プラエトーリウム=ソムヌスのお正月(第8話)
§年の始めの……大騒ぎ…『羽根つき篇』
「こんないい天気に部屋の中に籠もってるのも,なんかもったいないなぁ……」
お昼ご飯を食べ終わって,部屋でのんびり食休みをしながら,窓の外を眺めていると…………あまりのいい天気に,ついそんなことを思ってしまったわけで……。
「マージを誘って散歩するのもいいかな」
思い立ったが吉日,とばかりにマージを探しに行こうとすると……
トントン
「ご主人様,よろしいですか?」
なんてタイミングのよさ。
「開いてるよ」
「失礼しますね〜」
そう言って入ってきたマージは何か箱を抱えていた。
「どうしたの,マージ?」
「えっと,実はですね〜,これなんですけど……」
言いながら抱えていた箱を開けると……
そこには,綺麗な羽子板2枚と羽子〔はご〕が入っていた。
「どうしたの,コレ?」
「以前,離れの大掃除をしたときに見つけたんです。フィンさんもよく知らないみたいだったので,ご主人様ならご存知じゃないかと思って」
まぁ……いくらフィンさんが以前父さんたちが僕の為にお正月の用意をするのを手伝っていて,日本のお正月の事をいくらか知っているとは言っても,さすがに女の子の為の物までは知らなくても無理はないよね。
……でも……だったら何でこんな物があるんだろう?
お爺さんがフォニームの為に用意したものだったら分からなくもないけれど,それにしても離れにしまわれていたっていうのはちょっと合点〔がてん〕がいかない。
「これはね,『羽子板』って言うんだ。この板で,この羽子をついて遊ぶんだ」
「つく?」
あ,そもそも『つく』って言う表現自体がわからないんだ。
「やってみる?」
「はいっ」
ということで,散歩は取り止め。
中庭で追い羽根〔おいばね〕をすることに。
新年の遊びには間違いないんだけど,『女の子』の遊びだっていうのは……内緒ってことで。
「えっと,この飾りの付いていない側でね,この羽子をこうやって…」
言って,羽子をマージの方へつく。
ちょっと狙いとずれた羽子を難なく左手で捕まえるマージ。
「こうですか?」
同じように板で羽子をついて……
「っと!」
頭の上を飛び越しかけた羽子を辛うじて捕まえる。
「そうそう,そんな感じ」
少しずつ距離を離しながら何度かそれを繰り返すうちに,マージもコツを掴んだみたいで,ほぼ外れなく羽子が僕の手元へ飛んで来るようになった。
「でね,これを一々手で取るんじゃなくて,直接板でついて返すんだ」
「え?」
直接というのがうまく理解できないみたいなので,やってみせる。
マージがついた羽子が飛んできたのを,一歩下がって下からすくい上げるように返す。
「え?え?……えっと…!」
慌てふためきながらそれでもちゃんと羽子板は羽子を捉えている。
明後日〔あさって〕の方向へ飛んでいったのは御愛嬌。
「そんな感じ,そんな感じ」
いきなりでまがりなりにもつき返せただけでもずっとマシ。
施設にいたころに始めてやったときには,返すことすらロクにできなかったんだから(泣笑)。
「でも,今のはマージちゃんの負けですから,墨をお顔に塗られちゃいますわね」
はい?
横合いからの唐突なフィンさんの割り込み。
なんて言うか……ここ暫く多いなぁ……。この唐突なフィンさんの登場って。
「フィ,フィンさん,墨って何なんですか?」
って,それどころじゃない。
いきなりのフィンさんの登場よりも,その言葉の中身にマージがビックリしてる。
まぁ,『顔に塗られる』だけでも充分びっくりしちゃうよね。女の子なんだから。
「あら,マージちゃん,知らなかったんですの?羽根つきで負けちゃったら,お顔に墨を塗られるんですのよ」
言いながら手にした筆を見せる。
「ぇえええええええっっっ!!」
「あの,フィンさん……負けも何も,まだどんなものか試しにやってるだけなんだから」
しかも,そんな見るからに墨がたっぷりと含まれた筆を持ち出さなくても……。
「せっかくなら真剣勝負の方が盛り上がるかと思いましたのに……」
って,スネられても……。
そもそも,やってる方が引くようなのはどうかと思うんですけど。
「マージがやらないんなら,あたしがやる!」
いや,だからフォニームも……。
「あ,あの……ご主人様」
「?」
「わたし……いいですから……」
「いいって……何が?」
いや,この話の流れから言えば一つしかないんだけど。
「フィンさん,それ貸してください」
そんな決死の覚悟みたいな顔されても……。
「さすがマージちゃんですわ〜」
「ご,ご主人様,お願いします」
だから……お願いされても……ねぇ……。
いくら何でも,女の子の顔に,それも大好きなマージの顔に墨を塗るなんて……。
「ご主人様ぁ…」
「う……」
半分涙目になってるマージの顔を見てると,何だか逆に僕の方がすっごく悪いことをしてるような気分になってきちゃう。
かと言って,このままずっと立ってるわけにもいかないから,僕が持っていた羽子板と器(と筆)を交換する。
器の縁で余分な墨を落として,穂先を整えてから,ぎゅうって目を瞑〔つぶ〕っているマージの左のほっぺに,筆の先を丸く動かす。
「はい,終わったよ」
筆の先が頬っぺに触れた瞬間,ビクッと身体を振るわせて,余計に目をぎゅっと瞑っていたマージがほっとしたように目を開けた。
「大丈夫?」
「は…はい…」
「よぉ〜っし! それじゃ次,あたしの番!」
言うが早いか,目の前に羽子板が突き出される。
「ちょっ,フォニーム?」
「ほらほら,グズグズしない!!」
せ……せっかくマージといい雰囲気だったのに……。
なんて言えるはずもなく,フォニームとの一戦(?)が始まった。
「えいっ!」
「やぁっ!!」
「このぉっ!!!」
自分からやろうと名乗りを上げるだけあって,『初めてで大丈夫なんだろうか』という僕の心配をよそにフォニームはかなり上手だった。
僕は上着の裾が少々長いだけで,動きやすさは普段と余り変わらないのに,フォニームの方は振り袖。それで僕よりもかなりいい動きをしてる。羽子板を持ってる右手の袖が,肱の上まで捲り上がっているのは……この際おいておくとしても。
これが普段のメイド服だったら……勝てないかも。
そんな白熱したラリー(って追い羽根でもこの表現使っていいのかな?)の結果は……。
「あははははははははっっっ!!」
フォニームの大笑いが中庭に響きわたってる。
こちらも笑ってるフィンさんが差し出してくれた鏡に映っているのは……両目の周りを丁度∞の記号みたいに囲まれた僕の顔……。
「それでは次は私の番ですわね」
「え?」
「マージちゃんやファムちゃんだけ,ご主人様となんてズルいですわ〜〜」
にこやかに言いながら,フィンさんの目は……何かが違っていた。
そして……後からやってきたアメリアさんとエリカも交えて,一人2回ずつ相手をした結果……。
2勝8敗。
最初のマージと,エリカの1回目に勝った……というか二人とも慣れないうちの自滅以外は全部僕の負け。
終わったときには,僕の顔はこれ以上ないって言うくらい墨で真っ黒けになっていた。