プラエトーリウム=ソムヌスのお正月(第6話)

§年の始めの……大騒ぎ…『晴れ着篇』

元旦

「ふあああぁぁぁぁ……」
 夕べ,除夜の鐘を最後まで聞くなんていう夜更かしをしたせいか,目が覚めたのは……ちょっと遅め。
 既にお日様が山の向こうから顔を出している。
 今年も初日の出は寝過ごしちゃったみたい。
 ……ちょっと残念かも。
 せっかく夕べも除夜の鐘を皆で聞いたんだから,一緒に初日の出を拝みたかったなぁ……。
 あ,でも,夕べ何も言っておかなかったから,急に言われても皆も迷惑だったかも。
 まぁ,仕方ないよね。
 来年のお楽しみってことにしておこう。

 そう結論づけると,ベッドから起き出して服を着替える。
 夕べ着替えを持って来たときに,フィンさんが今日の為にって用意してくれたのは,普段見た事もないような,どこか古めかしい感じのする服。
「やっぱり特別な日ですもの。特別な装〔よそお〕いも必要ですわ」
 そう言ってクローゼットから出してくれたのは,服って言うより,『衣装』って言いたくなるような,そんな感じのものだった。
 袖口にレースの飾りのついたシャツ。膝の上まである長い靴下。揃いの生地で仕立てられた膝丈の半ズボン,ベスト,裾の長いジャケットの3点セット。クラヴァットっていうスカーフのような布。そして革靴。これで一揃い。
 なんでも,18世紀頃のヨーロッパ貴族の正装だとかで,何とかと言う名前があるらしいんだけれど,一度聞いただけではとても憶えられなかった。
 長い上着はともかく半ズボンっていうのが恥ずかしくて,どうにか勘弁してもらおうと思ったんだけれど,お父さんの着ていた服の仕立て直したものと聞いて,一度くらいは我慢して着てみようと思い直した。

 見た目はともかくとして,要点は普段着ている洋服と大きな違いはないのでそれほど苦労はない……と思っていたんだけど……。
「これ……どうすればいいんだろう?」
 クラヴァットを手にして呆然と呟く。
 ネクタイみたいなものだってフィンさんは言ってたけど,そもそもネクタイ自体これまでにしたことはない。
 幾度かあれこれと試してみて,素直に諦める事にした。
 のど元で軽く結ぶようにして,端をベストの襟元に押し込む。
 間違っていたらフィンさんが直してくれるだろう。
 そうして上着を着てから皆が待ってるはずの食堂へ……っと,いけないいけない。
 危うく忘れ物をするところだった。
 部屋へ引き返すと,鞄の中からこの日の為に用意した包みをポケットに入れて,今度こそ食堂へと向かった。

「ちょっと遅くなっちゃったかな」
 いつもならこの位の時間になっていればマージが呼びに来るはずなんだけれど,今日はそれもない。
「どうしたのかな……」
 ひょっとして夕べ遅くまで付きあわせちゃったから,それで皆も朝寝坊?
 ……まさかね。
 そんなことを考えながら食堂のドアを明けようとして,そこに張り付いているメモに気が付いた。
『今日の朝御飯は広間ですわ』
 その言葉遣いを見れば誰が書いたなんて一目瞭然なんだけれど,何とか僕にも読める程度の崩し方で墨痕も鮮やかに書かれたそのメモを見て,元旦早々からフィンさんについてまた一つ謎が増えたような気がする。
 ともあれ,180度方向を転換して広間のドアを開けた。

 その瞬間−

「「「「「明けましておめでとうございます,ご主人様!」」」」」
 声と共に目の前に広がった煌〔きら〕びやかな錦絵。
 それは色鮮やかな振り袖を纏った皆の姿だった。

 皆少しずつ趣の違う形に髪を結い上げて,それぞれに違った意匠の振り袖を着ている。

 白藍〔しらあい〕の地に大輪の紅色の花が咲き乱れているマージ。帯は地に合わせたのか青磁〔せいじ〕色。
 深い紫根〔しこん〕色の地に白抜きと金彩で大振りの松と藤の花が描かれているアメリアさん。いつもの物静かな雰囲気からするとかなり賑やかな感じだけど,それはそれでいい感じ。半面,帯は藤色の髪とも揃えた茄子紺〔なすこん〕。
 薔薇〔ばら〕色の地に色とりどりの花びらを浮かべる謂わぬ色〔いわぬいろ〕の小川が流れているエリカ。帯の萌黄〔もえぎ〕色がちょっと派手な感じだけどいつも元気なエリカにはいいのかもしれない。
 黄蘗〔きはだ〕色の地に杜若〔かきつばた〕色と菫〔すみれ〕色の花がさいているフォニーム。帯は地になじむ鬱金〔うこん〕色。
 紅と藍で曙染めにしているフィンさん。珊瑚色の帯が目に鮮やか。

 普段のメイド服が白と黒のシンプルな色づかいだから(アメリアさんだけ違うけど,それでも色づかいは派手じゃなくて落ち着いた色合いだし)というわけじゃないけれど,皆とっても綺麗だった。
 それこそ,見とれてしまって,とっさに返事ができないくらいに。

「あの……ご主人様?」
 そう呼びかけるマージの声で,ようやく我にかえった。
「……びっくりした」
 ようやく,それだけが口に出せた。
 でも,よくよく考えればそうだよね。「特別な日には特別な装いが必要」ってフィンさんが言ってたじゃないか。それは僕の事だけじゃなかったんだ。
「皆,とっても綺麗だよ」
「く,くぅ〜〜ん。ご主人様ぁ……」
「あら,まぁ♪」
「当然よ」
「にゃははーーー!!。ご主人様,キレイ?キレイ?」
 あ〜ぁ,振り袖でそんなにはしゃいだら,危ないよ?
「んにゃにゃっ!?」
 言うよりも早く,いつものペースで僕の方に『駆け寄ろうとした』(んだと思う)エリカがバランスを崩して僕の方に倒れ込んできた。
「!っ」
 何の問題もなく,とはいかなかったけれど,床に倒れ込む前には何とかエリカを抱き止める事ができた。
 いつもなら僕が動くよりも先にアメリアさんがエリカを捕まえるところなんだろうけど,そのアメリアさん自身も着慣れない振り袖のおかげで自由に動けないのでは無理と言うもの。

「ぅにゃぁぁ〜〜〜ご主人様ぁ〜〜。この服,動きにくいですにゃ……」
 まぁ,確かに普段あのメイド服で元気一杯に走り回っているエリカにとっては,着物は動きづらいよね。
 それはアメリアさんも同じみたい。
「ご主人様,申し訳ありません」
 そう言って頭を下げるアメリアさんを遮るように手を振る。
「仕方ないよ。慣れてないんだから。エリカ,着物の時はね,ゆっくり小刻みに歩くといいんだよ」
 言いながら歩いて見せる。
「こうですかにゃ?」
 立ち上がったエリカが同じように歩いてみる。
「なるほど,この様に動けばよいのですね」
 さすがにアメリアさんはのみこみも早い。
「んにゃっ!」
 ちょっといい感じになったかと思ったら,またすぐにエリカはバランスを崩していた。
「ふみゃぁ〜〜」
 思いどおりにいかなくて,ちょっと涙目。
「ううぅぅぅぅ〜〜〜〜〜〜」
 いきなりマージがうなり声をあげながら後ろから抱きついて来た。
「マージ?」
「ご主人様,先刻からエリカばっかりずるいですぅ〜」
「何言ってるにゃ!マージは毎晩ご主人様を一人占めしてるじゃにゃいか!ちょっとくらい大目に見るにゃ!」
「そうですわよねぇ〜〜」
 何時の間にかフィンさんも後ろに回り込んでいた。
「一人占めは,いけませんわよね〜〜」
「こらぁぁぁっっ,マムを誘惑するなぁぁ〜〜〜〜!!!!」

 気づいてみれば……皆いつものドタバタ騒ぎだった。



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