかったんだ」
「???」
「フィンさん,そろそろ大丈夫かな?」
「ええ,そうですわね。風向きもいいようですし」
 そのフィンさんの言葉に続けるように,微かな物音が耳に届いた。
「?……これは……」
「何の音だにゃ?」
 辛うじてとはいえ,僕が聞き取れるくらいだから,他の皆にはもっとハッキリ聞き取れているだろう。
「除夜の鐘,って言うんだよ」
 下の街の外れにある,ちょっと大きめのお寺。この館から言うと,街を挟んで反対側の山にあるんだけれど,山の中腹あたりでかえって間に障害物少ない分,聞こえる可能性があるんじゃないかと思ってたんだけど,何とかなってくれたみたい。
「一年の最後の締めくくり。今年あった嫌な事はこれでおしまいにして,それで新しい年を迎えましょうって」
「へぇ〜」
 ホントは人間の108つある煩悩を取り除くための鐘だけど,皆にはそういう言い方をしてもうまく通じないだろうから,こういう説明でもいいよね。
「なんだか……ステキな音です」

 そうして……結構寒かったにもかかわらず,最後の,108つ目の鐘の音を聞き終えるまで皆その場を動こうとはしなかった。



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